smith の紹介

学生時代に旅行好きから発展(?)して鉄道好きになり、かれこれ10年以上ヒマを見つけては主に乗り鉄を楽しんでいます。 最近は車両面などの関心も強まって少しずつ撮り鉄にもなりつつあります。興味対象についてはあまり限定せずに幅広く、程よくがモットー、のつもりでおりますが本ブログでどれくらい反映出来るか、果たしてどうでしょう?(笑)まあ基本旅中心なので主に行きたいと思う所ベースに選んでます。 あ、ちなみにハンドルネームの「smith」はちょうど自分が受験戦争前後だった頃にテレビでやっていたロボットアニメの影響(?)から、何気なく使ってるものです。。。 どうぞお楽しみに!!!

令和最初は

年初めの投稿したと思ったらまたすっかりあいて、ついには平成も終わり令和が始まってしまった。忙しさを言い訳にした典型パターンみたいな感じですなwwいやいや、決してこの間どこも行ってなかったわけじゃないすよ…。

ということで、多くの方は10連休となったことでしょうが、如何お過ごしでしょうか。

連休前半はあいにくの天気が多かったり寒くて体調もあまり優れなかったのであまり外に出ず過ごしてましたが、令和元日はちょっと様子見も兼ねて江ノ島に出かけてきました。天皇陛下即位記念乗車券も各所で発売されましたね。朝から長蛇の列になった駅もあり、並ぶの覚悟で買うのは流石にと思っていましたが地元近くの小田急町田駅の様子を見に行ったところほとんど並んでおらず、ここはということで記念に購入してきました。ああ、輝いてますなぁ。やり残したことといえば平成最後の日は雨天ですっかりいえにこもりきりになってしまいました。磁気でもいいから入場券くらい地元の駅に買いに行けばよかったなと思います…。

江島神社も初詣に匹敵するような人の数でした。

江ノ島から、いつもはあまり歩かない腰越方面へぶらり。令和一発目の江ノ電!でもこの日は撮っただけで結局乗らなかった…まあ、混んでますからね…。湘南鎌倉の観光の人気は相変わらずで江ノ電は休日のたびに通勤電車並みの大混雑、この日もこのあと混雑によるダイヤ乱れが起きてしまったようです。全線単線で12分間隔までが精一杯で、現状の設備で維持するしかない状況ですね。

おなじみ、江ノ電もなかのお店にある旧江ノ電の車両。この日はこちらも日章旗で装飾されていました。

江ノ島の後は茅ヶ崎から相模線へ。久しぶりの乗車。全線単線、20分間隔で時代が変わってもマイペースに我が道を走ってるかのような感じ(そりゃそうか…)首都圏のほとんどの路線の車両置き換えが進んだ今も、そして令和になっても全車両205系で残る貴重な路線です。近年はリニューアルされてちょっと様子は変わったようですが。帯の色も、ブルーが前より濃くなったと思います。

今年は11月末に神奈川東部方面線のうち相鉄・JR直通線の開業が予定されていますね。平成のうちに地下鉄を中心とした都心のネットワークはほぼ完成し、平成後期から令和にかけては郊外の新線開業や、乗り入れを中心としたネットワーク拡大の動きにシフトした感じがします。運行系統が複雑化したところもありますが、乗り換えなしで行けるメリットも大きいですね。今後も目が離せないところです。

2019年初詣

今年最初の三連休、でも今度は平成最後の成人の日ということになりますか。そして昨日は東京で初雪が観測されましたね。

というわけで三連休中日は明治神宮へ初詣、日が経って少し落ち着いてきたかなと思ったがやはり明治神宮、まだ人は多めで参拝も20分ほど並んだ。

初詣の後は神宮周辺、代々木八幡へと歩いてみた。あまり歩いたことのなかった小田急線沿い。
唱歌『春の小川』のモデルとなった川(河骨川というらしい)が暗渠になって線路沿いを流れ、その上は小径になっていて線路沿いを歩いて行くことができる。このあたりの電柱も広告ではなく、「春の小川」と書いてあるところが面白い。
歌の記念碑もあるそうだが、歩いていて見つけられなかった。違う方を歩いたか、見落としてしまったかな・・・。

時々くねりながら通る狭い路地は、いかにも川があったことを示すかのようだ。
そしてその横を小田急線が通る。今は絶好の小田急鑑賞スポットとも言える場所だ。
昔は、この小川沿いを小田急の電車が走る構図だったのでしょうか。
当時の写真はどこかでお目にかかれるかな?

というわけで初撮り?がてら少しばかり小田急を撮影、新宿に近く本数が多いので昼でもひっきりなしに電車が来る。代々木上原から西側は立体化されているが、新宿方面は立体化されておらず今も踏切が残る。開かずの踏切というほど閉まりっぱなしではなかったようだが、それでも開いている時間は短く、開いたと思って少しするとまた警報が鳴る感じで忙しそうだった。もっとも、山手通りや西参道など広い道路とは立体化されているし、もうあまり大きく困るほどでもないのだろう。

特急ロマンスカーVSEが通過!

反対側は代々木八幡駅、このあたり線路が南北の方向(代々木八幡が南)なので昼間はもろ逆光だった(笑)。
上下線の間に島式ホームが建設されているがまもなく完成し、今年の3月にはダイヤ改正が行われ、以前から準備を進めてきた各駅停車の10両編成がようやく実現することになる。昨年は念願の複々線化が完成した小田急だが、まだまだ進化は続く。

京都、山崎を巡る旅(2)

あけましておめでとうございます。

そして、平成30年内に更新しようと思ったが諸般事情で年明けてしまいました。二日目は淀屋橋からまず京阪電車で伏見稲荷へ。そのあとは京都観光で、各自行きたい場所を取り入れながら適宜回った。
京阪特急に乗るのも久しぶりだ。

気持ちの良い特急車のシートでついうたた寝してしまう。前日割としっかり寝ただろうに。

伏見稲荷駅には特急が止まらないので、手前の丹波橋駅で接続する各駅停車に乗り換えである。寝過ごさないようにね〜(笑)

というわけで伏見稲荷駅に到着、駅構内からすでに稲荷神社の装飾だ。通常の日曜日でも結構な人出でした。年明けの初詣も大変な賑わいなのでしょうね。大晦日は京阪電車もしっかり終夜運転で頑張ってくれます。

 

駅を出て踏切を渡り参道を歩いていくが、駅を出たところからもうすごい人で危険な感じだった。天気も良かったしスポットとしても人気が高いのだろうか。ついでにこの日は、京都競馬場で競馬開催だったらしく京阪電車も臨時ダイヤで、踏切がなかなか開かないというオマケ付きでした。(笑)

 

神社に向けて少し歩くと、JR奈良線を踏切で渡る。ちょうど近くに稲荷駅がありJR側の伏見稲荷最寄駅となっている。奈良線を走る103系、ウグイス色に警戒帯の入った独特のスタイルは西日本ならではだ。しかしこの光景も新旧交代で貴重なものとなりつつある。そして、その置き換えのためにやってきたのが阪和線で活躍を終えたスカイブルーの205系。関西の205系はもともと数が少なく、行き先が自ずと限られそうな感じはしたものの、なんだか妙な感じだ。

 

というわけで伏見稲荷大社へ。観光客や修学旅行生でいっぱいだ。我々もすっかり修学旅行気分に戻っている(笑)

テレビでもよく見られる千本鳥居もくぐる。真面目に鳥居のトンネルで見応え十分だ。

晴れやかに終えて神社を後にする。
市内に出るルートを決めていなかったが、京都市バスがここからも出ているのでそれで京都駅へ。しかし、昨日のバスの一件から京都市バスに乗ろうとすると運転手さんが誰かと期待してしまうくせが着いてしまった。(笑)
その後出町柳に行って昼食をとる。友人の知っているお店でニシンそばを堪能。

 

出町柳に行ったので、乗らなかったけど叡山電車を駅改札越しに撮ってみる(笑)
最初の相談では行程に入れて比叡山の麓まで行ってみようという案もあったが、今回は外した。この路線も観光路線(特に紅葉の時期は)として、一度は訪れておきたいところだ。またいずれかの機会に!

 

その後も市バスで北野天満宮、金閣寺を回った。金閣寺は中学の修学旅行以来だったから、もう遠い昔の話で覚えてないな。やはり外国人観光客の比率は非常に高い。愛されてるなあ。

 

そうこうするうちにすっかり夕方になった。バスで京都駅に戻り、最後の最後に京都タワーに登って締めくくることとした。

ちょうど京都鉄博の方向ですな。遠くの山々は山崎方面か(もうちょい左かな?)

さて、今年、元号が平成から変わった頃にはどこに行ってることでしょうか。

 

京都、山崎を巡る旅(1)

今年も残す所あと2日になってしまった。例によって更新ペースも落ち気味ではございますが(笑)

というわけでまた友人同士での旅行に出たのを全然書いてなかった。ありがたいことに催促もちょうだいしたことだし、今年最後に書くことにしよう。(笑)

というわけでもう今年の6月のことであるが、土曜朝の6時50分に東京駅に集合、4人を乗せた7時20分の『のぞみ205号』で京都に向かう。またまた朝早いのぉ・・・。東京は悪天候で先の天気が心配されたが、静岡、名古屋と進んでいくうちに晴れていき関ヶ原を越える頃には確実に晴天に向かった。京都に降り立った時はもう爽快な青空で実に気分が良かった。暑くなるのを覚悟したが湿気があまりなく、体感的にもちょうどよく過ごしやすいのもありがたかった。

この日の目的地はサントリーの山崎蒸留所と京都鉄道博物館、まずは午前中に山崎に行って京都に戻りお昼を取ってから鉄道博物館を見て、その後は阪急電車で大阪に移動して難波で飲み食いして宿泊という行程になった。山崎から京都へ戻る形にはなるが、JRで20分くらいなので気になる距離でもない。山崎蒸留所は予約制だが、熱い友人の努力により希望の時間が確保された。そしていつもの通り、乗車券類一切は専門家にお任せする。企画、手配、実行と4人の働きで作り上げた旅というか大イベントだなと実感。

 

京都駅からJR京都線(東海道線)の普通列車に乗り換えて山崎へ。西日本も新型電車に取って代わられてきているものの、湖西線、草津線の117系など国鉄型もまだまだ現役。全身緑色に塗られてすっかり印象が変わってしまったが、見ているとなんだか妙に安心する。近年西日本の国鉄時代からの車両は、経費節減のために以前のツートンカラーから、エリアごとに決められた単色の塗装に改められた。京都周辺は緑、中国地方は黄色、和歌山・紀伊半島方面は青緑色、といった具合だ。東京や大阪の「国電」はもともと単色だったので、見慣れれば大したことはないのだろうが、この変更については元の車両がツートンカラーだった為パッとみるとどうしても違和感が勝ってしまう。117系にしても、やっぱり新快速時代の塗装の方が良かったなぁ。

そんな国鉄車両、ではなく真新しいステンレスカー(321系)で山崎に向かう。国電譲りの4ドアの通勤電車だが窓が大きくゆったりしていて乗り心地が良い。
山崎で下車、大阪に向かって10分ほど線路沿いを歩くとこの地のシンボルたる山崎工場のお出ましだ。JRの大踏切を越えると、もう工場の敷地に入ったかのような感覚になる。というか駅の中の広告も山崎だ。

 

山崎の大カーブは鉄道写真でも人気の高い場所。実際行ってみると大カーブを走る列車というのはやはり見応えがある。以前は国鉄型の数多くの車両が見られたが、最近はすっかり新型車両の天下になってしまった。

 

事務所で受付を済ませ、一同、テンションが上がる。全く詳しくなくても、一つ一つの工程を見て回るワクワク感はたまらない。
ウイスキーは繊細で何通りにもなってしまう奥深いもの、釜の形も色々あって見ているのは面白いが、それによってもやさしさ、力強さなど表現できるものが変わってくるという。

 

テイスティングですっかりほろ酔い加減になる。酒はさっぱり飲めないが本物のウイスキーの味は格別だった。飲んだ感じ、口当たりなどを言葉で具体的に表現してみて、とガイドの方に言われたが、なかなかそこまでは行きつけなかった。

ウイスキーライブラリーではまるで研究所かと思うほどウイスキーが並んでいて見応えがあった。いや、ここはもう工場だけでなく研究所といっても過言ではないだろう。

予定時間をオーバーしたがそんなことは本当にどうでも良いほど楽しい体験であった。

 

水がとにかく綺麗な山崎、出かけたのは6月だったがちょうどその頃には、モリアオガエルの卵を見ることができる。木の枝や葉などにもこもこした白い卵の塊を産み付けるそうだ。これは珍しかった。

 

京都駅に戻って今度は鉄道博物館へ。梅小路の頃に一度きたことがあるがリニューアルしてからは初めてだ。敷地、展示共でかくなって充実している。まずは新幹線0系の前で記念撮影!

ついに元の列車のまま乗らずに終わってしまったトワイライトエクスプレス。瑞風に乗れるのも、きっと夢の中での出来事だろう。(笑)

 

そのトワイライトエクスプレス瑞風の後ろをドクターイエローが通過、架線がちょっとごちゃごちゃしてしまったが、いいことあるかも?

 

SLスチーム号にも乗車体験!トロッコ風の客車に乗って所定のコースをゆっくり往復する。SLブームになってきた昨今。

さて、四条河原町へ向かうべく急行104の京都市営バスに乗りこむが、個性的な運転手さんで非常に忘れられないものとなった。夕方になって少し渋滞気味になったが、持ち前のワイルドなドライビングで回復してくれるし(笑)

 

四条河原町で降りて、河原町駅から阪急京都線の特急で大阪へ。楽しかったがちょっと歩き疲れたか、足の裏に疲労がきていたが快適なシートで思わずうたた寝してしまう。
大山崎駅付近の車窓からは山崎蒸留所が見える。西日がきつかったが無理やり撮影。

京阪間ということで乗車時間40分、あっという間に十三駅、名物の三複線になって淀川を渡れば終点の梅田に到着。うとうとしていたが体を起こす(笑)。
一旦この日の宿に向かって荷物を置き、難波に移動して友人御用達のお店で粉物、串を堪能。今回は絶好調や〜!

 

平成元年の東京の地下鉄路線網

以前、博物館動物園駅公開のことに触れましたが、その時に開いた東京の平成元年1月当時の地図を見返してみました。平成もちょうど終わろうとしていることですしこの30年でどう変わったか、地図を見ながら振り返って見ようと思います!平成の間にすっかりIT、ネットの時代になってグーグルマップがすっかり主力になってしまいましたが、ページをめくるだけで見つけられる紙の手軽さもまた良いものですね。
この当時東京の地下鉄路線網は昔からすればかなり発達してきていたのでしょうが、まだ建設中だったり存在しない路線もあり、依然としてまだまだ発達の最中で、都心部の道路は地下鉄建設ラッシュでした。筆者は完全にガキの頃でしたが、当時比較的近くで南北線の工事をしていたのを覚えています。

東京メトロ
銀座線
日本でもっとも古い地下鉄路線ということで当時からとっくに完成状態みたいな感じですが、当時南北線が未開業ということで、溜池山王駅はない状態です。同駅開業の頃、ちょうど地下鉄開業70周年でイベントが開かれており、鉄道グッズの即売会も行われて、ドアの上についていた溜池山王開業前の路線図を購入していました。
このころでさえ、東京の地下鉄は路線が多くて複雑で面白いな、と思ったものですが、その後南北線、大江戸線、副都心線が開業することになるので、今のごちゃごちゃした路線図に比べたら、当時の都心部はだいぶ余裕があるように見えてきます(笑)

丸ノ内線
この後に地下鉄路線が増えて乗り換え駅が増えた以外は今と変わらないだろう、と思っていたのですが、当時はまだ西新宿駅がなかったんですね。新宿駅の次は、中野坂上でした。

日比谷線
路線自体は特に変わりませんが、当然ながら当時は東横線の乗り入れが普通に行われています。むしろ副都心線の乗り入れでまさか中止になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。
ただ、乗り入れの区間は菊名が終点ではなく日吉までだったようです。
あ、逆にといってはなんですが今は東武線の乗り入れが東武動物公園から、南栗橋まで延長になりましたね。

東西線
こちらも今とはあまり大きく変わらないようにも見えますが、妙典駅がまだない状態です。また相互乗り入れでは千葉県側、東葉高速鉄道がまだないので、東側は総武線津田沼への乗り入れのみの状態です。

千代田線
南北線が全く未開業なので国会議事堂前駅の乗り換えは丸ノ内線だけ。銀座線のところでも触れましたがこのあたりはスッキリして見えます。
小田急線の乗り入れが本厚木までで、唐木田行きがないころです。というか当時多摩線の終点は小田急多摩センターで、唐木田も開業してません(唐木田の開業は翌年の平成2年)。多摩急行という列車種別も当時はないですね。

有楽町線
平成元年ということで、ちょうど昭和63年に新木場まで全通した後です。当時のメトロニュース(懐かしい)で、新木場開業の特集記事があったと思います(残念ながら、遠い昔に多分処分してしまった…)。
ということであまり大きく変わりませんが、のちに副都心線となる池袋〜小竹向原間の新線はまだない状態です。
加えて西武有楽町線も、当時は小竹向原〜新桜台の一駅しかない状態です。西武の車両が走らず、営団の車両を借りていたころですね。練馬まで暫定開業して池袋線と乗り換えられるようになるのは平成6年のことでした(さらに池袋線に直通運転が始まるのは平成10年)。

半蔵門線
短い路線ながら、今日の押上駅全通まで長い年月を要した路線です。平成15年の押上延長までは長らく水天宮前止まりだったわけですが、この当時は水天宮前も開業しておらず一つ手前の三越前まででした。その三越前延長(半蔵門〜三越前間)も昭和63年に開業したばかりで、こちらも開業記念のメトロニュースの特集記事を読んだことがあります。
水天宮前への延長部分は、当時駅名はまだ決まっておらず、仮称の「蛎殻町」となっています。

南北線(当時、7号線)
はい、当時の一つ目の主役登場です!(笑)
全線開業しておらず最初の開業区間となる路線の北端、赤羽岩淵〜駒込の間が工事中でした。路線名も決まっておらず当時は7号線と書いてありましたね。駅名は仮称なので、JRと接続する駒込と王子以外では、赤羽岩淵が「岩渕町」、王子神谷が「神谷橋」と書いてあります。西ヶ原は仮称からそのまま駅名に採用されたようですね。
平成3年にこの区間が初めて開業します。当時子供だった筆者はせがんで乗りに行きましたかね…。

副都心線
はい、当時は地図上影も形もないです。一応地下鉄13号線として計画は存在したでしょうが(実際有楽町線の小竹向原〜和光市間は13号線ですね)、この路線を介して東武東上線、西武池袋線、東急東横線の相互乗り入れが始まるなど普通は想像もつかないことだったでしょう。

都営地下鉄
浅草線
このあたりは変わらないだろうと思ってたら、思わず目を見張る場所が一箇所ありました。宝町と人形町の間は、今は日本橋駅ですが、その当時の名前は江戸橋駅だったんですね。当時としては別になんてことはなかったのでしょうが、当時浅草線に縁がなかったのでこれは珍しく思いました。
あと、北総線(当時は北総・公団線)は、新京成線と接続する北初富から千葉ニュータウン中央間しか開業しておらず、浅草線乗り入れも始まっていません。そのため南側は京急線、北側は京成線に乗り入れるだけでした。この当時、北総線のことは知る由もなかったですが、このころは新鎌ヶ谷駅が未開業で、北初富経由で松戸まで乗り入れていた頃でしょうか。

ちなみにこの当時京成線の成田空港駅はまだ移転前で、現在の東成田駅にあたります。京急も、空港線は今でこそ名実ともに羽田空港アクセス路線になり浅草線も乗り入れていますが、当時は空港線といいながらターミナルに直結しない単なる支線で、浅草線の乗り入れもない状態でした。羽田空港の拡張、新ターミナルもまだ開業前のことですね。

三田線
目黒〜三田間が未開業で、三田〜西高島平間の路線でした。というか三田線はこの状態でも普通に長い路線ですし、長らくこの状態でもう完成みたいな感じがしており、当時は南北線と合流して目黒に延長し東急線に乗り入れるなど知る由もなかったですね。東急線も当時はまだ目黒〜蒲田間がばりばり目蒲線でありました。こちらもこの年から12年後に、まさか二つに分断されることになるとは…。

新宿線
平成元年1月の時点では一つ手前の篠崎止まりです(本八幡開業は同年3月のことです)。乗り入れの京王相模原線は橋本まで開業しておらず、前年に京王多摩センターから南大沢まで延長されたばかりでした。

大江戸線(当時、12号線)
こちらも開業しておらず、北端の練馬〜光が丘間が建設中として描いてあるだけです。南北線とほぼ同じ時期の平成3年にこの区間が初めて開業することになります。その後、山手線と並んで東京を一周する大動脈路線になるとは、まだ想像もつきませんでしたね。南北線は開業直前に路線名が決まったのに対し、こちらは開業しても長らく名前がなく12号線と呼ばれてましたね。大江戸線の名前で賛否分かれたと思いますが今となってはすっかり定着しています。

こうして見ると、この30年だけでもこんなに変わったんですね!
結構、面白かったです。(笑)

さて今度は元号が変わった後のことになりますが、地下鉄路線網はひとまず完成はしたものの、神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)が開業して相鉄線から東急線経由で、東京メトロ南北線・副都心線、都営三田線への乗り入れとまだ地下鉄をめぐるネットワークは拡大しそうです。

京成線 旧博物館動物園駅 一般公開

さて、11月の三連休真っ只中、そして平成もまもなく終わろうとしている頃ではありますが、そんな中平成9年に営業休止になった京成電鉄の旧博物館動物園駅が、実に21年の時を経て一般公開されました。

初めてニュースで見たのは勤務休憩中のことでしたが、まあ一人でソワソワしてましたね。(怪しいわ…)とはいえ営業休止になったのは平成9年(その後平成16年には廃止)、まだ幼かったし特に沿線住民でもないので京成線も乗ったことない頃です。ただ、地図を何気なく見ていてこのあたり上野公園の中を通る京成線に、「博物館動物園」というなんだか読みづらい長い名前の駅が存在したことは記憶にありますし、駅舎がレトロな洋風建築を思わせる特徴的な造りで新聞記事に出ていたこともありましたかね。ちなみに地図は平成元年発行のミニマップで自宅で保管していましたが、しっかり載っていました(ちなみに地下鉄路線図を見ると、副都心線がないどころか南北線も大江戸線も、路線の端っこの方が「建設中」として載っているだけですね…)。その後、もう休止後ではありますが上野公園あたりを散歩して駅舎を見る機会があったり、通過する京成線の車内からホームを見ることはありました。薄暗くて不気味でしたが何かそそられるものがありました。ホームにある有名なペンギンの壁画も、この目でゆっくり見てみたかったものです。

三連休だししばらくは凄い人なんだろうなと思い、直ぐに行くのはやめておこうかな?とは思ったのですが、ちょうど日暮里に行くことになったので、帰りにちょっとだけ様子を見てきました。

案の定、駅舎の周りは人だかり!中に入るには整理券が必要ですが、今日の分の配布はすでに終了したとのこと、聞こえてきた感じだとやはり朝のうちに予定枚数が終わってしまったようで、整理券を持った方々が信号の向こうからずっと並んでいて大変な人気ぶりです。というかこの勢いで営業再開なんてことは考えるのは、私だけではないはずです。(笑)

おお、今まで閉ざされていた、駅舎の口が開いている!

 

今回は単なる駅の公開だけでなくインスタレーション作品が展示されており駅舎にふさわしいアートとのコラボレーションという形になっています。中に入ることは叶いませんでしたが、外からちょっとだけ様子を伺うことができました。駅舎の天井部分初めて見ましたが中のつくりも芸術的ですね。それ以上に中のアナウサギさんもインパクトがある…。

公開は来年2月24日までの金、土、日曜のみで、また入れるのも階段の踊り場までだそうですが、ガラス越しに上りホームに隣接した改札の部分まで見ることができるようです。まだ始まったばかりですし、落ち着いた頃にでもまた来てみようかと思います。

奈良井にて

奈良井宿に沿って走る中央西線、宿場をざっと一通り歩いてみたあとは線路沿いを歩いてみる。まずは主力の383系特急『しなの』

 

ちょうど奈良井で通過待ちする普通列車があり、しなのに続いて発車した313系普通列車。このあたりは特急街道で、日中ダイヤでは特急が1時間に1本あるのに対し普通列車は2時間に1本程度と極端に少ない。

沿線の路上にあった「線路横断禁止」の注意書き。昔ならばまだあり得たのかもしれないが、現代の都会に住む者にとっては、踏切以外で線路を渡るなんて考えもしないもので奇妙なものだ。
しかし、わざわざこうして書いてあるからには、今もここを渡る人がいるということである。

実は奈良井のあたりは直接鉄道を横断できる箇所が少なく、地元に古来よりある道(赤道というらしい)が線路を横断していて、地元の人が横断に使っているようだ。建前上は横断を認めるというわけにはいかないので「横断禁止」となっているが、実態としてはもともと道があった以上完全に締め切ってしまうわけにもいかず、止む無く目をつぶる感じで渡ることができる構造にしてあるようだ。
そんなことなら鉄道開通の時に踏切を一つでも作っておけばよかったのに、と思うがようやくその動きが起きて、もうすぐこの付近に歩行者用踏切が一箇所設置されるそうだ。実際、線路沿いを歩いてみてわかったが、鉄道を普通に横断できる箇所は宿場の南の方に踏切が一箇所と、北側奈良井駅の近くに線路を潜る地下道が一箇所あるくらいだった。中間のあたりから線路の反対側に行こうとすると、かなり大回りしなければいけない状況である。危険ではあるが、多少無理もないところだろうか。ちなみに筆者は、ちゃんと踏切と地下道を使っております。念のため。というか線路を渡る勇気はさすがにない…。

線路の反対側には奈良井側が流れており、木曽の大橋が掛かっている。木製の立派な太鼓橋で奈良井宿のシンボル。

 

奈良井宿の駐車場には蒸気機関車C12形が保存されていた。
中央西線は電化が比較的遅く、昭和48年まで蒸気機関車が走りD51も活躍していたようだ。機関車復活の動きも最近盛んになってきましたね。

奈良井宿へ

塩尻から中央西線の普通列車で奈良井へ向かう。
長野から名古屋方面への路線ということで、この辺りに来る行程を立てないと乗る機会はなかなかない。
中央西線は中津川以東の大部分で中山道沿いのルートをとる。沿線には馬篭宿や奈良井宿など宿場が点在しており、今も多くが史蹟として残り多くの観光客が訪れる。一度乗ったことはあったものの降りて宿場を歩いて見たことがなかったので、今回は奈良井宿に行ってみることにした。

塩尻から普通列車で5つ目の奈良井で下車する。この間にも、洗馬、贄川といったかつての宿場とそれに対応する駅が設けられている。

 

奈良井駅、宿場の佇まいに合わせるかのような作りが良い。駅の自体も特徴的。

 

この辺りの中山道は、山間の少し険しい地域を通る。かつては人の往来も今より多かったことだろうが、自動車や鉄道に取って代わられた今は少し寂しい感じもする。鉄道にしても中央西線はこのあたり、長距離輸送の特急『しなの』が主体で1時間に1本程度走るが、普通列車は2時間に1本程度と極端に少ない。特急も一部臨時で奈良井に止まるものがあるものの、通常は塩尻を出ると木曽福島までノンストップである。そのため、この辺りを鉄道で訪問する際は列車の時間に注意して行程を組む必要がある。

というわけで現代もっとも往来が激しいのは道路で、名古屋と長野を結ぶ国道19号線が今の中山道にあたるが交通量がかなり多い。奈良井あたりでは中央西線沿いに奈良井川が流れていて、その川の向こう側が19号線となるが、実際見ていても片側一車線ながらトラックなどの往来が激しかった。本数の少ない鉄道、落ち着いた宿場町の雰囲気とは対照的だ。
現在の名古屋〜長野方面の中山道にあたる高速道路には中央自動車道が相当するものの、岡谷〜中津川の間は飯田線沿いを通り、恵那山トンネルで中津川に出ているため、この辺りを直接通る高速がない。19号線自体も走りやすいのでこちらを選択する車も多いようで、交通が集中しているようだ。

 

奈良井駅を出るとすぐに奈良井宿の入り口となる。
南に向かう旧中山道沿いに細長く宿場の街並みが続く。
木曽路にきたんだなぁ…。しゃぶしゃぶの方で名前はすっかりおなじみだが(すいません)

昔からの建物がしっかり残された宿場町をゆく。本当に徹底して残されているのがよくわかる。しかし歩いてみるとわかるが非常に長く、歩きがいがある。それもそのはずで全長1km、日本最長の宿場とされている。恐れ入った。
思わずシャッタを押すがなんだか恐れ多い気にもなってくるような。昔はどこでも当たり前な感じだった光景なのだろうが。

 

看板類も昔のままでノスタルジックだなぁ〜

店の軒先に「日野百草丸」という薬の看板や製品が積まれてるのを目にする。この辺り(日野製薬)で作られ売られている胃腸薬のようだ。買って飲むことはなかったが、正露丸みたいなものなのだろうか。
写真に撮っていなかったが、本店がここ奈良井にある。

井戸もいくつかあり、飲めるものがある。虫によりつかれてしまったが(笑)

 

上問屋資料館、明治天皇が休憩された行在所で、中も見学することができる。

 

ジョンレノンがこよなく愛したと言われるソフトクリームを見つけて、休憩に食べる。おやきも良いが、ソフトクリームもよし!

中央本線 辰野経由

長野県内の中央本線(中央東線)は、岡谷駅で新線と旧線の二手に分かれている。旧線は一旦南下して辰野へ向かい、その後Uターンするように塩尻へと向かう大回りだが、それをショートカットするように後になって塩嶺トンネル経由の新線が作られたもの。特急をはじめほとんどの列車は新線経由で、旧線の方はほとんどが岡谷で乗り換え、それも辰野で接続する飯田線の直通列車がメインとなっている。

茅野から松本行きの普通列車で岡谷へ、この列車は3両編成しかなく乗客は多かった。岡谷では数分の乗り換えで辰野方面(飯田線直通)の列車に接続するが、列車の発車する0番線は地下通路を通った向こう側。乗り換え時間が短いとあって、降りた客は一目散に階段に向かっていく。そして私もその中を急ぐ。

飯田線のほとんどが岡谷駅まで乗り入れており、ここ0番線に主に発着する。0番線、諸々の都合でできてしまった奇怪な番線ではあるが、今も全国規模で見るとそれなりに存在し、首都圏でも見ることができる。狙ったわけではないが、0番線の写真も集まってきたことだし、そのうち取り上げてみようかと思う。

飯田線ということで車両は313系となる。2両編成で、乗り換え客で席のほとんどが埋まった。

岡谷を出ると、北西側の塩嶺トンネルに吸い込まれる新線と分かれて単線で我が道を進む。ここから先、飯田線にかけて線路のほとんどは天竜川と並行する。天竜川はちょうど諏訪湖が元になっている。
最初の駅、川岸に停車。小さな駅舎を持ち、中央線の駅らしくそれなりな構えだが乗客は少ない。

右に左にカーブが多い。単線ということでローカル線の情緒も感じられる。昭和末期になるまでは中央本線もこのルートしかなかった訳で、列車の往来も多かったことだろう。

坂を下り盆地に降りると、町になって辰野に到着する。列車はここから飯田線に入るので、中央線塩尻方面はここで乗り換えである。ちょうどホームの反対側に塩尻行きが停車していてタイムリーに接続した。

 

ここまでの中央本線(飯田線)はほぼ1時間に1本くらいあるが、ここから先塩尻へは本数が極端に少なく、昼間は2-3時間列車がない。今回12時43分発の列車に乗るが、これを逃すとその次は15時2分まで来ない。以前なら特急街道だったことだろうが、特急が新線に移った今はこんな調子である。
車両はE127系で、飯田線共々新型車両、ワンマン2両編成である。以前はミニエコーと親しまれた、荷物車から改造の123系の数少ない活躍の場だったが、置き換えられた。

 

 

辰野駅。駅構内は広くかつての中央本線の賑わいも想像されるが、今は普通列車しか発着しない。
実はこの駅にも0番線があるのだが、なにせ本数が少ないし時間の都合で割愛・・・。

辰野〜塩尻間はE127系2両編成によるワンマン列車。大糸線中心に運用されてきたが、近年は塩尻、長野方面への運用にも進出してここ辰野にも乗り入れている。

 

E127系と313系の並び。東日本と東海の新車同士が並ぶ。ローカル線ではあるが時代を経て、車両は一新されている。

 

きついカーブで飯田線から分かれて、山を回り込むようにUターンして西北側に向かう。
最初の駅は信濃川島だが、駅はホーム一面のみで周囲は何もない。誰もいないし降りる人もいない。昔の名残か、ホームだけやたらと長い。

 

 

山間に住宅地が見え始めて、小野。ホーム2面あり多少のまとまった乗降もある。中央線の駅らしい感じだが、今となっては本数が少なく持て余し気味ではある。

 

 

この先いくつかトンネルをくぐり、盆地を見下ろすように走る。勾配を緩くするためかトンネルをくぐったりカーブを繰り返しながら下っていく。かなりの大回りだ。新線建設の効果も大きいだろう。
やがて右から新線が近づいてきて合流、塩尻大門を過ぎて左から中央西線が合流、塩尻駅の3番線に到着する。

 

ちょうど反対側の4番線には13時8分発の中央西線中津川行きが停車中で、ここでもタイムリーな接続だ。次はこの列車に乗って、奈良井に向かう。

塩尻駅

 

松本とともに信州の主要都市に数えられる塩尻にある中央本線の駅、東京から222.1km、名古屋から174.8kmと、ほぼ中間に近い。中央本線にとっては途中駅だが、路線はここで東西に分断されている。東西間の直通は定期便では存在せず、その代わりに双方の列車がここから篠ノ井線に入り松本・長野方面へ向かうユニークな形態である。東京・名古屋双方と長野方面との流れがメインになっていることが伺える。
線路も北側から見るとY字型で中央線側が分岐になっており、東西の中央線と篠ノ井線を行き来するのに都合良い形になっている。現在のこの形になったのは昭和57年のことで、それ以前の駅は岡谷寄りに位置し、中央本線側の線路がメインで東線(東京方面)側から篠ノ井線が分岐する形だった。しかし以前から東西間の直通はあまりなく篠ノ井線との直通の方がメインで、分岐が東線側からになっていたため西線(名古屋方面)と篠ノ井線の行き来にはスイッチバックを強いられていた。実態に合わせた駅の移転だったと言える。かつての駅あたりは今も線路が広がっており、以前は貨物駅として使われていた。

ホームは3面で、東側の1面(1・2番線)が中央東線、西側の1面(5・6番線)が中央西線となっている。ただし東西の中央線のどちらも、東京・名古屋と反対の方向は篠ノ井線となるので、2番線・6番線は篠ノ井線の乗り場ということになる。ということで同じ中央線、篠ノ井線でも乗り場は変わるので注意が必要である。行き先・列車により乗り場が違うため、駅の構内は乗り場案内が充実している。

 

ホーム3面と書いた通り、東西の中央線がメインで使用する2面の間にもう1面ホームがあり、3・4番線となっている。ここに発着する列車はあまり多くないが、主に中央東線の小野方面(旧線)の列車が発着したり、列車の退避で使われている。4番線はこの駅で唯一線路が全方向につながっていて、中央西線の普通列車も一部発着する。
そしてこの3・4番線ホームだがこの駅の名物、ぶどう園があることで知られている。塩尻はぶどう、ワインでも知られる町。
列車から見たことはあったものの降りてきたのは初めてだ。
コンコース、ホームに通じる階段にはしっかり看板もつけられている。

 

 

ホームの松本寄り、屋根のない部分は木柵が設けられぶどうに覆われている。

いやー本当に、ぶどうだ!(当たり前や)
香りも良い。
というかこれだけ見ると、どこで撮ったのかわからん・・・(笑)
本当に収穫前!という感じだが、実際に収穫もしているらしい。

では、ここがちゃんと駅のホームだっていう証拠に(笑)

ここの駅名標には植えられている銘柄「ナイアガラ」、「メルロー」と書かれている。収穫されたぶどうはワインにもなっているようだ。
ベンチも置かれていてここで一休みもできる。

乗換の合間にベンチでしばし座ったが、人のあまりこないホームの端っこに作られた自然の空間で癒された。ぶどうもそうだが、こういった緑の環境が都会の駅にももっとあっても良いんじゃないかと思う。
入り口の看板にあった「日本でここだけ」、そらそうでしょう!(笑)塩尻を通る際は、少し時間を作って立ち寄って見ることをお勧めしたい。

 

5・6番線は中央西線(名古屋方面)系統が発着、名古屋と長野を結ぶ、特急『しなの』も発着する。
JR東海管轄となるためオレンジ色の車両がメイン。東線は信州エリアの色で青系になっているが、東京近郊はオレンジ色ですな。東京で中央線というとやはりオレンジの方がしっくり来ると思う。

 

中央西線はJR東海となるため、5・6番線ホームの駅名標は名古屋側(洗馬駅)がオレンジ色になっている。
写真にも写っているが、ホームは地酒の広告などでも賑やかだ。地方の主要な駅ではよく見かける光景だが、酒も飲めないのになぜかこれを見ると、なんだかその土地にきたという感じになったり、妙にホッとした感覚になる。看板に使われている文字やデザインもやっぱり昔ながらというか、どこかしっくりくるものがあるのだろう。

 

1・2番線が中央東線で東京・新宿と長野方面を結ぶルートとなる。特急『あずさ』もこちらから。新型の特急E353系『スーパーあずさ』で東京に帰る。

 

1・2番線から全体を見る。3・4番線にぶどう園があるのでちょっと無理やりだが、ちょうど1番線に『スーパーあずさ』、5番線に『しなの』と東西の特急が揃った。4番線には中央西線の普通列車が停車中。

 

さて、最後にもう一つこの駅の見どころ(?)を。
1・2番線の階段を上がった所にある立ち食い蕎麦「信州そば」
肝心の蕎麦の方ではなく、その変わった店舗の構造で有名になってしまったお店だ。

写真右側が店の入口だがご覧の通り、店の入口というよりも従業員用の入口かと思うほどの狭さ。「そば処」と大きく看板が出ているが、なかったら気づかないかもしれない。
中に入ると人の立つスペースがなんとたったの二人分という狭さだ。

実は店のカウンターは改札の内、外側両方にあり、超狭いのは内側の方だけで、外側(待合室)の方は普通の広さである。よく見ると、混んでいる時は改札を出て待合室側のカウンターに行くように書いてある。写真に写っていないが、お店の隣にはホームに向かうエレベータが設置されており、それをつくるために内側だけこんなに狭くなってしまったようだ。これもある意味「日本にここだけ」ですな。
信州といえば蕎麦だけにせっかくなので入ってみたい所だが、二人ぶん埋まっていたし時間も半端だったので、やむなくまた今度に・・・。