smith の紹介

学生時代に旅行好きから発展(?)して鉄道好きになり、かれこれ10年以上ヒマを見つけては主に乗り鉄を楽しんでいます。 最近は車両面などの関心も強まって少しずつ撮り鉄にもなりつつあります。興味対象についてはあまり限定せずに幅広く、程よくがモットー、のつもりでおりますが本ブログでどれくらい反映出来るか、果たしてどうでしょう?(笑)まあ基本旅中心なので主に行きたいと思う所ベースに選んでます。どうぞお楽しみに!!!

紀伊半島一周の旅(4)

二日目を迎えた紀伊半島の旅。紀伊田辺で一泊して、朝7時51分の新宮行き普通列車で出発する。もう少しゆっくりしていたい気もするが、列車は本数が少ないので早めに行動する必要がある。今日は午前中に白浜を観光した後、昼は紀伊勝浦に移動して午後は那智山に行った後、勝浦で宿泊する行程とした。
本当は串本でも降りて観光してみたかったが、旅行の直前まで考えた末に白浜に絞り込んだ。広い紀伊半島、列車での旅の場合移動の時間や距離には制約があり、二泊三日では仕方ないが限られてしまう。串本は本州最南端で潮岬の灯台などは一度行ってみたいところ。またの機会にしよう。

紀伊田辺から先は単線になり本数もぐっと少なくなる。普通列車の車両は昔からの、105系2両編成がワンマン運転。白浜は紀伊田辺から3つ目と近い。

駅からバスに乗り名勝の三段壁、すぐ近くの千畳敷と回る。いずれも自然の造形美で圧倒される。グランドキャニオン、というとちょっと大袈裟だろうか。でも負けないくらいのインパクトはあるだろう。

三段壁は洞窟になっていて、エレベーターで降りて見学することもできる。ここは降りない手はない。華厳の滝みたいな感じだ。

洞窟の中にまで波が入ってくるが、外は完全に太平洋(外海)なので波の勢いが半端無い。しかも今日は波が高めということで特に勢いづいていたようだ。インディージョーンズの世界。

源平合戦の折、この地で活躍した熊野水軍が船を隠したと言われる。その時の様子を再現したスペースも設けられている。

歩いてほど近い千畳敷にも行ってみる。波の浸食によりできた独特の地形。まさに息を飲む光景。歩いて降りて行けるので行ってみるが、この時はもう風がハンパなくて前に進めない、というか目を開けるのも辛いほどだった。
そばにお土産屋さんを兼ねたレストハウスがあり立ち寄ったが、冬の白浜は特に風が強く、この時期には「春待ち風」という強風が吹くことが書かれていて納得した。そしてここではそれのために「立ちはだかる逆風と戦うマント」を借りることができるらしい。先に来ておれば、スーパーマンになれたのか。。。

自然を堪能してお土産屋で紀州名物を物色したところで、元の道を戻る。
白浜の中心部、ホテルが密集している場所に白良浜がある。名前の通り白い砂が美しい、関西屈指の砂浜でワイキキビーチとも姉妹なのだとか。たしかに、写真だけ見せられてホノルル行ったと言われても一瞬わかんないかも???独特な名前だが、白浜の語源となった砂浜だそうだ。

少し歩いていたら、案の定記念撮影のシャッター係を頼まれた。ここはもう、誰でもシャッターを押したくなる場所だ。
今は冬だが、一度は是非とも夏に訪れてみたい場所だ。(ものすごい人なのだろうが・・・)

温泉地として名高い白浜。海岸の近くにも足湯があるのが特徴的。
せっかくなので少しつかって足の疲れを癒す。これはポカポカになる。

バスで白浜駅に戻る。今日のところは乗車距離があまり長く無いし、柔軟に対応できるように特急の指定席はとっていない。ちょうど良さそうな時間の列車として、白浜11時30分発、特急くろしお3号の自由席にしようと思い、それに間に合うバスに乗った。しかしバスが少し遅れてきた上、途中から大荷物を抱えた乗客が多数乗りこんで時間がかかり、それでまた遅れてしまった。白浜駅の乗り換え接続時間は6分間だったが、間に合うか・・・。
少しヒヤヒヤしたが、途中の停留所はそれほど乗る人がいないためバスはそれなりに遅れを取り戻し、列車発車の2・3分前くらいに白浜駅に到着。なんとか列車の到着までに、ホームに入ることができた。
ふぅ〜、まあ旅にはこんなハプニングも時々ある。
さて、少し駆け足だが次は紀伊勝浦に移動して勝浦観光といこう。

紀伊半島一周の旅(3)

現在紀州鉄道は西御坊が終点でその先は廃線となっているが、線路跡が残っており、600mほど行ったところにかつての終点だった日高川駅の跡がある。

西御坊駅付近、車止めで塞がれているがその先一部線路が残っている。

 

終点の日高川駅付近の様子。線路に加えて踏切も「使用中止」の札がかけられたまま残されている。長年風雨にさらされてちょっと痛々しいが、ここまで残っているのも珍しいと思う。

線路周辺に路地が多いため訪問するのは容易だが、現地に書いてある通り線路内は紀州鉄道の敷地となるので、立ち入ったりしないように。

 

少し行くと日高川駅の跡地がある。ここも線路が残っていて終着駅を示すかのように線路の分岐も残っている。こうしてみると今にも列車がやってきそうな雰囲気。ちなみにここから少し行くと駅の名前になっている日高川が流れている。

 

その日高川の堤防を兼ねた県道から見下ろした日高川駅跡、奥が御坊方面。

 

西御坊周辺にきてから雨が再び降り出してしまったので、さっさと西御坊駅に戻る。簡素な駅舎はあるが、ホームまで屋根付きでありがたい。自動販売機も置かれている。時間限定で駅員がいるようで駅員室の設備があるが、この時は無人だった。
駅の壁面には地元の写真家による写真がいっぱい貼られていてにぎやかだ。

無人状態の改札の横には発車時刻表が貼られている。全ての列車と、御坊駅で接続するJRの列車が書いてある。わかりやすくて有難い。ただ、見ての通り終電は20時台と早い。。。

鉄道ファンの多いローカル私鉄らしく、ノートが置かれておりメッセージが書かれている。私も一言書かせて頂いた。頑張って下さい。

 

「日本一短いローカル私鉄」の看板もある。以前は「日本一短い鉄道」だったが、平成14年に関東に芝山鉄道(東成田〜芝山千代田間2.2km、途中駅なし)が開業して、日本一の座を明け渡した。しかし今でも短い部類の路線であることには変わりない。ちなみに芝山鉄道は東成田折り返しはなく全ての列車がそこから京成線には乗り入れているので、あまり日本一短いという実感は薄い。

 

終端部と日高川駅方面を望む。

 

紀伊御坊行きの列車が到着。

 

いよいよ列車に乗る。16時15分発の列車に乗るのだが路線が短くすぐ往復できてしまうため、折り返しになる下り列車は15時34分着、40分も前に入線してきた。路線が路線だけに到着した列車の乗客は、やはりこの路線目当てという感じがする。運転手さん一人になった車内に乗り込む。席に座ると「せっかく来てもらったのに、雨で申し訳ないですね〜」と、こちらが申し訳なくなるような一言をいただいて思わず笑ってしまった。訪問客にも慣れたものである。短い路線だがボックス式のクロスシートが備わり、座り心地はよかった。

静かだった構内に力強いエンジン音が響く。
数名の乗客を乗せて時刻になり発車。ワンマン運転のため自動でのアナウンスが入る。各駅に止まるが隣の市役所前はホームに乗客がおらず、ドアが開かずに発車した。なんだかバスみたいだ。しかし歩いてきてもわかった通り駅間は本当に短く、ほとんど徐行運転と言えるほどのスピードだが、それでもすぐに着いてしまう。

運賃は初乗り1kmまで120円、全線2.7kmを乗り通しても180円である。一見すると安く感じるが、全長2.7kmはJRの初乗り運賃3kmの範囲に収まってしまう数字であり、東京のJR(電車特定区間)の初乗りが140円なので全線乗ると少し高くはなる。駅の距離が非常に近くて本数が少ないところもあり、地元の利用は学生などを除くと厳しい状況である。乗る時は整理券を取るのかと思うとそうではなく、降りるときに車内に出ている運賃表を見て運賃だけを支払う方式である。

紀伊御坊、学門で少し乗車があった。学門では名前の通りで夕方の帰宅時間でもあったので学生の乗客が乗って来た。
少し賑やかになった車内だがあっという間の時間、御坊の中心部を離れて田園風景の中を走り、紀勢本線に合流して終点の御坊に戻って来た。

御坊駅ではJRの駅構内に紀州鉄道のホームが設けられており、改札もJRの改札を通って出入りする。ただし運賃は紀州鉄道の車内で払ってしまうため、その時に運転手さんから清算済票を手渡され、それを駅の改札で渡して外に出ることになる。御坊駅の紀州鉄道のホームは一線のみで、番線は珍しい「0番線」となっている。奇妙な番線で主要な駅ではその後の整理でなくなった駅が多いが、今でも各地探してみると意外と存在していることがわかる。関東では東京の綾瀬駅や千葉の四街道駅に0番線が残っている。

 


一旦改札を出て駅外で用を足し、今度は再びJRに乗る。今日はこの先の紀伊田辺で一泊する。
ここからは普通列車の紀伊田辺行きに乗る。和歌山〜御坊間は紀勢本線の中でも乗客が多いためか4両編成の列車が多いが、ここから先は2両編成ワンマンの列車が主力となっている。113系の先頭車化改造車でのっぺりした食パン顔の車両にあたった。

再び山々をトンネルで抜けながら走る路線となるが、113系らしくモーター音を立てながらの重厚な走りっぷり。17時近くなって日も暮れて来た。途中印南町、みなべ町を過ぎていく。南部駅は一部特急が停車する大き目の駅だが乗客が少なく、すぐに発車してしまった。
芳養駅を過ぎる。「はや」と読む難読駅名。そこを過ぎるとやがて市街地に入り、車窓が賑やかになってくる。終着駅で、今日の目的地である紀伊田辺に到着した。

田辺市の中心駅で規模も大きく、すべての特急が停車するほか普通列車もほとんどがここで終着・乗り換えとなる。拠点駅ということで駅構内には留置線が数多くあり、車両が停泊している。複線区間もここまでで、この先は終点の亀山まで単線となる。和歌山駅からの距離は95.2kmあり、ここまででも結構な距離である。
駅舎は、1932年の開業当時からのもので洋館風のレトロなものである。

外に出るとまだ相変わらずの雨。濡れるので写真もそこそこにこの日の宿へ。明日は半島をさらに南下して白浜、紀伊勝浦方面へ向かう。

紀伊半島一周の旅(2)

御坊駅で降りる。お目当ての紀州鉄道との接続駅だが、列車には乗らず駅を出て街を歩く。紀州鉄道自体全長2.7kmと短く、歩くのや走るのが好きなら普通に行けてしまう距離ではある(こんなことを書いては、乗って欲しい方にとっては申し訳ないだろうが)。また紀州鉄道が1時間に1本の運行で、特急からの乗り換え時間がだいぶある。ちょうど御坊着が12時55分とお昼になったこともあり、今回は昼食をとって御坊の街を散策しながら終点の西御坊までいき、そこから紀州鉄道に乗って御坊駅に戻るルートをとった。

大阪から和歌山にかけて移動するところでは雨が降っていたが、御坊に降りたときには小ぶりになり少しすると止んでくれた。散策をするにあたってはありがたい。

御坊市は紀伊半島の西側、和歌山県の中部に位置している。名前は、浄土真宗の本願寺日高別院がかつて御坊様と呼ばれ親しまれていたことに由来するようだ。地名は「ごぼう」と読むが、「おぼう」とも読める。子供の頃から地図を眺めるのが割と好きで、当時のアニメ『おぼっちゃまくん』(懐かしい!)もあり、和歌山の南の方にたまたま「御坊」の文字を見つけた時には「おや?」と思った記憶がある。(笑)本筋からは外れるが、まあ思いかえすとあの漫画はすごい破壊力だったと思う。古き良き80年代かな。いまやそんなバイタリティ(?)を世間にもたらすものも、なかなか出てこない気がする。

さて、「古き良き」というところでこれから本当にその手の鉄道を訪問するわけだ。沿線の各駅を回りながら歩く。御坊から西御坊まで2.7kmの間に、学門、紀伊御坊、市役所前と、3つも途中駅がある。全長が短いので駅間も当然短く、最初の区間である御坊〜学門の間だけは1.5kmあるものの、それ以外では次の駅まで、わずか300m〜600mしか離れていない。御坊駅から、市の中心と海の方へ向かって伸びており、かつては御坊臨港鉄道という鉄道であった。その後の再編を経て現在は紀州鉄道となっているが、経緯的な所もあり不動産が主力事業で、本社も和歌山ではなく東京日本橋にある(途中の紀伊御坊駅には事業所がある)。

 

市内を通る県道26号と交差する踏切から。単線、非電化の路線、ディーゼルカーがコトコト走る風景が連想される。

 

最初の駅は学門駅、学びの門ということで受験生などの縁起担ぎで入場券などのグッズでもしられる。しかし実態は無人駅でここでの購入はできず、隣の紀伊御坊駅(有人駅)で販売している。学門という駅名は和歌山県立日高高等学校・附属中学校に由来し、実際に学生の利用が多いようだ。

御坊の街は比較的狭い路地による昔ながらの町という感じだ。このあたりから市の中心部に入っていく。御坊もそうだが、JR(旧国鉄)の駅は市の中心から大きく外れており、中心部の交通は地元の私鉄やバス、路面電車が担っていることが多い(金沢、松山なども同様)。

 

学門から数分歩くともう紀伊御坊駅、300mほどしか離れていない。有人駅で立派な駅舎と車庫が付いており、紀州鉄道の中心的な駅である。駅舎では先の学門駅の入場券など、グッズを色々と売っている。記念に、硬券の乗車券セットを購入する。

 

 

駅周辺は御坊の中心部で商店街となっている。

駅の横にはかつて紀州鉄道で使用されていたキハ600形が静態保存されている。オリジナル車両にも見えるが、かつては大分交通で使用されていた車両とのこと。

 

よく見るとそばにはお弁当、サラダ巻などと書かれたのぼりが立っている。今はお店として営業しており車内で飲食できたりお弁当を買えたりするようだ。長年親しまれてきた地元の車両、大事にされていると思う。

 

紀伊御坊駅に来たところで、ちょうど御坊行きの列車がやって来た。1時間に1本、全線の所要時間もわずか8分(往復16分)なので途中駅での行き違いがなく、1両の列車が往復するだけである。今ではオーソドックスな気動車による運行である。

 

駅から少し西へ向かうと国道42号線に出る。紀勢本線とともに紀伊半島をぐるっと回る国道だが、市内でも主要な幹線道路となっており交通量も多いようだ。今となっては多くの地方都市に共通してしまう光景だろうがここでも国道周辺の方が、店舗が多く発達している状況である。

 

国道を南下するとやがて御坊市役所が見えてくる。市役所の先の角を入ってすぐのところに、市役所前駅がある。学門駅同様無人駅で、駅舎もなく簡素な作りである。紀州鉄道は市役所前〜西御坊にかけて、国道に並行するように走っている。

 

次は早くも終点の西御坊、再び国道42号を歩く。
列車は少ないのに、車の量は本当に多い。

 

西御坊駅。かつてはここから先にも線が伸びており日高川駅が存在したが廃線になっている。そちらについては、後ほど回る。

西御坊駅の近くには市名の由来ともなっている日高別院があり、その周辺には昔ながらの建築が並ぶ古い町並みが広がっている。一部の建物は公開されている。観光として歩くのも楽しい。

昔ながらの細い路地と建物。細い道と、この道の曲がり具合など、ブラタモリにでも取り上げられそうな光景。

 

丸い郵便ポストもある。昔は地元にもあったっけ。

 

風情ある建物が並ぶ。あいにく、御坊に降りてから止んでいた雨が西御坊にきてまた降り出してしまったのだが、歩いていて気持ちがよかった。

 

登録有形文化財に指定されている、旧中川家住宅。昭和初期の邸宅で当時の建築技術を多用したつくり。昔はこのような家屋も多く見られたのだろうが、今や貴重なものである。

 

御坊の由来となった日高別院。この時は門がしまっていた。中には幼稚園もあるとのことで、参拝の時間も限られているようだ。でも門だけでも雰囲気がある。この先も良い旅となりますように。

紀伊半島一周の旅(1)

すっかり忙しい中で、昨年出かけた高山のこともまだ書き終えていない状態ですが(笑)
気晴らしにまた乗り鉄してみたくなり二月の三連休で旅行に出た。行き先は、前々から行ってみたかったが、東京からだと鉄道での到達には時間がかかり、なかなか実行に移さずにいた紀伊半島に行ってみることにした。

というわけで、紀伊半島をぐるりと回るJRは紀勢本線と、途中和歌山県は御坊から出ていて以前は日本一短い鉄道としても知られていた紀州鉄道を今回のメインにすることとした。

三連休初日の2月10日土曜日、いつもの通り新横浜駅からのぞみに乗り込む。三連休とあって、行楽客でホームはスーツケースを持った人や家族連れで埋め尽くされている。
まずは新大阪へ向かい、そこから紀勢本線に入る特急くろしおに乗り換える。天気は良かったが寒い。北陸方面などは大雪で大変な状況である。そんな気候を示すかのように、新幹線の車窓から見える富士山は美しい雪化粧で笠雲までかぶっている。新幹線にとっても泣き所となる関ヶ原周辺では、降ってはいなかったもののやはり辺り一面、雪景色となっていた。

関東を出る時の天気は良かったが、大阪に近づくにつれ怪しくなり雨が降り出した。今日の天気は残念ながら、和歌山方面は雨だ。このところすっかり天候に祟られているし、普通の雨ならむしろまだありがたい方だと思わなくてはならない。

新大阪で降りる。寒い・・・。
コンコースに出るとまたすごい人だ。在来線ホームに移動して、特急くろしおが発車する11番線に降りる。紀伊半島方面への観光客か、ここでも結構な人がおり指定席券は売り切れとのアナウンスも入っていた。指定券を買っておいて良かった。しかし私の隣に座る人は、どういうわけかいなかった。

地形の厳しい紀伊半島では海沿いを走る区間が多く、景色は美しいが自然災害のリスクとも隣り合わせである。台風の通り道ともなりシーズンになると風雨の被害も多いが、もっとも恐れられるのは、大地震発生時の津波である。初めて紀伊半島方面の列車に乗ったが、列車には津波避難の際の用具や手順などが備えられており、特急の座席にもパンフレットが入っている。また半島内の各駅にも避難を促す表示が出ていたり、各所の高い建物は「津波避難ビル」として指定されている。

新大阪を発車すると列車は梅田貨物線を走る。しばらく東海道線(JR京都線)と並行するが、淀川を渡り終えると右カーブして分かれる。大阪駅は直接通らずに、阪急中津駅など大阪駅の北側を通っていく。福島駅近くで高架になって大阪環状線に合流する。貨物線ではあるが特急くろしおや、関空アクセスの特急はるかがこの線路を通る。よってこれらの列車は大阪駅を経由せず、新大阪駅から直接和歌山・関空方面へと直通する。
環状線で大阪の街をしばらく走るが、本数が多いこともあってか速度はゆっくりである。天王寺で結構人が乗って、ここからは阪和線、その先和歌山駅からは紀勢本線に入る。くろしおは一部を除き、阪和線内はノンストップである。

阪和線内でもあまり速くなかったが、途中日根野を過ぎると関空方面の列車がなくなって余裕ができるためか速度が上がってくる。同時に和歌山との県境が近づいて峠越えのような感じになっていく。途中山に入り長いトンネルを抜けると和歌山県、峠を抜けると一気に平地に降りて、紀ノ川を渡って和歌山に着く。阪和線の終点で、紀勢本線、和歌山線と接続するため構内は広く、ターミナル駅という感じがする。

ここから紀勢本線となる。和歌山から新宮まではJR西日本、新宮から先亀山まではJR東海の区間となっており、JR西日本の区間では「きのくに線」の愛称が付いており、案内で用いられている。なお、和歌山駅から南海線の和歌山市駅まで単線の路線が存在し、それも紀勢本線の一部とされているが、支線の位置付けであり普通列車が折り返し運転している。

和歌山駅はターミナルとはいえ途中駅のような構造で、紀勢本線も途中の紀伊田辺まで複線化されていることもあり、和歌山近郊は阪和線の延長のような感じもする。言われないとわからないかもしれない。ただ、紀伊半島に本格的に入り陸地はほとんど山になってしまうため、トンネルを交えながら山々と海が連続する車窓となり景色はだいぶ変わって見える。阪和線に比べると全体的に本数も少なくなり、駅も主要駅以外はローカル色が強い感じがする。
桜で有名な紀三井寺を過ぎて、海南市に入り高架の海南に停車する。海沿いということもありこの辺りの都市は工業都市が多く、海沿いはもっぱら化学工場が占めており工業地帯の景色になっている。

カーブやトンネルを繰り返しながら進む。山と山の間、あまり広くないところに町が広がってそこに駅があるような感じだ。
やがて御坊に到着、御坊市の代表駅で紀州鉄道との接続駅。まずはここで降りて御坊の町を歩きながら、紀州鉄道を訪問する。

高山の旅(2)

名古屋発、特急『ひだ』での高山本線の旅。岐阜からはいよいよ高山本線に入る。
岐阜駅は立派な高架駅だが、高山本線に入ると単線になりすぐ高架を降りる。
同じ岐阜駅に乗り入れている東海道本線、高山本線、どちらも「本線」ではあるが、その格差は非常に大きい。
高山本線は岐阜駅から、飛騨地方経由で北陸は富山駅までを結ぶ。路線長は225.8kmと長く、美濃太田や高山といった沿線の主要都市を結び本線の風格はあるが、大半が山間部を通るため主要都市周辺以外の利用客は少ない。特急は岐阜〜高山でだいたい1〜2時間に1本程度、普通列車は名古屋近郊となる岐阜〜美濃太田間は本数が多いもののそれでも30分に1本程度で、それ以外の区間では昼は3〜4時間も列車が来なかったりする。全線が単線、非電化路線で、特急は、JR東海のキハ85系が4〜7両編成で走り本線の特急らしい感じだが、普通列車は1〜2両編成の気動車がコトコト走り完全にローカル線の運行形態である。岐阜から富山県に入ってすぐの猪谷までがJR東海、その先猪谷〜富山間がJR西日本の管轄となっており、特急以外は猪谷を境に車両も異なっている。

岐阜からはまず東へ向かい、各務原や鵜沼といった周辺の市街地を走っていく。本数が一番多い区間だが、ここでも単線である。ちなみに岐阜〜鵜沼間は名鉄各務原線と並行しており競合関係にあるが、名鉄側の方が複線で本数も多く優位に立っている。私も名鉄各務原線は、一度乗ったことがある。
大幅に遅れてはいるが徐行することなく、特急らしく走る。ただし単線なので所々で行き違い待ちのため運転停車はある。

鵜沼では並行してきた名鉄線が犬山に向かって離れていく。名鉄(犬山線・各務原線)は新鵜沼という駅名だが、連絡通路で繋がっており乗り換え可能である。以前は高山本線の富山側と名鉄犬山線は連絡線で繋がっており、名鉄の新名古屋駅から高山本線に乗り入れる特急『北アルプス』が運行されていた。小田急のJR御殿場線直通『あさぎり』などとともに数少ない私鉄・JRを直通する特急で、私鉄の気動車特急としても珍しいものであった。

 

鵜沼までは平野部に広がる市街地といった感じだったが、ここからは少し山越えのようなルートになり木曽川に沿ってカーブしながら走る。山を越えて盆地に出てくると町が広がって、美濃太田に着く。美濃加茂市の中心駅で、太多線や長良川鉄道が分岐し、高山本線の駅では利用客が多い。なお、岐阜から運行されている普通列車の多くは、ここから太多線に乗り入れて多治見へと向かう。普通列車はここまでが1時間に2本程度(約30分おき)の運行だが、ここから先高山方面へ向かう普通列車は極端に少なく、平成30年1月時点の時刻表では下りで見ると9時57分発の下呂行きの次は、なんと12時39分発の高山行きまで3時間近く来ない。この間に特急が3本走るダイヤとなっており、この先利用が多いのは、特急の止まる主要駅に限られることを物語っている感じがする。

 

途中坂祝で少し長めに運転停車した以外あまり異変がないような感じだったが、美濃太田の時点で列車の遅れは50分になっていた。
美濃太田を出ると太多線と分かれて北へ進むようになる。しばらくは美濃加茂の市街地を走り車窓は賑やかだが、やがて本格的に山間部に入っていく。飛騨川の渓谷沿いに走り、上麻生〜白川口間あたりは飛水峡と呼ばれる渓谷となっている。車窓からでも迫力十分、自然の叡智が感じられるスポットの一つである。

 

 

そうかと思うと少し走ったところで上麻生ダムを通過する。完全に人工物ではあるが、これもまた間近で見ると迫力がある。私はダムには詳しくないが(笑)、ダムもまた一つ一つ違っていていろいろと見ていると面白いことだろう。ダム好きにとってここはどう思われるでしょうか。しかし、こんなにダムのすぐそばを走る鉄道路線もそんなに数多くないだろう。

ダムから少し走ると白川口、ここでも運転停車する。同じ岐阜県内に、世界遺産にもなり有名な白川郷(白川村、この旅でも最終日に訪問した)があるがそちらのことではなく、ここの駅でいう白川は、沿線にある白川町のことを指している。私も駅名だけは前から聞いたことがあったが、ずっと白川郷の玄関口だと思っていた。地図を見ると全然場所が違う。
上りの普通列車を待ち合わせるがなかなか来ず、長時間停車した。ダイヤ乱れで上り列車もかなり遅れているようだ。単線であることもさることながら、この辺りは駅間距離が特に長く、間を埋めるために信号場も設けられているものの列車の行き違いは特に一苦労である。

飛騨金山通過、ここから下呂まで28kmの間、川の両岸は中山七里と呼ばれ国定公園に指定されているそうだ。列車は鉄橋を渡りながら川のこっち側向こう側と行ったり来たりしている。そして断崖の下の川岸のわずかな部分に線路が続いている。建設も一苦労だったことだろう。

そして1時間3分の遅れで下呂に到着。あたりは日本三名湯の下呂だけあって、温泉旅館に囲まれて車窓は賑やかだ。ちなみに、翌日に下呂温泉を訪問するスケジュールで行程を組んでいる。

この先も反対列車待ちが長く飛騨萩原、上呂と停車、長い…。

飛騨一ノ宮を過ぎ、山から町へと入ってようやく高山に到着。結局1時間の遅れとなり時刻はとうに18時を回っていた。通常なら、ひだ13号は高山着17時10分である。

ともあれなんとか高山に着くことができた。実質的には明日からの観光だが楽しみである。
この日は名物の高山ラーメンで締めくくった。

お伊勢参りですが…(4)

最終回をまだ書いていなかったな。携帯を初期化したおかげで写真がなくなってしまった。もっとも今回天候や状況もあったのでろくな写真を撮っていない。

二日目を迎えた伊勢旅行。この日はどう考えてもとんだ一日になることが明白だった。予想されていた台風襲来の日である。そして昨日から見ている天気の情報では「伊勢湾台風」に匹敵するという文字まで飛び込んできた。ルートもそのような感じらしく、これが現実になったらと思うともう不安しかない。

前日の疲れもあってゆっくり目に寝たがまだ寝足りない気分。カーテンを開けたら外は相変わらずの大雨。冴えない一日の始まりだ。朝食をとってこの日のプランを相談する。
予定では猿田彦神社に行き、その後内宮、おかげ横丁と回って、宇治山田からしまかぜで帰ることになっていた。早めに帰りたい気分がこの時からあってその方向にすることを話してみたものの、プランの都合で列車の変更の自由が利かずせっかくきたので回りたいということもあって、宿を早めに出たこと以外は予定どおり決行することになった。今となっては、そこで無理してでも帰っておくという選択肢も有りだったと思う。が、その渦中にいる時というのは人間は得てして場の空気に少なからず飲まれるので、冷静な判断はなかなか下せない。ある意味そのことをまた思い知らされたような気がする。

送迎バスに再び揺られてまずは鳥羽駅へ。バスを降りるともうどしゃぶりだ。
近鉄鳥羽線の普通電車で五十鈴川へ。そこからバスに乗って内宮方面へ向かうが手前で降りて、まずは猿田彦神社へ。昨日の蛙のところでも出てきたな。

しかしもう最初から雨が酷過ぎて、びしょびしょだ。この後、内宮にも向かったわけだがずっとそんな展開。
その時はその時だったが、今からして思えば常軌を逸しているといっても過言ではなかった。
四人で出かけたもののちょっと割れ始めの空気、いつしか、私と、よく一緒に旅をしている友人の二人だけは、先をゆく二人の後方に距離を置いて歩いている。この時点で少し割れかけた関係性になっているところもある点、はたから見れば失敗も同然な感じだ。

参拝後、おかげ横丁の食事処に入る。名物の松坂牛が供されるお店で牛肉コロッケを食べる。つかの間の休息といった感じで美味かった。しかし体もカバンも靴の中もビショビショでタオルもすっかり水を吸ってしまった。
ここまできた時点で一応の目的はほぼ終えており、あとはお土産だけ買って帰ってもよかった。しかし、一同はまだおかげ横丁を懲りずに、うろうろしようとする。それにさっき内宮の時もそうだったが五十鈴川が増水しており半端な状況ではない。これはもうここで打ち切って早く帰った方がいい。

ということでまだ予定列車まで時間はあったが、内宮前からバスに乗って宇治山田駅へ向かった。しかしその車中で恐れていたアナウンスが耳に入ってしまう。
帰路で乗ることになる近鉄名古屋線で、一部区間運転見合せの情報が入ってしまったのだ。原因は列車のパンタグラフ破損ということで、この時点では人災であろうことが考えられた。しかしなんといってもこの天候、何があってもおかしくなく、このまま天候の悪化で遅れがひどくなったり運休に追い込まれる可能性もあった。ともあれ、まずは駅に行こう。もしかしたらなんとか復旧するかもしれない。

宇治山田駅に到着した。列車は運休しており広い待合所は足止めされた乗客が集まっていた。とりあえず状況確認と、できることを考えながら過ごす。止まっていたのは名古屋線だけで大阪線は動いていたので、やろうと思えば難波や京都方面に出てそこから新幹線で帰ることも可能で、その選択肢も頭にはあった。ただ、時間がまだ早かったことと、名古屋での新幹線が夜遅い時刻で予約されていたため、名古屋線が復旧すればまだ帰れる可能性があった。しかし、いつまでたっても復旧のめどが立たないという情報が流れるばかりだった。

そうこうするうちに、大阪線も青山町〜伊勢中川駅で運転見合せになってしまい、完全に孤立状態になった。時刻は16時近くなったが、四人のうち二人は何か考えがあってか案内所に行って今後のことを考えようとしたようだ。私と、もう一人別の友人が待合所で待ち続けることになった。自分の頭の中では最初から、名古屋線の復旧を待つか大阪に出るかの二択しか持たなかったが、この時点で明確に後者に決まった。
やっと四人揃い、今後のことについて今から宿を確保してこのまま伊勢に留まることも含めて少し議論になった。が、時刻はすでに16時30分、ここを逃したらあとはないと思って、強行に大阪へ出ることを推して進むことにした。作戦としては伊賀神戸駅までなんとか、そこから近鉄大阪線で大阪に一旦出て、新大阪から新幹線に乗ることを考えた。
今から考えれば、この大阪へ出てから帰るプランも100%成功する保証はどこにもないし、正直一か八かだった。しかしだからといって、伊勢に安全な方法で止まることがこの段階から実現できるか、実現できてもその先どう展開するかもわからないので、どちらの選択にしろ良い状態が保証されたものではない。それだったら一歩でも目的地に近づいたほうがよかろうとの思いだったし、友人たちには悪いゆえ口にはあまり出さなかったが、筆者は「最悪列車ホテルになっても構わない」と思っていた。確かに列車ホテルは叶うならあまりいたくはない。しかし、それは密室である上に狭いところに長時間同じ格好をしていることへの不快、不安の大きさからくるとも言える。エコノミー症候群やその他体調不良のリスクがないわけではないという点は確かにある。しかし、外気に触れない室内に居られるという点では、外よりも安全性は高いのだ。少なくとも、外に出られてもその先安全の確保された場所に行ける見込みがすぐになければ、むやみやたらに外に出ることは考えものだと思う。(実はこのあと宇治山田駅は私たちが出たあと夜になって冠水した。宿泊先が取れなかった場合、最悪駅にずっととどまることになる選択も全くないわけではない)

宇治山田駅から他の近鉄の駅に向かう交通手段をどうするかがまず問題だった。とりあえずタクシー、ということになるが移動しようと思う人で早い者勝ち状態になっていることは明白だった。しかしなんとも運の良いことに、友人が声をかけたタクシーが行ってくださることになった。早速皆合流して乗り込み、運転手さんに一同お詫びとお礼をする。感謝の気持ちでいっぱいだ。

どしゃぶりの雨の中を走る。伊勢自動車道に乗るが高速で走るとワイパーが役に立たないほどの雨量。しかしさすがプロのドライバーだった。当初の案ではレンタカーを借りて名古屋まで行こうという話もあり、私もそれも一理あるとは思ったもののこの大雨での運転と、道路渋滞の可能性から新幹線にいつ乗れるかという不安はあった。
松阪のインターで降りて、青山峠に向かって進む。峠道という感じでこれから帰る気が全くしないルートだ。伊賀神戸駅にようやく到着。改めて感謝の意を伝えていよいよ近鉄大阪線に乗る。
ここからは大阪上本町行きの急行に乗り、鶴橋駅で大阪環状線、大阪駅からJR京都線で新大阪に出る作戦だが、果たしてうまくいくか。いや、いくと信じるしかない。
山間部の駅を各駅に止まりながら順調に進む。荒天であることが嘘のような走りっぷり。今回ばかりは名古屋線が止まってしまったものの、近鉄はどういうわけか天災に割と強い傾向がある。
しかし安心したのもつかの間で、奈良県内に入り大阪が近づく頃状況はますます酷くなり、近鉄大阪線も沿線の土砂崩れ等で東の方から運休の区間が拡大し伊賀神戸方面もついに止まってしまった。つまり文字通りの間一髪で、あと少し遅かったらそこで足止めになっていた。
列車はなんとか走ったものの、奈良や大阪方面でも大雨による川の増水が起き始め、iPhoneにもそれを知らせる警報が流れ始めた。車内は警報の大合唱で不安が余計募る。

やっと鶴橋に到着して大阪環状線に乗り換え。とりあえず大阪都心には到達できてあと少しというところ。しかし天災の波はなおも迫ってきて、大阪駅について新大阪まで一駅移動という所でコンコースの発車案内に異変、JR京都線の運休を知らせる文字が無情にも出てしまった。
とうとうここで、、、と思いそうになるがせっかくここまできたのにという思いも。幸い、大阪〜新大阪間はJRだけでなく地下鉄御堂筋線でも移動できる。大勢の人波の中を足早に地下鉄乗り場へと移動する。御堂筋線は動いてるか、動いてた!
不謹慎だろうが、また一つゲームのステージクリアをしたような心地で新大阪に移動した。

いよいよ最後の関門は新幹線。みどりの窓口には長蛇の列だったが、なんとか列車を確保した。もともとプランで予約されて居たこともあり列車の変更というわけにはいかず改めて指定券を買い直す形だったが、乗れるだけありがたい。あまりの状況にもう細かい時間まで覚えていないが、この時点で午後9時はとうに過ぎていたことだけは覚えている。
残り少なくなった弁当を買って新幹線ホームへ。大雨のシャワーの洗礼を受けた車両ばかりでまた不安が募るが、とりあえず『のぞみ』乗ることはできた。全くシャレを言っている場合ではないが「のぞみ」がつながったことに、一同ほっと胸をなでおろす。
大雨の影響で途中大きく徐行運転したりはしたが、幸い列車ホテルとなることはなかった。東京に帰り着くことができた。よくぞまあ本当に帰ってこれたと一同驚嘆しかなかった。帰宅した時には夜中の1時を回っていた。

今回の旅行は友人の発案だったわけだが、その友人は仕事先でお客様から伊勢に行くことを提案されたことがきっかけだったという。今にして思えばこの旅行と、この経験をしたというのも何かの縁で、さすがに細かいところまで事前に予見されたとまでは言えないものの、私たちはこの旅に行くことによってある意味一つ試されたのだと思う。

旅は楽しいものだが、リスクとも隣り合わせだ。特に2017年の旅はほぼ毎回襲われることになったが、天災はどうしようもない。そう行った意味では冒険である。リスクのある状況では、どれだけの備えをしておくことができるかと、危険に遭遇した時にどんな選択をするかが問われる。今回は選択の部分も含めて非常に試された感じがするし、大いに勉強になった。あまりこんなことをいうのもと思うが、やはり人間こういった状況は人生の中で経験しないと真の成長はなかなかできないんじゃないかと思う。今回は祈りと感謝がテーマみたいなものだったが、ここであまり宗教的なことを触れてもどうかと思うからよそうとは思うものの、祈りもさることながら日頃の行いというか、特にこういった危機的状況を経験させてもらってそれに対してどう対処するかというところを見られている気がするし、(不謹慎かもしれないが)こう言った経験をさせてもらったことについても、自分は感謝したいと思う。

高山の旅(1)

更新が滞ったまま年明けを迎えてしまった。ということで2017年夏のことにはなるが、以前から行って見たいと思っていた岐阜県は飛騨高山に行ってみることにした。ついでに高山本線も初乗車となる。
行程としてはまずは東海道新幹線で名古屋へ。新横浜9時32分発の、のぞみ215号で名古屋に10時54分に到着、そこから11時43分の高山本線特急ひだ9号に乗り換える、はずだった。

東京を離れるときは天気も良く幸先の良いスタート、と思っていたが静岡県内あたりからちょっと空模様が怪しくなる。数日前に犬山あたりがゲリラ豪雨で、犬山城のしゃちほこが落雷で破損するほどの状態となり高山本線も運休になっていた。以前に書いた北陸日帰りの旅も大雨で予定変更を余儀なくされたばかりだった。

が、またも不安が的中。新幹線車内のテロップには無情にも高山本線運転見合わせ、特急ひだも運休との文字が…。ひゃああ!またも東海地方を記録的大雨が襲い、犬山、各務原、美濃太田方面で局地的にゲリラ豪雨となったのであった。高山本線の岐阜〜美濃太田間、名鉄の一部区間で運転見合わせとなってしまった。
今やもう夏に雨が降るとなると、タダでは済まないようだ。

雨の名古屋に降りる。運休の高山本線、この天気ではしばらくは動きそうにない。大人しく運行再開を待つが、まあ暇である。名古屋で観光しても良いのだがそれが目的ではないし、どこかへ行っている間に運転再開の情報が入る事を考えたら、あまり名古屋駅から離れたところには行きたくなかった。
事前に買っていた特急の指定券を払い戻し、矢場とんで昼食をとる。名古屋駅周辺は、昼食の間に天気が回復してすっかり晴天になった。だが列車はなかなか再開の気配がなく、運行情報を気にしながら駅構内をウロウロしたり、ドトールに入って時間を潰す。名古屋から高山方面へは高速バスも出ているので、念のためバスセンターで高速バスを調べたりもした。そうこうするうちに13時頃になってようやく高山本線が運行再開し、14時48分発予定のひだ13号に乗れることになった。
やれやれ。。。

特急券を買い直し、改めてホームへ。コンビニでコーラとおやつを仕入れておく。運転再開したとはいえ当然ながらダイヤは大幅に乱れている。高山本線は全線単線ということもあって、ダイヤの回復は難しい。なかなか列車が来ないしすることもないので、ホームに発着する在来線の列車の写真を撮りながらボーッと過ごす。名古屋も三大都市の一つで日中も乗客が多く、東海道や中央線は6・7両くらいの列車が走り本数も多い。一方で名古屋から西へ向かう関西本線は乗客が少ないのか、昼でも2両編成が見られる。近鉄が並行していて、そちらの方が乗客が多く本数も多い。

 

大都会名古屋でも昼間は2両編成、ワンマン運転の関西本線(313系)。のんびりしたものだ。

中央本線の313系8000番台。かつて運行されていたセントラルライナー用だったため特別な塗装となっている。

上りのひだが遅れて名古屋に14時58分頃にやっと到着、そのためひだ13号は約30分遅れて15時17分発となった。ともあれ、はじめての特急ひだでようやく高山本線の旅の始まりである。

 

高山本線自体は岐阜が起点で、名古屋〜岐阜間は東海道本線に乗り入れている。岐阜駅では構造上、直進して高山本線には入れずスイッチバックして入ることになる。座席の向きは高山本線での進行方向に合わせているため、名古屋〜岐阜間は逆向きとなっており、慣れていないとちょっと違和感を感じる。

名古屋の天気は回復しているものの、岐阜方面の空はまだ薄暗い。ダイヤ乱れの影響で列車はしばしば徐行運転したり、途中止まる箇所もあった。木曽川を渡るが茶色く濁り水量も明らかに多い。一部の木も倒れかかっている。一部の木も倒れかかっていて豪雨の爪痕を見せつけられる。

岐阜から高山本線に入るが、ここから単線となりダイヤ乱れのため反対列車待ちで長く待った。岐阜の時点で43分遅れとなる。
もっともこんな状況下ではあったが無事に乗れたことに、まずは感謝である。

乗り納め2017

さして更新できなかったが、もう2017年も終わりか…。(笑)

ということで毎年恒例となりつつある乗り納めの日帰り旅へ。行ってみようかと思いつつもなかなか実行してなかった栃木県は佐野へ向かってみた。

北千住から東武の特急りょうもう号に乗る。各線帰省ラッシュで新幹線や特急は大混雑、多分に漏れず東武特急も日光・鬼怒川方面はもう満席との放送が入る。特に事前予約したわけではなく券売機で特急券を買うつもりだったので、買えるかどうか確証はなかった。ダメだったら急行で向かうつもりだったのでかなり時間には余裕を見ておいたが、りょうもうの方は幸い空席があり無事購入できた。東武線自体あまり乗らないし、せっかくならりょうもう号に乗ってみたかった。

北千住駅では特急はほかの列車とホームが分けられており、中間改札で仕切られている。特急券を持っていないと入ることはできない。

日光方面は満席との放送が繰り返し入る。列車の時間が近づくとスーツケースを持った人たちや家族連れが集まってホームは人で埋め尽くされた。

11時2分発のりょうもう11号に乗る。こちらはまだ空席はあったが、乗客は多い。しかし最近の特急は車内放送も四ヶ国語が主流になったか。なんだか長い…。

快適なシートに揺られて11時51分に館林に到着。

館林で佐野線に乗り換える。以前はレトロな感じの駅舎が特徴的だったが、時代は流れて今や真新しい橋上駅舎になっている。

ここから先普通列車はワンマン運転、列車が発車するときにはメロディーが鳴るが、佐野線は色・ホワイトブレンドである。伊勢崎方面は、デイドリームビリーバーだった。ほかの駅はメリーさんのひつじなど童謡だった気がするが…。

佐野線にも2005年頃に乗って以来だな。

渡瀬を発車して北館林の解体所を過ぎる。最近は日比谷線系列の車両置き換えがたけなわで、03系、20000系が複数留置されていた。廃車前というか普通に竹ノ塚あたりの光景と変わらない。

渡良瀬川を渡る。鉄橋もちょっと古く、速度も程よいところがのんびりした感じを醸し出す。

栃木県に入りいよいよ佐野市内へ。東武線は市の中心部を回り込むように走っており、南側に佐野市駅、中心部近くに佐野駅がある。なお、車内でもアナウンスされているがJR両毛線の乗換駅は佐野駅。佐野市駅ではないので間違えないように案内される。

今回は佐野市駅で降りる。佐野市の中心部には近いが、北関東の主要都市の趣か、昔ながらの街並みが広がる。

駅前の道路を10分くらい北に向かうと厄除け大師に通じる。

参拝の前に腹ごしらえ。佐野といえばラーメン。厄除け大師の前のラーメン店で佐野ラーメンを食する。ラーメンにも色々あり、好みも別れるだろうが佐野ラーメンは青竹で打ったコシのある麺が特徴、味もオーソドックスな醤油の味で個人的には一番しっくりくる。餃子も大き目で食べがいがあったな。

そして佐野厄除け大師へ。

初詣を控えてもう準備万端という感じだ。関東の三大師、として年末年始になるとテレビコマーシャルでも毎年のように放映されている。そこで名前は昔から知っていたものの、実際に行くことはなくちょっと気になっていた。まだ平静だったが、初詣になると殺到するんだろうな。境内は大勢の人が並ぶことを想定してかパイロンで仕切られ、参拝順路も一方通行で決められていた。

立派な境内だ。久しぶりのお寺に心も落ち着く。ちょうど護摩を焚いていたようだった。

来年の益々の繁栄を願って、佐野からお別れです。では、良いお年を!

お伊勢参りですが…(3)

どしゃぶりの雨の中、外宮をお参りして次の場所へ。友人の運転する車で昼食がてら二見浦の夫婦岩へと向かった。

昼食はメンバーも食べたがっていた伊勢うどん。お餅のようにもっちりした食感に濃いたまり醤油のたれ、まるで磯辺餅をうどんにしたような食感が特徴。うまい。

食事を終えてそのまま歩いて夫婦岩へ。台風の接近もあり海はすでに荒れ放題。

あたりは岩場で波が激しく打ち付けるが、この光景から何か連想されるものがある。

東映!(笑)

映画の一番最初、岩に波が打ち付けて「東映」というロゴが出てくる映像。子供の頃アニメ映画を見に行っても必ず最初にこれが出てきたわけだが、本編と無関係の実写、しかも自然の厳しさを想起するような映像は妙に何か訴えてくる感じがするし、子供にとってはちょっと怖いものとして映ったかもしれない。なんでこんな映像なのか不思議に思ったものだ。ちなみに調べて見たらこの映像は犬吠埼で撮られたものらしい。
実は、私は頭に連想されたものの先に「東映」と口にしたのは友人だった。東宝のキラキラしたロゴと並んで、日本人なら一度は見ているであろうこの光景、アニメや映画好きなら本編と同じくらい脳裏に焼き付いているものだろう。

二見興玉神社にお参りする。
そういえばこの辺りは蛙の像を数多く見かける。猿田彦神社(翌日に参拝した)の神様の使いなのだそうだ。

夫婦岩を回って、次は宿泊予定の鳥羽へ向かう。予定ではこれまたパワースポットの、いちべ神社にお参りして、鳥羽駅でレンタカーを返して宿に向かうことになっていた。
いちべ神社は友人が見つけたもので私は知らなかったが、鳥羽市内のホテルの中にある神社である(どこにあるかはまあ調べてください)。ホテルの中と思ってしまうのだが、有名人、スポーツ選手も密かに訪れるパワースポットだそうである。ちなみに建立されたのはホテルよりもはるかに前の江戸時代は文政年間とのこと。
宿泊しない単なる参拝者も多いのだろう。ホテルのロビーに立ち寄らずに駐車場に車を止めると、いつも通りといわんばかりにホテルの女性係員が駆け寄ってきて「参拝ですか」と尋ねられた。しかしなんとこの日は悪天候もあって早く閉めてしまったそうだ。通常なら参拝は15時までである。

予定外の動きになり、もう宿泊地の鳥羽まで来てしまったので時間がだいぶ余ってしまった。この後の時間をどう潰すか。有識者会議にて、志摩方面の観光地を回るか、そこまで行って戻ってこれるのかなどいろいろ議論した結果、せっかくクルマなんだし伊勢志摩スカイラインでも走ってみるのはどうか、ということで落ち着いた。

伊勢志摩スカイラインは、伊勢神宮周辺と鳥羽とを結ぶ有料道路で、海沿いから朝熊山に登って降りるルートで山頂付近からのパノラマが良く知られている道路である。ということで実はこの道路を通ると、鳥羽から神宮方面へと逆戻りしてしまうことになるのだが、実はここでちょうどいい(?)事実に気づいたのだった。レンタカーを鳥羽で返すつもりだったが、最初宇治山田駅で借りるときにドライバー君がそのことを伝え忘れており、宇治山田駅で返却しなくてはならなかったのだった。普通なら凹むところだろうが「そんならちょうどいいじゃん!」と、一同大爆笑。。。

ということで車は伊勢志摩スカイラインに入るが、入り口の料金所で係員の一言

「今日は何も見えないですよ!」
「いえ、いいんです!」

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またまた爆笑の渦の中、山を登り始める。この悪天候、係員のいう通り山上はすっかり霧の中で何も見えない。片側一車線の道路だが、こんな天候の中わざわざ走る人はおらず、対向車は数えるほどしかこない(笑)
車中のBGMは友人のセレクションだが、懐かしの90年代アニメ、スラムダンクのテーマソングがメドレーで流れている(懐かしすぎる・・・)。景色は見えないけど、俺らには違うものが見えるんだ!終始爆笑、熱唱、まつたくなにやってんだか・・・(笑)

山頂近くのドライブインに車を止めるが、駐車している車も人の姿もほとんどない。店に入ると売店のおじさん以外、誰もいない。。。そして、寒い。。。

ドライブインには天空のポストなるポストが設置されている。しかし、残念ながらこの天候…。

下山の道になる。そしてBGMもいつのまにかSMAPに変わっている。心憎いことに割と初期のからの選曲、私もあの頃の曲が一番好きだな。彼らが解散して、もう一年経とうとしているのか。いつも変わらずにいるような存在みたいな感じだっただけにあの解散は、歴史の一ページが更新されてしまったように思えてならない。

山を下りきって再び神宮周辺の道を走る。まさかここに戻ってくるとは全く考えていなかった。(笑)

宇治山田駅で車を返却して、再び近鉄電車に乗って今度こそ鳥羽の宿へと向かう。
宿で風呂に入り、一日の疲れを癒す。お部屋での食事に思い出話もまた弾む。

京王 二代目5000系登場

番組の途中ですが…(笑)

京王電鉄では、来年の春から座席指定列車を運行予定ですが、そちらに使用予定の新型車両5000系が、今年9月から運行を開始しています。

まだ数が少なく、当初は割と限られた運用になっていたことも有りなかなか目撃することができませんでしたが、このほど営業列車に使われているところを偶然、捉えることができました。

昭和38年に登場し、名車として親しまれた5000系の称号を引き継ぎ、二代目5000系とも呼ばれるこの車両。京王線で初めての座席指定列車と、通勤輸送の両方に使用できるよう、クロス、ロングの転換ができる座席を京王で初めて採用しています。

高尾駅に入線する各停高尾山口行きの5000系。京王線は通勤電車ということで直線的な形状が多かったですが、5000系ではスピード感を意識してか流線型のデザインになっているのが特徴です。

今回は実際乗らなかったのですが(笑)、人が少なかったのでちょっと失礼して外から車内の様子を。

まだ普通の列車に使われているので、座席はロングシート状態での運行です。ただし、クロスシートにすること前提なので、他の路線の特急車両のものと同じように背もたれが高く、頭にあたる位置には枕、肘掛までちゃんとついています。特急も含めてすべてロングシートの通勤車両しかなかった京王にとっては初めての設備です。座席の色は落ち着いた感じで良いですね。

また電源のコンセントがすべての座席に設置されているそうです。新幹線や特急車両でも標準になりつつありますがPCやスマホを持ち歩くのが当たり前の今では、嬉しい設備ですね。

トイレまでついていたらもう完璧ですが、そこまではついていません。もっとも京王線の運行距離では、そこまでいらないか…(笑)

一般の列車にも使用されるので、外見だけみると4ドアのありふれた通勤電車の外観で9000系と大きく変わらない印象です。クロスシート状態にしたときに柱が気にならないようにしたのか、窓の形がちょっと変わった感じです。

筆者は上り準特急に乗るつもりだったのですが、これもたまたま!高尾山の緑にラッピングされた8000系がやってきました。思いがけないツーショットです。

まだ座席指定列車の運行ダイヤや愛称など、詳細は発表されていませんが、乗り入れしている都営新宿線でも試運転を行ったようで、新宿発だけでなく乗り入れの列車も出来るのでしょうか? 西武鉄道でも地下鉄・東急線に乗り入れる座席指定のS-TRAINが運行されていることだし、地下鉄乗り入れも不思議ではない話です。

2008年から小田急ロマンスカーが地下鉄千代田線に乗り入れたのを筆頭に、東武東上線でTJライナー、西武鉄道のS-TRAINと、近年は座っての通勤、帰宅を実現すべく、通勤路線・地下鉄での座席指定列車がトレンドになってきました。小田急ロマンスカーは時間があったときに何度か乗ったことがありますが、結構人気があるのか満席近くまで埋まっていることが多く、本数も運行開始当初より増えています。追加料金はかかりますが、煩わしい満員電車から解放されて、ゆったりとした車内で座って帰れるというのは、やはり気持ちの良いものです。

来年春の座席指定列車の運行開始が待ち遠しいですね。