平成元年の東京の地下鉄路線網

以前、博物館動物園駅公開のことに触れましたが、その時に開いた東京の平成元年1月当時の地図を見返してみました。平成もちょうど終わろうとしていることですしこの30年でどう変わったか、地図を見ながら振り返って見ようと思います!平成の間にすっかりIT、ネットの時代になってグーグルマップがすっかり主力になってしまいましたが、ページをめくるだけで見つけられる紙の手軽さもまた良いものですね。
この当時東京の地下鉄路線網は昔からすればかなり発達してきていたのでしょうが、まだ建設中だったり存在しない路線もあり、依然としてまだまだ発達の最中で、都心部の道路は地下鉄建設ラッシュでした。筆者は完全にガキの頃でしたが、当時比較的近くで南北線の工事をしていたのを覚えています。

東京メトロ
銀座線
日本でもっとも古い地下鉄路線ということで当時からとっくに完成状態みたいな感じですが、当時南北線が未開業ということで、溜池山王駅はない状態です。同駅開業の頃、ちょうど地下鉄開業70周年でイベントが開かれており、鉄道グッズの即売会も行われて、ドアの上についていた溜池山王開業前の路線図を購入していました。
このころでさえ、東京の地下鉄は路線が多くて複雑で面白いな、と思ったものですが、その後南北線、大江戸線、副都心線が開業することになるので、今のごちゃごちゃした路線図に比べたら、当時の都心部はだいぶ余裕があるように見えてきます(笑)

丸ノ内線
この後に地下鉄路線が増えて乗り換え駅が増えた以外は今と変わらないだろう、と思っていたのですが、当時はまだ西新宿駅がなかったんですね。新宿駅の次は、中野坂上でした。

日比谷線
路線自体は特に変わりませんが、当然ながら当時は東横線の乗り入れが普通に行われています。むしろ副都心線の乗り入れでまさか中止になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。
ただ、乗り入れの区間は菊名が終点ではなく日吉までだったようです。
あ、逆にといってはなんですが今は東武線の乗り入れが東武動物公園から、南栗橋まで延長になりましたね。

東西線
こちらも今とはあまり大きく変わらないようにも見えますが、妙典駅がまだない状態です。また相互乗り入れでは千葉県側、東葉高速鉄道がまだないので、東側は総武線津田沼への乗り入れのみの状態です。

千代田線
南北線が全く未開業なので国会議事堂前駅の乗り換えは丸ノ内線だけ。銀座線のところでも触れましたがこのあたりはスッキリして見えます。
小田急線の乗り入れが本厚木までで、唐木田行きがないころです。というか当時多摩線の終点は小田急多摩センターで、唐木田も開業してません(唐木田の開業は翌年の平成2年)。多摩急行という列車種別も当時はないですね。

有楽町線
平成元年ということで、ちょうど昭和63年に新木場まで全通した後です。当時のメトロニュース(懐かしい)で、新木場開業の特集記事があったと思います(残念ながら、遠い昔に多分処分してしまった…)。
ということであまり大きく変わりませんが、のちに副都心線となる池袋〜小竹向原間の新線はまだない状態です。
加えて西武有楽町線も、当時は小竹向原〜新桜台の一駅しかない状態です。西武の車両が走らず、営団の車両を借りていたころですね。練馬まで暫定開業して池袋線と乗り換えられるようになるのは平成6年のことでした(さらに池袋線に直通運転が始まるのは平成10年)。

半蔵門線
短い路線ながら、今日の押上駅全通まで長い年月を要した路線です。平成15年の押上延長までは長らく水天宮前止まりだったわけですが、この当時は水天宮前も開業しておらず一つ手前の三越前まででした。その三越前延長(半蔵門〜三越前間)も昭和63年に開業したばかりで、こちらも開業記念のメトロニュースの特集記事を読んだことがあります。
水天宮前への延長部分は、当時駅名はまだ決まっておらず、仮称の「蛎殻町」となっています。

南北線(当時、7号線)
はい、当時の一つ目の主役登場です!(笑)
全線開業しておらず最初の開業区間となる路線の北端、赤羽岩淵〜駒込の間が工事中でした。路線名も決まっておらず当時は7号線と書いてありましたね。駅名は仮称なので、JRと接続する駒込と王子以外では、赤羽岩淵が「岩渕町」、王子神谷が「神谷橋」と書いてあります。西ヶ原は仮称からそのまま駅名に採用されたようですね。
平成3年にこの区間が初めて開業します。当時子供だった筆者はせがんで乗りに行きましたかね…。

副都心線
はい、当時は地図上影も形もないです。一応地下鉄13号線として計画は存在したでしょうが(実際有楽町線の小竹向原〜和光市間は13号線ですね)、この路線を介して東武東上線、西武池袋線、東急東横線の相互乗り入れが始まるなど普通は想像もつかないことだったでしょう。

都営地下鉄
浅草線
このあたりは変わらないだろうと思ってたら、思わず目を見張る場所が一箇所ありました。宝町と人形町の間は、今は日本橋駅ですが、その当時の名前は江戸橋駅だったんですね。当時としては別になんてことはなかったのでしょうが、当時浅草線に縁がなかったのでこれは珍しく思いました。
あと、北総線(当時は北総・公団線)は、新京成線と接続する北初富から千葉ニュータウン中央間しか開業しておらず、浅草線乗り入れも始まっていません。そのため南側は京急線、北側は京成線に乗り入れるだけでした。この当時、北総線のことは知る由もなかったですが、このころは新鎌ヶ谷駅が未開業で、北初富経由で松戸まで乗り入れていた頃でしょうか。

ちなみにこの当時京成線の成田空港駅はまだ移転前で、現在の東成田駅にあたります。京急も、空港線は今でこそ名実ともに羽田空港アクセス路線になり浅草線も乗り入れていますが、当時は空港線といいながらターミナルに直結しない単なる支線で、浅草線の乗り入れもない状態でした。羽田空港の拡張、新ターミナルもまだ開業前のことですね。

三田線
目黒〜三田間が未開業で、三田〜西高島平間の路線でした。というか三田線はこの状態でも普通に長い路線ですし、長らくこの状態でもう完成みたいな感じがしており、当時は南北線と合流して目黒に延長し東急線に乗り入れるなど知る由もなかったですね。東急線も当時はまだ目黒〜蒲田間がばりばり目蒲線でありました。こちらもこの年から12年後に、まさか二つに分断されることになるとは…。

新宿線
平成元年1月の時点では一つ手前の篠崎止まりです(本八幡開業は同年3月のことです)。乗り入れの京王相模原線は橋本まで開業しておらず、前年に京王多摩センターから南大沢まで延長されたばかりでした。

大江戸線(当時、12号線)
こちらも開業しておらず、北端の練馬〜光が丘間が建設中として描いてあるだけです。南北線とほぼ同じ時期の平成3年にこの区間が初めて開業することになります。その後、山手線と並んで東京を一周する大動脈路線になるとは、まだ想像もつきませんでしたね。南北線は開業直前に路線名が決まったのに対し、こちらは開業しても長らく名前がなく12号線と呼ばれてましたね。大江戸線の名前で賛否分かれたと思いますが今となってはすっかり定着しています。

こうして見ると、この30年だけでもこんなに変わったんですね!
結構、面白かったです。(笑)

さて今度は元号が変わった後のことになりますが、地下鉄路線網はひとまず完成はしたものの、神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)が開業して相鉄線から東急線経由で、東京メトロ南北線・副都心線、都営三田線への乗り入れとまだ地下鉄をめぐるネットワークは拡大しそうです。

投稿者プロフィール

smith
学生時代に旅行好きから発展(?)して鉄道好きになり、かれこれ10年以上ヒマを見つけては主に乗り鉄を楽しんでいます。
最近は車両面などの関心も強まって少しずつ撮り鉄にもなりつつあります。興味対象についてはあまり限定せずに幅広く、程よくがモットー、のつもりでおりますが本ブログでどれくらい反映出来るか、果たしてどうでしょう?(笑)まあ基本旅中心なので主に行きたいと思う所ベースに選んでます。
あ、ちなみにハンドルネームの「smith」はちょうど自分が受験戦争前後だった頃にテレビでやっていたロボットアニメの影響(?)から、何気なく使ってるものです。。。

どうぞお楽しみに!!!
カテゴリー: 未分類   作成者: smith パーマリンク

smith の紹介

学生時代に旅行好きから発展(?)して鉄道好きになり、かれこれ10年以上ヒマを見つけては主に乗り鉄を楽しんでいます。 最近は車両面などの関心も強まって少しずつ撮り鉄にもなりつつあります。興味対象についてはあまり限定せずに幅広く、程よくがモットー、のつもりでおりますが本ブログでどれくらい反映出来るか、果たしてどうでしょう?(笑)まあ基本旅中心なので主に行きたいと思う所ベースに選んでます。 あ、ちなみにハンドルネームの「smith」はちょうど自分が受験戦争前後だった頃にテレビでやっていたロボットアニメの影響(?)から、何気なく使ってるものです。。。 どうぞお楽しみに!!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です