大須観音と鶴舞線

地上に出て久屋大通を少しぶらぶらして一旦ホテルに荷物を置き、今度は伏見駅から鶴舞線で大須観音へ。一つだけではあるが電車に乗って、帰りは歩いて戻ることに。ちなみに鶴舞線は以前に一度、名鉄豊田線からそのまま乗り入れで全線乗車している。その時も大須観音に行ったんだったな。

伏見の地下街から駅に入る。ちょうど東山線の藤が丘行きのホームにそのまま繋がっている。東山線は銀座線同様、古い地下鉄だけにホームは浅い。N1000形が到着、歴史ある路線も車両は最新になっている。

東山線ホーム裏には連絡通路がある。通路を名古屋寄りまで歩いて、さらに下の鶴舞線ホームへ。名古屋で三番目の路線で昭和50年代に開業しており、駅ホームはちょっと深い感じがする。名鉄線と相互乗り入れしていて、普通の大型サイズの電車(20m4ドア)が6両編成で走る。年代や駅の構造・雰囲気、車両など、東京でいえば都営新宿線なんかと共通してる気がする。路線の色がブルーという点では東京メトロの東西線も連想されるが、東西線は年代がちょっと古いし(昭和39年から順次開業)、路線も長くて混雑も半端ない。鶴舞線も名鉄との乗り入れで東は豊田市、西側は犬山方面まで運行されているが、それほどの混雑にはならないようだ。やはり名古屋で混んでいるというと東山線が思い浮かんでしまう。

地下鉄ということで都心の交通手段ではあるものの、伏見や丸の内などのオフィス街を通っており、最大のターミナルである名古屋駅や繁華街の栄は通っていない。そんなところも他の路線と趣が違うと思う。時刻表をみても平日の朝こそ4分間隔だが、昼間は平日は1時間に7-8分間隔、土休日にいたっては10分間隔と、地下鉄にしてはちょっと本数が少ない。東山線や名城線に比べると車両が大きいという違いもあるが、ターミナル駅や繁華街といった四六時中人が多そうなエリアを通るのと、平日朝夕の通勤時とそれ以外の時間の差が激しいビジネス街中心のエリアを通るのとでは、やはり事情が違うのかと思う。

やってきた豊田市行きの電車に乗って、隣の大須観音へ。3050形の6両編成。

向かい側には新型のN3000形。昭和52年に登場した初代の3000形は順次置き換えられている。3050形と合わせて新型に統一されるのも遠くないようだ。乗り入れの名鉄線からは赤い電車の100系が乗り入れてくるが、こちらは置き換えられずリニューアルされており今後も第一線で継続する。大切にされていると思う一方、新好きにとっては全車両でなくていいから、新型も入って欲しいなと思ってしまうところ。(笑)本線系は新型にどんどん置き換わっているし瀬戸線も100%新型になってしまった(瀬戸線の場合は、塗装設備がないという理由もあるようだが)。

ちなみに今回撮ったものではありませんが(笑)以前に乗った時の3000形と名鉄100系。

一つ隣なのですぐに到着、大須観音駅を出る。駅名にもなっている観音様は2番出口が近い。それまで雨には降られなかったがこの駅を出たら途端に雨になってしまった。雲の切れ間から太陽はのぞいていてお天気雨のような感じだった。ちょっと強めでスコールみたいな感じもしたが、割とすぐに止むんじゃないかなー、とあまり気にせず歩く。でもなんだか、お参りがてら雨宿りみたいな感じになってしまった(笑)

伏見駅は隣だし少し都心を歩こうと思い、お参りの後はそのまま北の方へ戻るように歩いた。大須観音駅のちょっと北側で名古屋高速が通り、その先は白川公園、名古屋市科学館もある。真ん中の巨大な休憩の物体はプラネタリウムか。今回、熱田神宮も含め結構歩いたのもあり、中にまでは入らなかったが、外にもH2-Bロケットや昔の名古屋市電の車両などが展示されていて面白かった。

名古屋市科学館の館外に展示されている名古屋市電の車両(1400型)。名古屋市電は昭和49年3月31日に全廃されている。

市電の隣にはもう一つ線路があって車両が展示できるスペースになっているが現在車両は止まっていない。そこはB6型 蒸気機関車の展示場所であった。あおなみ線での走行も期待されていたが走行には多額の車両整備費用がかかることがわかったという。とりあえずはこちらにまた戻されて、車輪のみを動かす動態展示ということに落ち着いたようだ。また会える日を期待して!

うろうろしているうちに腹も空いてきた。夕方になったしちょっと早いけど夕食がてらきしめんを食べて戻る。結構歩いて久々にいい運動になったかな。

名城線で栄へ

西門を出て伏見通りを歩き、神宮西駅から地下鉄名城線で栄に出る。

場所柄もあるのか、乗客はあまり多くなく平日の昼間はほとんど人がおらず静かだった。ちなみに他の駅でも感じたが、古い駅はどうも東京の地下鉄と比べると、駅ホーム、コンコースとも少々薄暗く感じる。電車は新型になっていて良いのだが…。リニューアルも進めてはいるようなので、今後に期待したいところ。

名城線は最大の繁華街、栄を中心に名古屋市内を一周する環状線となっている。全長26.4kmを28駅で結び、一周50分程度、山手線よりは短いもののそれなりな長さではある。路線自体は昭和40年代から存在し名古屋で二番目の路線と古いが、長らく栄や金山を含む西側の部分しか出来ておらず、東側が完成して環状になったのは平成16年のこと。日本の地下鉄で完全な環状運転をするのは初めてとなる(大江戸線も環状と言われていたが、実際には都庁前駅で折り返しているため)。なお、途中の金山では名古屋港に向かう路線(名港線)が分かれており、昼間は環状運転する電車と、途中の大曽根で折り返し金山経由で名古屋港まで乗り入れる電車が各10分おきに運行されている。そのため都心部を通る西側の金山〜大曽根間は5分間隔だが、それ以外の区間は10分間隔となる。ということで山手線とは違い環状運転する電車ばかりではない。どちらかというと東側は郊外寄りではあるので、利用実態に見合った本数設定とも言える。

ちょっと変わっていると思うのは、環状運転の表現が「外回り」・「内回り」ではなく、「右回り」・「左回り」という言い方をしているところ。英語表記では、右回りを「clockwise(時計回り)」、左回りを「counterclockwise(反時計周り)」と表現している。でも直感的にわかりやすくて良いと思う。

ということで神宮西駅から右回りの電車に乗り栄へ向かう。初期に開業した東山線、名城線と乗り入れの名港線は車両が小さく、15m級3ドアの6両編成しかない。東京でいえば銀座線とほぼ同じである。そのため東西に結び名古屋駅を通る東山線は、銀座線に負けないくらい混雑している。特に都心部では昼間でも乗客が多い。一方の名城線も都心部を南北に通る路線だが、朝夕は混雑するようだが昼間に関しては銀座線と比べると相当空いている。

神宮前駅では10分間隔だったが普通に空席があり、金山から本格的に都心に入る感じになるが、名港線の乗り入れで本数が倍になるためか乗客が増えても混雑はしなかった。上前津では鶴舞線と接続しており乗り換え客が多いようで、ここ上前津から栄あたりが一番乗客が多いと感じた。ちょうど電車で後ろ(金山寄り)の方に乗っていて、鶴舞線との乗り換え通路が後ろの方にあるのも要因だろう。それでも昼間は気になる程の混雑ではなく快適に思えた。まあこんなことを言うのも何だが、余裕があるというのは羨ましいことだ。

10分少々乗って栄に到着、少しではあったが名古屋の地下鉄見聞みたいな感じだった。全線乗っても良かったが名城線・名港線は全線地下だ。まあ、またいずれ。栄駅は東山線と交差しており階段を上がってすぐ乗り換えができるが、両線を結ぶ階段は中二階みたいなところで複雑に交錯していてなんだか昔の駅らしい。東山線は島式ホーム、名城線は相対式ホームなのも理由だろうが。東山線のホームを経由して階段を上がると、改札を出て栄の地下街に出る。言わずと知れた大規模な地下街だ。

熱田神宮へ

一泊二日で久しぶりに名古屋へ行くことにした。このところ色々あって泊りがけで遠くになかなか行っておらず、かなり久々な感じだった。泊まりは、冬に紀伊半島に行って以来だったか。

新幹線で名古屋へ。名古屋といえばいつもお世話になっている矢場とんの味噌カツでまずエネルギー補給。疲れ気味の体にもしみる味!

この日の前後、東海地方はあいにくの天気。天気によって行き先は変えようと思ったが幸い大雨にはならず、曇天だったが日差しも強くなく(少々蒸し暑かったが)比較的過ごしやすい気候。まずは熱田神宮に行くことにした。

熱田神宮はJR(東海道線)、名鉄で行けるが、名鉄の方(神宮前駅)がより近く、停車する列車の本数も多くて行きやすいだろう。JRは熱田駅が最寄駅だが少し歩く上、普通列車しか止まらないので昼間の本数は少なめだ(15分間隔)。名鉄の神宮前駅は全列車が停車するので、特急券不要の列車ならどれに乗ってもいけて便利である。ちなみに神宮前駅では、豊橋方面(名古屋本線)、中部国際空港・知多半島方面(常滑線)に分かれるが、どちらも停車するので乗り間違えの心配も無用。また、後で乗車するが地下鉄名城線も神宮の周りを通っているので、栄など都心へのアクセスも便利である。

名鉄名古屋駅は、JR名古屋駅の東隣の地下にある。言うまでもなく名鉄最大のターミナル駅で、地上には名鉄百貨店や名鉄グランドホテルなどもある。ということで、さぞ駅も広く線路も多いターミナルと思ってしまうのだが、線路はたった二本、まるで途中駅と何ら変わらないような構造である。通過型ターミナルといわれるもの。「本線」である名古屋本線自体が豊橋〜岐阜間を結んでおり名古屋は通過点みたいなもので、他の路線でも名古屋を通り越して反対側の路線に乗り入れる列車が多い。そんな訳で、行き止まり式のターミナルにはなっていない。だが、名古屋周辺では路線が各方面に「タコ足」のように分岐しており、二線しかない駅でそれらの列車を捌かなくてはならない。ということで同じ線路にいろんな行き先、種別の電車がきて訳が分からないのがちょっと旅行者泣かせである。駅のホーム天井付近の案内板は方面ごとに非常に細かく分かれており、乗車位置も違っている。ようやく今年に入って駅を改築し、線路を四線に増強する計画が公表された。

とりあえず神宮前ならばどの列車でも良いので、気にせず乗ることにする。やってきたのは東岡崎行きの普通列車、列車は2両編成、名古屋駅を通るのに2両とつい思ってしまうが、名古屋で日中の普通列車ならそれでも問題ないのだろう。見ていると名古屋駅から乗る乗客も驚くほど少なく、座席も全部埋まらない状態で発車した。実に余裕がある。周囲を見れば近鉄名古屋線も普通列車は2〜3両編成、20分おきの運行である。乗客の絶対数が首都圏よりずっと少なく、そんな中でもやはり特急や急行を利用して主要駅の間を移動する乗客が多いため、普通列車の乗客が必然的に少なくなるのだろう。後で乗車するが、都心の地下鉄はさすがに本数が多いものの、こちらも昼間は東京と比べれば車内は余裕があるように見える。

名鉄名古屋を発車すると地下トンネルを出て、山王、金山と進んでいく。山王駅はかつて「ナゴヤ球場前」という名前だった。ファンの皆様には怒られそうだが、子供の頃はナゴヤドームの最寄駅だとてっきり勘違いしていた。(苦笑)

JR中央線と東海道線に挟まれる形で金山へ。いまでこそ「金山総合駅」として名古屋の南側のターミナルとして重要な位置を占めているが、平成元年まで、東海道線にホームはなく通過していた。名鉄は金山を過ぎると一駅だけ複々線になる。名古屋〜神宮前間は本線(豊橋方面)と常滑線(空港・知多方面)の列車が重複しており、本数が非常に多く過密ダイヤである。この区間は複々線化されたものの、今でも郊外方面からの列車全てが名古屋まで入ることはできず、一部金山発着の列車がある。

というわけで普通列車で3つ目の神宮前に到着、短かったが普段乗らない私鉄普通列車も良いな。駅ビルもある主要駅。駅を出ると道路の向こうに熱田神宮の緑が広がっている。

乗ってきた3100系2両編成の普通列車

6000系、河和行き特急。昼間の河和方面の特急は通勤電車が主力。
名鉄といえば赤い電車だが最近は無塗装のステンレス車が増えてきた。今年からは新型車両9500系も登場する。

新旧外観の混結も増えたなぁ

東門から入ることもできるが、せっかくなので足を伸ばして正門である南門へ。ちょっと蒸し暑かったが、境内は緑に囲まれて風もあり心地よかった。

神鶏さまに出迎えられる。拝むというよりカメラを向ける対象と化しているが…

本殿をお参りして、茶店で小休憩。ちょっと汗ばんだ体にちょうど良い。

茶店の横に池には立派な亀石がある。見事に亀と思うほどの形。

平日ということで人は少なめかと思うが、それでもそれなりに参拝者がいて、賑わっていた。

西門を出て伏見通りを歩き、神宮西駅から地下鉄名城線で栄に出るとしよう。

令和最初は

年初めの投稿したと思ったらまたすっかりあいて、ついには平成も終わり令和が始まってしまった。忙しさを言い訳にした典型パターンみたいな感じですなwwいやいや、決してこの間どこも行ってなかったわけじゃないすよ…。

ということで、多くの方は10連休となったことでしょうが、如何お過ごしでしょうか。

連休前半はあいにくの天気が多かったり寒くて体調もあまり優れなかったのであまり外に出ず過ごしてましたが、令和元日はちょっと様子見も兼ねて江ノ島に出かけてきました。天皇陛下即位記念乗車券も各所で発売されましたね。朝から長蛇の列になった駅もあり、並ぶの覚悟で買うのは流石にと思っていましたが地元近くの小田急町田駅の様子を見に行ったところほとんど並んでおらず、ここはということで記念に購入してきました。ああ、輝いてますなぁ。やり残したことといえば平成最後の日は雨天ですっかりいえにこもりきりになってしまいました。磁気でもいいから入場券くらい地元の駅に買いに行けばよかったなと思います…。

江島神社も初詣に匹敵するような人の数でした。

江ノ島から、いつもはあまり歩かない腰越方面へぶらり。令和一発目の江ノ電!でもこの日は撮っただけで結局乗らなかった…まあ、混んでますからね…。湘南鎌倉の観光の人気は相変わらずで江ノ電は休日のたびに通勤電車並みの大混雑、この日もこのあと混雑によるダイヤ乱れが起きてしまったようです。全線単線で12分間隔までが精一杯で、現状の設備で維持するしかない状況ですね。

おなじみ、江ノ電もなかのお店にある旧江ノ電の車両。この日はこちらも日章旗で装飾されていました。

江ノ島の後は茅ヶ崎から相模線へ。久しぶりの乗車。全線単線、20分間隔で時代が変わってもマイペースに我が道を走ってるかのような感じ(そりゃそうか…)首都圏のほとんどの路線の車両置き換えが進んだ今も、そして令和になっても全車両205系で残る貴重な路線です。近年はリニューアルされてちょっと様子は変わったようですが。帯の色も、ブルーが前より濃くなったと思います。

今年は11月末に神奈川東部方面線のうち相鉄・JR直通線の開業が予定されていますね。平成のうちに地下鉄を中心とした都心のネットワークはほぼ完成し、平成後期から令和にかけては郊外の新線開業や、乗り入れを中心としたネットワーク拡大の動きにシフトした感じがします。運行系統が複雑化したところもありますが、乗り換えなしで行けるメリットも大きいですね。今後も目が離せないところです。

2019年初詣

今年最初の三連休、でも今度は平成最後の成人の日ということになりますか。そして昨日は東京で初雪が観測されましたね。

というわけで三連休中日は明治神宮へ初詣、日が経って少し落ち着いてきたかなと思ったがやはり明治神宮、まだ人は多めで参拝も20分ほど並んだ。

初詣の後は神宮周辺、代々木八幡へと歩いてみた。あまり歩いたことのなかった小田急線沿い。
唱歌『春の小川』のモデルとなった川(河骨川というらしい)が暗渠になって線路沿いを流れ、その上は小径になっていて線路沿いを歩いて行くことができる。このあたりの電柱も広告ではなく、「春の小川」と書いてあるところが面白い。
歌の記念碑もあるそうだが、歩いていて見つけられなかった。違う方を歩いたか、見落としてしまったかな・・・。

時々くねりながら通る狭い路地は、いかにも川があったことを示すかのようだ。
そしてその横を小田急線が通る。今は絶好の小田急鑑賞スポットとも言える場所だ。
昔は、この小川沿いを小田急の電車が走る構図だったのでしょうか。
当時の写真はどこかでお目にかかれるかな?

というわけで初撮り?がてら少しばかり小田急を撮影、新宿に近く本数が多いので昼でもひっきりなしに電車が来る。代々木上原から西側は立体化されているが、新宿方面は立体化されておらず今も踏切が残る。開かずの踏切というほど閉まりっぱなしではなかったようだが、それでも開いている時間は短く、開いたと思って少しするとまた警報が鳴る感じで忙しそうだった。もっとも、山手通りや西参道など広い道路とは立体化されているし、もうあまり大きく困るほどでもないのだろう。

特急ロマンスカーVSEが通過!

反対側は代々木八幡駅、このあたり線路が南北の方向(代々木八幡が南)なので昼間はもろ逆光だった(笑)。
上下線の間に島式ホームが建設されているがまもなく完成し、今年の3月にはダイヤ改正が行われ、以前から準備を進めてきた各駅停車の10両編成がようやく実現することになる。昨年は念願の複々線化が完成した小田急だが、まだまだ進化は続く。

京都、山崎を巡る旅(2)

あけましておめでとうございます。

そして、平成30年内に更新しようと思ったが諸般事情で年明けてしまいました。二日目は淀屋橋からまず京阪電車で伏見稲荷へ。そのあとは京都観光で、各自行きたい場所を取り入れながら適宜回った。
京阪特急に乗るのも久しぶりだ。

気持ちの良い特急車のシートでついうたた寝してしまう。前日割としっかり寝ただろうに。

伏見稲荷駅には特急が止まらないので、手前の丹波橋駅で接続する各駅停車に乗り換えである。寝過ごさないようにね〜(笑)

というわけで伏見稲荷駅に到着、駅構内からすでに稲荷神社の装飾だ。通常の日曜日でも結構な人出でした。年明けの初詣も大変な賑わいなのでしょうね。大晦日は京阪電車もしっかり終夜運転で頑張ってくれます。

 

駅を出て踏切を渡り参道を歩いていくが、駅を出たところからもうすごい人で危険な感じだった。天気も良かったしスポットとしても人気が高いのだろうか。ついでにこの日は、京都競馬場で競馬開催だったらしく京阪電車も臨時ダイヤで、踏切がなかなか開かないというオマケ付きでした。(笑)

 

神社に向けて少し歩くと、JR奈良線を踏切で渡る。ちょうど近くに稲荷駅がありJR側の伏見稲荷最寄駅となっている。奈良線を走る103系、ウグイス色に警戒帯の入った独特のスタイルは西日本ならではだ。しかしこの光景も新旧交代で貴重なものとなりつつある。そして、その置き換えのためにやってきたのが阪和線で活躍を終えたスカイブルーの205系。関西の205系はもともと数が少なく、行き先が自ずと限られそうな感じはしたものの、なんだか妙な感じだ。

 

というわけで伏見稲荷大社へ。観光客や修学旅行生でいっぱいだ。我々もすっかり修学旅行気分に戻っている(笑)

テレビでもよく見られる千本鳥居もくぐる。真面目に鳥居のトンネルで見応え十分だ。

晴れやかに終えて神社を後にする。
市内に出るルートを決めていなかったが、京都市バスがここからも出ているのでそれで京都駅へ。しかし、昨日のバスの一件から京都市バスに乗ろうとすると運転手さんが誰かと期待してしまうくせが着いてしまった。(笑)
その後出町柳に行って昼食をとる。友人の知っているお店でニシンそばを堪能。

 

出町柳に行ったので、乗らなかったけど叡山電車を駅改札越しに撮ってみる(笑)
最初の相談では行程に入れて比叡山の麓まで行ってみようという案もあったが、今回は外した。この路線も観光路線(特に紅葉の時期は)として、一度は訪れておきたいところだ。またいずれかの機会に!

 

その後も市バスで北野天満宮、金閣寺を回った。金閣寺は中学の修学旅行以来だったから、もう遠い昔の話で覚えてないな。やはり外国人観光客の比率は非常に高い。愛されてるなあ。

 

そうこうするうちにすっかり夕方になった。バスで京都駅に戻り、最後の最後に京都タワーに登って締めくくることとした。

ちょうど京都鉄博の方向ですな。遠くの山々は山崎方面か(もうちょい左かな?)

さて、今年、元号が平成から変わった頃にはどこに行ってることでしょうか。

 

京都、山崎を巡る旅(1)

今年も残す所あと2日になってしまった。例によって更新ペースも落ち気味ではございますが(笑)

というわけでまた友人同士での旅行に出たのを全然書いてなかった。ありがたいことに催促もちょうだいしたことだし、今年最後に書くことにしよう。(笑)

というわけでもう今年の6月のことであるが、土曜朝の6時50分に東京駅に集合、4人を乗せた7時20分の『のぞみ205号』で京都に向かう。またまた朝早いのぉ・・・。東京は悪天候で先の天気が心配されたが、静岡、名古屋と進んでいくうちに晴れていき関ヶ原を越える頃には確実に晴天に向かった。京都に降り立った時はもう爽快な青空で実に気分が良かった。暑くなるのを覚悟したが湿気があまりなく、体感的にもちょうどよく過ごしやすいのもありがたかった。

この日の目的地はサントリーの山崎蒸留所と京都鉄道博物館、まずは午前中に山崎に行って京都に戻りお昼を取ってから鉄道博物館を見て、その後は阪急電車で大阪に移動して難波で飲み食いして宿泊という行程になった。山崎から京都へ戻る形にはなるが、JRで20分くらいなので気になる距離でもない。山崎蒸留所は予約制だが、熱い友人の努力により希望の時間が確保された。そしていつもの通り、乗車券類一切は専門家にお任せする。企画、手配、実行と4人の働きで作り上げた旅というか大イベントだなと実感。

 

京都駅からJR京都線(東海道線)の普通列車に乗り換えて山崎へ。西日本も新型電車に取って代わられてきているものの、湖西線、草津線の117系など国鉄型もまだまだ現役。全身緑色に塗られてすっかり印象が変わってしまったが、見ているとなんだか妙に安心する。近年西日本の国鉄時代からの車両は、経費節減のために以前のツートンカラーから、エリアごとに決められた単色の塗装に改められた。京都周辺は緑、中国地方は黄色、和歌山・紀伊半島方面は青緑色、といった具合だ。東京や大阪の「国電」はもともと単色だったので、見慣れれば大したことはないのだろうが、この変更については元の車両がツートンカラーだった為パッとみるとどうしても違和感が勝ってしまう。117系にしても、やっぱり新快速時代の塗装の方が良かったなぁ。

そんな国鉄車両、ではなく真新しいステンレスカー(321系)で山崎に向かう。国電譲りの4ドアの通勤電車だが窓が大きくゆったりしていて乗り心地が良い。
山崎で下車、大阪に向かって10分ほど線路沿いを歩くとこの地のシンボルたる山崎工場のお出ましだ。JRの大踏切を越えると、もう工場の敷地に入ったかのような感覚になる。というか駅の中の広告も山崎だ。

 

山崎の大カーブは鉄道写真でも人気の高い場所。実際行ってみると大カーブを走る列車というのはやはり見応えがある。以前は国鉄型の数多くの車両が見られたが、最近はすっかり新型車両の天下になってしまった。

 

事務所で受付を済ませ、一同、テンションが上がる。全く詳しくなくても、一つ一つの工程を見て回るワクワク感はたまらない。
ウイスキーは繊細で何通りにもなってしまう奥深いもの、釜の形も色々あって見ているのは面白いが、それによってもやさしさ、力強さなど表現できるものが変わってくるという。

 

テイスティングですっかりほろ酔い加減になる。酒はさっぱり飲めないが本物のウイスキーの味は格別だった。飲んだ感じ、口当たりなどを言葉で具体的に表現してみて、とガイドの方に言われたが、なかなかそこまでは行きつけなかった。

ウイスキーライブラリーではまるで研究所かと思うほどウイスキーが並んでいて見応えがあった。いや、ここはもう工場だけでなく研究所といっても過言ではないだろう。

予定時間をオーバーしたがそんなことは本当にどうでも良いほど楽しい体験であった。

 

水がとにかく綺麗な山崎、出かけたのは6月だったがちょうどその頃には、モリアオガエルの卵を見ることができる。木の枝や葉などにもこもこした白い卵の塊を産み付けるそうだ。これは珍しかった。

 

京都駅に戻って今度は鉄道博物館へ。梅小路の頃に一度きたことがあるがリニューアルしてからは初めてだ。敷地、展示共でかくなって充実している。まずは新幹線0系の前で記念撮影!

ついに元の列車のまま乗らずに終わってしまったトワイライトエクスプレス。瑞風に乗れるのも、きっと夢の中での出来事だろう。(笑)

 

そのトワイライトエクスプレス瑞風の後ろをドクターイエローが通過、架線がちょっとごちゃごちゃしてしまったが、いいことあるかも?

 

SLスチーム号にも乗車体験!トロッコ風の客車に乗って所定のコースをゆっくり往復する。SLブームになってきた昨今。

さて、四条河原町へ向かうべく急行104の京都市営バスに乗りこむが、個性的な運転手さんで非常に忘れられないものとなった。夕方になって少し渋滞気味になったが、持ち前のワイルドなドライビングで回復してくれるし(笑)

 

四条河原町で降りて、河原町駅から阪急京都線の特急で大阪へ。楽しかったがちょっと歩き疲れたか、足の裏に疲労がきていたが快適なシートで思わずうたた寝してしまう。
大山崎駅付近の車窓からは山崎蒸留所が見える。西日がきつかったが無理やり撮影。

京阪間ということで乗車時間40分、あっという間に十三駅、名物の三複線になって淀川を渡れば終点の梅田に到着。うとうとしていたが体を起こす(笑)。
一旦この日の宿に向かって荷物を置き、難波に移動して友人御用達のお店で粉物、串を堪能。今回は絶好調や〜!

 

平成元年の東京の地下鉄路線網

以前、博物館動物園駅公開のことに触れましたが、その時に開いた東京の平成元年1月当時の地図を見返してみました。平成もちょうど終わろうとしていることですしこの30年でどう変わったか、地図を見ながら振り返って見ようと思います!平成の間にすっかりIT、ネットの時代になってグーグルマップがすっかり主力になってしまいましたが、ページをめくるだけで見つけられる紙の手軽さもまた良いものですね。
この当時東京の地下鉄路線網は昔からすればかなり発達してきていたのでしょうが、まだ建設中だったり存在しない路線もあり、依然としてまだまだ発達の最中で、都心部の道路は地下鉄建設ラッシュでした。筆者は完全にガキの頃でしたが、当時比較的近くで南北線の工事をしていたのを覚えています。

東京メトロ
銀座線
日本でもっとも古い地下鉄路線ということで当時からとっくに完成状態みたいな感じですが、当時南北線が未開業ということで、溜池山王駅はない状態です。同駅開業の頃、ちょうど地下鉄開業70周年でイベントが開かれており、鉄道グッズの即売会も行われて、ドアの上についていた溜池山王開業前の路線図を購入していました。
このころでさえ、東京の地下鉄は路線が多くて複雑で面白いな、と思ったものですが、その後南北線、大江戸線、副都心線が開業することになるので、今のごちゃごちゃした路線図に比べたら、当時の都心部はだいぶ余裕があるように見えてきます(笑)

丸ノ内線
この後に地下鉄路線が増えて乗り換え駅が増えた以外は今と変わらないだろう、と思っていたのですが、当時はまだ西新宿駅がなかったんですね。新宿駅の次は、中野坂上でした。

日比谷線
路線自体は特に変わりませんが、当然ながら当時は東横線の乗り入れが普通に行われています。むしろ副都心線の乗り入れでまさか中止になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。
ただ、乗り入れの区間は菊名が終点ではなく日吉までだったようです。
あ、逆にといってはなんですが今は東武線の乗り入れが東武動物公園から、南栗橋まで延長になりましたね。

東西線
こちらも今とはあまり大きく変わらないようにも見えますが、妙典駅がまだない状態です。また相互乗り入れでは千葉県側、東葉高速鉄道がまだないので、東側は総武線津田沼への乗り入れのみの状態です。

千代田線
南北線が全く未開業なので国会議事堂前駅の乗り換えは丸ノ内線だけ。銀座線のところでも触れましたがこのあたりはスッキリして見えます。
小田急線の乗り入れが本厚木までで、唐木田行きがないころです。というか当時多摩線の終点は小田急多摩センターで、唐木田も開業してません(唐木田の開業は翌年の平成2年)。多摩急行という列車種別も当時はないですね。

有楽町線
平成元年ということで、ちょうど昭和63年に新木場まで全通した後です。当時のメトロニュース(懐かしい)で、新木場開業の特集記事があったと思います(残念ながら、遠い昔に多分処分してしまった…)。
ということであまり大きく変わりませんが、のちに副都心線となる池袋〜小竹向原間の新線はまだない状態です。
加えて西武有楽町線も、当時は小竹向原〜新桜台の一駅しかない状態です。西武の車両が走らず、営団の車両を借りていたころですね。練馬まで暫定開業して池袋線と乗り換えられるようになるのは平成6年のことでした(さらに池袋線に直通運転が始まるのは平成10年)。

半蔵門線
短い路線ながら、今日の押上駅全通まで長い年月を要した路線です。平成15年の押上延長までは長らく水天宮前止まりだったわけですが、この当時は水天宮前も開業しておらず一つ手前の三越前まででした。その三越前延長(半蔵門〜三越前間)も昭和63年に開業したばかりで、こちらも開業記念のメトロニュースの特集記事を読んだことがあります。
水天宮前への延長部分は、当時駅名はまだ決まっておらず、仮称の「蛎殻町」となっています。

南北線(当時、7号線)
はい、当時の一つ目の主役登場です!(笑)
全線開業しておらず最初の開業区間となる路線の北端、赤羽岩淵〜駒込の間が工事中でした。路線名も決まっておらず当時は7号線と書いてありましたね。駅名は仮称なので、JRと接続する駒込と王子以外では、赤羽岩淵が「岩渕町」、王子神谷が「神谷橋」と書いてあります。西ヶ原は仮称からそのまま駅名に採用されたようですね。
平成3年にこの区間が初めて開業します。当時子供だった筆者はせがんで乗りに行きましたかね…。

副都心線
はい、当時は地図上影も形もないです。一応地下鉄13号線として計画は存在したでしょうが(実際有楽町線の小竹向原〜和光市間は13号線ですね)、この路線を介して東武東上線、西武池袋線、東急東横線の相互乗り入れが始まるなど普通は想像もつかないことだったでしょう。

都営地下鉄
浅草線
このあたりは変わらないだろうと思ってたら、思わず目を見張る場所が一箇所ありました。宝町と人形町の間は、今は日本橋駅ですが、その当時の名前は江戸橋駅だったんですね。当時としては別になんてことはなかったのでしょうが、当時浅草線に縁がなかったのでこれは珍しく思いました。
あと、北総線(当時は北総・公団線)は、新京成線と接続する北初富から千葉ニュータウン中央間しか開業しておらず、浅草線乗り入れも始まっていません。そのため南側は京急線、北側は京成線に乗り入れるだけでした。この当時、北総線のことは知る由もなかったですが、このころは新鎌ヶ谷駅が未開業で、北初富経由で松戸まで乗り入れていた頃でしょうか。

ちなみにこの当時京成線の成田空港駅はまだ移転前で、現在の東成田駅にあたります。京急も、空港線は今でこそ名実ともに羽田空港アクセス路線になり浅草線も乗り入れていますが、当時は空港線といいながらターミナルに直結しない単なる支線で、浅草線の乗り入れもない状態でした。羽田空港の拡張、新ターミナルもまだ開業前のことですね。

三田線
目黒〜三田間が未開業で、三田〜西高島平間の路線でした。というか三田線はこの状態でも普通に長い路線ですし、長らくこの状態でもう完成みたいな感じがしており、当時は南北線と合流して目黒に延長し東急線に乗り入れるなど知る由もなかったですね。東急線も当時はまだ目黒〜蒲田間がばりばり目蒲線でありました。こちらもこの年から12年後に、まさか二つに分断されることになるとは…。

新宿線
平成元年1月の時点では一つ手前の篠崎止まりです(本八幡開業は同年3月のことです)。乗り入れの京王相模原線は橋本まで開業しておらず、前年に京王多摩センターから南大沢まで延長されたばかりでした。

大江戸線(当時、12号線)
こちらも開業しておらず、北端の練馬〜光が丘間が建設中として描いてあるだけです。南北線とほぼ同じ時期の平成3年にこの区間が初めて開業することになります。その後、山手線と並んで東京を一周する大動脈路線になるとは、まだ想像もつきませんでしたね。南北線は開業直前に路線名が決まったのに対し、こちらは開業しても長らく名前がなく12号線と呼ばれてましたね。大江戸線の名前で賛否分かれたと思いますが今となってはすっかり定着しています。

こうして見ると、この30年だけでもこんなに変わったんですね!
結構、面白かったです。(笑)

さて今度は元号が変わった後のことになりますが、地下鉄路線網はひとまず完成はしたものの、神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)が開業して相鉄線から東急線経由で、東京メトロ南北線・副都心線、都営三田線への乗り入れとまだ地下鉄をめぐるネットワークは拡大しそうです。

京成線 旧博物館動物園駅 一般公開

さて、11月の三連休真っ只中、そして平成もまもなく終わろうとしている頃ではありますが、そんな中平成9年に営業休止になった京成電鉄の旧博物館動物園駅が、実に21年の時を経て一般公開されました。

初めてニュースで見たのは勤務休憩中のことでしたが、まあ一人でソワソワしてましたね。(怪しいわ…)とはいえ営業休止になったのは平成9年(その後平成16年には廃止)、まだ幼かったし特に沿線住民でもないので京成線も乗ったことない頃です。ただ、地図を何気なく見ていてこのあたり上野公園の中を通る京成線に、「博物館動物園」というなんだか読みづらい長い名前の駅が存在したことは記憶にありますし、駅舎がレトロな洋風建築を思わせる特徴的な造りで新聞記事に出ていたこともありましたかね。ちなみに地図は平成元年発行のミニマップで自宅で保管していましたが、しっかり載っていました(ちなみに地下鉄路線図を見ると、副都心線がないどころか南北線も大江戸線も、路線の端っこの方が「建設中」として載っているだけですね…)。その後、もう休止後ではありますが上野公園あたりを散歩して駅舎を見る機会があったり、通過する京成線の車内からホームを見ることはありました。薄暗くて不気味でしたが何かそそられるものがありました。ホームにある有名なペンギンの壁画も、この目でゆっくり見てみたかったものです。

三連休だししばらくは凄い人なんだろうなと思い、直ぐに行くのはやめておこうかな?とは思ったのですが、ちょうど日暮里に行くことになったので、帰りにちょっとだけ様子を見てきました。

案の定、駅舎の周りは人だかり!中に入るには整理券が必要ですが、今日の分の配布はすでに終了したとのこと、聞こえてきた感じだとやはり朝のうちに予定枚数が終わってしまったようで、整理券を持った方々が信号の向こうからずっと並んでいて大変な人気ぶりです。というかこの勢いで営業再開なんてことは考えるのは、私だけではないはずです。(笑)

おお、今まで閉ざされていた、駅舎の口が開いている!

 

今回は単なる駅の公開だけでなくインスタレーション作品が展示されており駅舎にふさわしいアートとのコラボレーションという形になっています。中に入ることは叶いませんでしたが、外からちょっとだけ様子を伺うことができました。駅舎の天井部分初めて見ましたが中のつくりも芸術的ですね。それ以上に中のアナウサギさんもインパクトがある…。

公開は来年2月24日までの金、土、日曜のみで、また入れるのも階段の踊り場までだそうですが、ガラス越しに上りホームに隣接した改札の部分まで見ることができるようです。まだ始まったばかりですし、落ち着いた頃にでもまた来てみようかと思います。

奈良井にて

奈良井宿に沿って走る中央西線、宿場をざっと一通り歩いてみたあとは線路沿いを歩いてみる。まずは主力の383系特急『しなの』

 

ちょうど奈良井で通過待ちする普通列車があり、しなのに続いて発車した313系普通列車。このあたりは特急街道で、日中ダイヤでは特急が1時間に1本あるのに対し普通列車は2時間に1本程度と極端に少ない。

沿線の路上にあった「線路横断禁止」の注意書き。昔ならばまだあり得たのかもしれないが、現代の都会に住む者にとっては、踏切以外で線路を渡るなんて考えもしないもので奇妙なものだ。
しかし、わざわざこうして書いてあるからには、今もここを渡る人がいるということである。

実は奈良井のあたりは直接鉄道を横断できる箇所が少なく、地元に古来よりある道(赤道というらしい)が線路を横断していて、地元の人が横断に使っているようだ。建前上は横断を認めるというわけにはいかないので「横断禁止」となっているが、実態としてはもともと道があった以上完全に締め切ってしまうわけにもいかず、止む無く目をつぶる感じで渡ることができる構造にしてあるようだ。
そんなことなら鉄道開通の時に踏切を一つでも作っておけばよかったのに、と思うがようやくその動きが起きて、もうすぐこの付近に歩行者用踏切が一箇所設置されるそうだ。実際、線路沿いを歩いてみてわかったが、鉄道を普通に横断できる箇所は宿場の南の方に踏切が一箇所と、北側奈良井駅の近くに線路を潜る地下道が一箇所あるくらいだった。中間のあたりから線路の反対側に行こうとすると、かなり大回りしなければいけない状況である。危険ではあるが、多少無理もないところだろうか。ちなみに筆者は、ちゃんと踏切と地下道を使っております。念のため。というか線路を渡る勇気はさすがにない…。

線路の反対側には奈良井側が流れており、木曽の大橋が掛かっている。木製の立派な太鼓橋で奈良井宿のシンボル。

 

奈良井宿の駐車場には蒸気機関車C12形が保存されていた。
中央西線は電化が比較的遅く、昭和48年まで蒸気機関車が走りD51も活躍していたようだ。機関車復活の動きも最近盛んになってきましたね。