平成元年の東京の地下鉄路線網

以前、博物館動物園駅公開のことに触れましたが、その時に開いた東京の平成元年1月当時の地図を見返してみました。平成もちょうど終わろうとしていることですしこの30年でどう変わったか、地図を見ながら振り返って見ようと思います!平成の間にすっかりIT、ネットの時代になってグーグルマップがすっかり主力になってしまいましたが、ページをめくるだけで見つけられる紙の手軽さもまた良いものですね。
この当時東京の地下鉄路線網は昔からすればかなり発達してきていたのでしょうが、まだ建設中だったり存在しない路線もあり、依然としてまだまだ発達の最中で、都心部の道路は地下鉄建設ラッシュでした。筆者は完全にガキの頃でしたが、当時比較的近くで南北線の工事をしていたのを覚えています。

東京メトロ
銀座線
日本でもっとも古い地下鉄路線ということで当時からとっくに完成状態みたいな感じですが、当時南北線が未開業ということで、溜池山王駅はない状態です。同駅開業の頃、ちょうど地下鉄開業70周年でイベントが開かれており、鉄道グッズの即売会も行われて、ドアの上についていた溜池山王開業前の路線図を購入していました。
このころでさえ、東京の地下鉄は路線が多くて複雑で面白いな、と思ったものですが、その後南北線、大江戸線、副都心線が開業することになるので、今のごちゃごちゃした路線図に比べたら、当時の都心部はだいぶ余裕があるように見えてきます(笑)

丸ノ内線
この後に地下鉄路線が増えて乗り換え駅が増えた以外は今と変わらないだろう、と思っていたのですが、当時はまだ西新宿駅がなかったんですね。新宿駅の次は、中野坂上でした。

日比谷線
路線自体は特に変わりませんが、当然ながら当時は東横線の乗り入れが普通に行われています。むしろ副都心線の乗り入れでまさか中止になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。
ただ、乗り入れの区間は菊名が終点ではなく日吉までだったようです。
あ、逆にといってはなんですが今は東武線の乗り入れが東武動物公園から、南栗橋まで延長になりましたね。

東西線
こちらも今とはあまり大きく変わらないようにも見えますが、妙典駅がまだない状態です。また相互乗り入れでは千葉県側、東葉高速鉄道がまだないので、東側は総武線津田沼への乗り入れのみの状態です。

千代田線
南北線が全く未開業なので国会議事堂前駅の乗り換えは丸ノ内線だけ。銀座線のところでも触れましたがこのあたりはスッキリして見えます。
小田急線の乗り入れが本厚木までで、唐木田行きがないころです。というか当時多摩線の終点は小田急多摩センターで、唐木田も開業してません(唐木田の開業は翌年の平成2年)。多摩急行という列車種別も当時はないですね。

有楽町線
平成元年ということで、ちょうど昭和63年に新木場まで全通した後です。当時のメトロニュース(懐かしい)で、新木場開業の特集記事があったと思います(残念ながら、遠い昔に多分処分してしまった…)。
ということであまり大きく変わりませんが、のちに副都心線となる池袋〜小竹向原間の新線はまだない状態です。
加えて西武有楽町線も、当時は小竹向原〜新桜台の一駅しかない状態です。西武の車両が走らず、営団の車両を借りていたころですね。練馬まで暫定開業して池袋線と乗り換えられるようになるのは平成6年のことでした(さらに池袋線に直通運転が始まるのは平成10年)。

半蔵門線
短い路線ながら、今日の押上駅全通まで長い年月を要した路線です。平成15年の押上延長までは長らく水天宮前止まりだったわけですが、この当時は水天宮前も開業しておらず一つ手前の三越前まででした。その三越前延長(半蔵門〜三越前間)も昭和63年に開業したばかりで、こちらも開業記念のメトロニュースの特集記事を読んだことがあります。
水天宮前への延長部分は、当時駅名はまだ決まっておらず、仮称の「蛎殻町」となっています。

南北線(当時、7号線)
はい、当時の一つ目の主役登場です!(笑)
全線開業しておらず最初の開業区間となる路線の北端、赤羽岩淵〜駒込の間が工事中でした。路線名も決まっておらず当時は7号線と書いてありましたね。駅名は仮称なので、JRと接続する駒込と王子以外では、赤羽岩淵が「岩渕町」、王子神谷が「神谷橋」と書いてあります。西ヶ原は仮称からそのまま駅名に採用されたようですね。
平成3年にこの区間が初めて開業します。当時子供だった筆者はせがんで乗りに行きましたかね…。

副都心線
はい、当時は地図上影も形もないです。一応地下鉄13号線として計画は存在したでしょうが(実際有楽町線の小竹向原〜和光市間は13号線ですね)、この路線を介して東武東上線、西武池袋線、東急東横線の相互乗り入れが始まるなど普通は想像もつかないことだったでしょう。

都営地下鉄
浅草線
このあたりは変わらないだろうと思ってたら、思わず目を見張る場所が一箇所ありました。宝町と人形町の間は、今は日本橋駅ですが、その当時の名前は江戸橋駅だったんですね。当時としては別になんてことはなかったのでしょうが、当時浅草線に縁がなかったのでこれは珍しく思いました。
あと、北総線(当時は北総・公団線)は、新京成線と接続する北初富から千葉ニュータウン中央間しか開業しておらず、浅草線乗り入れも始まっていません。そのため南側は京急線、北側は京成線に乗り入れるだけでした。この当時、北総線のことは知る由もなかったですが、このころは新鎌ヶ谷駅が未開業で、北初富経由で松戸まで乗り入れていた頃でしょうか。

ちなみにこの当時京成線の成田空港駅はまだ移転前で、現在の東成田駅にあたります。京急も、空港線は今でこそ名実ともに羽田空港アクセス路線になり浅草線も乗り入れていますが、当時は空港線といいながらターミナルに直結しない単なる支線で、浅草線の乗り入れもない状態でした。羽田空港の拡張、新ターミナルもまだ開業前のことですね。

三田線
目黒〜三田間が未開業で、三田〜西高島平間の路線でした。というか三田線はこの状態でも普通に長い路線ですし、長らくこの状態でもう完成みたいな感じがしており、当時は南北線と合流して目黒に延長し東急線に乗り入れるなど知る由もなかったですね。東急線も当時はまだ目黒〜蒲田間がばりばり目蒲線でありました。こちらもこの年から12年後に、まさか二つに分断されることになるとは…。

新宿線
平成元年1月の時点では一つ手前の篠崎止まりです(本八幡開業は同年3月のことです)。乗り入れの京王相模原線は橋本まで開業しておらず、前年に京王多摩センターから南大沢まで延長されたばかりでした。

大江戸線(当時、12号線)
こちらも開業しておらず、北端の練馬〜光が丘間が建設中として描いてあるだけです。南北線とほぼ同じ時期の平成3年にこの区間が初めて開業することになります。その後、山手線と並んで東京を一周する大動脈路線になるとは、まだ想像もつきませんでしたね。南北線は開業直前に路線名が決まったのに対し、こちらは開業しても長らく名前がなく12号線と呼ばれてましたね。大江戸線の名前で賛否分かれたと思いますが今となってはすっかり定着しています。

こうして見ると、この30年だけでもこんなに変わったんですね!
結構、面白かったです。(笑)

さて今度は元号が変わった後のことになりますが、地下鉄路線網はひとまず完成はしたものの、神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)が開業して相鉄線から東急線経由で、東京メトロ南北線・副都心線、都営三田線への乗り入れとまだ地下鉄をめぐるネットワークは拡大しそうです。

東急の新型

今日は田園都市線の新型2020系デビューの日だったんですね。長津田の車庫に止まってるのを前に見かけましたが、今日初めて通勤途中に営業運転で見かけたかな。外観5000系と似てるところも多いからなんだか前から使われてた車両に見えてしまう…。

そもそも仕事モードでそれどこじゃなかったし、ホームも混んでたので写真は省略っす!(汗)またいずれ…。

と書いていたのですが翌朝も見かけて撮ることができたので貼っておこう。(笑)

二日続けて、同じ列車に使われたみたいですね。発車後の後追いだし、こんなもんですんません。前面のカラーリングはブラック基調で、側面からホワイトとグリーンのラインを回り込ませたデザインが良いですな。

小田急線複々線化完成

2018年3月3日、世間はめでたいひなまつりムードな日であったが、ついにこの日小田急線の複々線化工事が完成した。

複々線化は代々木上原〜登戸間を上下2本ずつの4本、登戸〜向ヶ丘遊園間は下り1本、上り2本の3線として建設された。

30年越しの工事となり郊外側から都心側に向かって少しずつ開通し、最初の開通は平成9年(もう20年も前になるのか)に喜多見〜和泉多摩川が開通、平成16年に世田谷区内は梅ヶ丘まで延長されてかなり長い区間が複々線となり、ラッシュ時の電車の速度も上がって威力を発揮しはじめるようになった。しかし沿線が建物で埋め尽くされていた東北沢〜梅ヶ丘間の立体化・複々線化が困難を極めて最後まで残され、朝上りの増発が出来ず、また梅ヶ丘あたりから電車もノロノロ運転せざるを得ない状況が続いていた。ほとんどの区間を高架線として建設されたが、この東北沢〜梅ヶ丘間は地下化することに決定し、複々線化に先んじて平成25年にまず地下化が完成、踏切が除去されて立体交差化された。代々木上原〜下北沢間はかなり早く昭和53年から複々線になっていたが、地下化工事に際し、一旦複線に戻されている。地下化区間では、将来急行線になる線路を使った仮の状態で複線として運用され、その後各停が走るトンネルと線路を上層部に建設して、ようやく複々線としての完成にこぎつけた。また、複々線の反対側ではこれも用地買収の関係で、登戸駅の手前で下り線が1本に絞られてしまう状態が続いていたが、下りホームの位置をずらして各停用の線路を増設し、1番線の使用を開始して下りも線路2本となった。

構想50年、工事30年と言われた大事業、私はもはや工事開始の頃は小さすぎてさすがに分からないが、小学生だった頃か、沿線の各所に複々線化用として用地買収された土地が散在し、一部では高架橋が姿を現していたような記憶がある。

複々線を先行して使用開始したが、増発を伴うダイヤ改正は3月17日の予定。列車種別の改変や千代田線直通列車の大幅な増発など複々線の威力を発揮できるダイヤで混雑緩和が期待されている。

下北沢駅の各駅停車ホーム。急行用ホームの一層上、地下一階に設けられている。なお、ダイヤ改正後はこのホームに準急と、新設される通勤準急も発着する。

下北沢駅の地上の様子。しばらく降りていなかったが長年の工事がほぼ完成し、太陽光を取り入れられる明るい駅舎が出来つつある。地下一階各停ホームへのエスカレーター・階段と、地下二階急行ホームに直行のエスカレーターがある(各停ホーム経由でも、急行ホームには行ける)。いつの間にか、小田原方面側には、南西口という新しい出入り口ができていた。

昼下がりの各停列車もこの日ばかりは心なしか人が多かった。

ついでというのは何だが、少し足を伸ばして代々木八幡まで行ってみた。各停しか止まらない駅だが、各停の10両編成化に向けてホームの新設工事を行っている。駅舎も新設されるようだ。

駅名にもなっている代々木八幡をお参りして、代々木上原からまた各停で帰路についた。これで、通勤が少しは楽になるかな。

お伊勢参りですが…(4)

最終回をまだ書いていなかったな。携帯を初期化したおかげで写真がなくなってしまった。もっとも今回天候や状況もあったのでろくな写真を撮っていない。

二日目を迎えた伊勢旅行。この日はどう考えてもとんだ一日になることが明白だった。予想されていた台風襲来の日である。そして昨日から見ている天気の情報では「伊勢湾台風」に匹敵するという文字まで飛び込んできた。ルートもそのような感じらしく、これが現実になったらと思うともう不安しかない。

前日の疲れもあってゆっくり目に寝たがまだ寝足りない気分。カーテンを開けたら外は相変わらずの大雨。冴えない一日の始まりだ。朝食をとってこの日のプランを相談する。
予定では猿田彦神社に行き、その後内宮、おかげ横丁と回って、宇治山田からしまかぜで帰ることになっていた。早めに帰りたい気分がこの時からあってその方向にすることを話してみたものの、プランの都合で列車の変更の自由が利かずせっかくきたので回りたいということもあって、宿を早めに出たこと以外は予定どおり決行することになった。今となっては、そこで無理してでも帰っておくという選択肢も有りだったと思う。が、その渦中にいる時というのは人間は得てして場の空気に少なからず飲まれるので、冷静な判断はなかなか下せない。ある意味そのことをまた思い知らされたような気がする。

送迎バスに再び揺られてまずは鳥羽駅へ。バスを降りるともうどしゃぶりだ。
近鉄鳥羽線の普通電車で五十鈴川へ。そこからバスに乗って内宮方面へ向かうが手前で降りて、まずは猿田彦神社へ。昨日の蛙のところでも出てきたな。

しかしもう最初から雨が酷過ぎて、びしょびしょだ。この後、内宮にも向かったわけだがずっとそんな展開。
その時はその時だったが、今からして思えば常軌を逸しているといっても過言ではなかった。
四人で出かけたもののちょっと割れ始めの空気、いつしか、私と、よく一緒に旅をしている友人の二人だけは、先をゆく二人の後方に距離を置いて歩いている。この時点で少し割れかけた関係性になっているところもある点、はたから見れば失敗も同然な感じだ。

参拝後、おかげ横丁の食事処に入る。名物の松坂牛が供されるお店で牛肉コロッケを食べる。つかの間の休息といった感じで美味かった。しかし体もカバンも靴の中もビショビショでタオルもすっかり水を吸ってしまった。
ここまできた時点で一応の目的はほぼ終えており、あとはお土産だけ買って帰ってもよかった。しかし、一同はまだおかげ横丁を懲りずに、うろうろしようとする。それにさっき内宮の時もそうだったが五十鈴川が増水しており半端な状況ではない。これはもうここで打ち切って早く帰った方がいい。

ということでまだ予定列車まで時間はあったが、内宮前からバスに乗って宇治山田駅へ向かった。しかしその車中で恐れていたアナウンスが耳に入ってしまう。
帰路で乗ることになる近鉄名古屋線で、一部区間運転見合せの情報が入ってしまったのだ。原因は列車のパンタグラフ破損ということで、この時点では人災であろうことが考えられた。しかしなんといってもこの天候、何があってもおかしくなく、このまま天候の悪化で遅れがひどくなったり運休に追い込まれる可能性もあった。ともあれ、まずは駅に行こう。もしかしたらなんとか復旧するかもしれない。

宇治山田駅に到着した。列車は運休しており広い待合所は足止めされた乗客が集まっていた。とりあえず状況確認と、できることを考えながら過ごす。止まっていたのは名古屋線だけで大阪線は動いていたので、やろうと思えば難波や京都方面に出てそこから新幹線で帰ることも可能で、その選択肢も頭にはあった。ただ、時間がまだ早かったことと、名古屋での新幹線が夜遅い時刻で予約されていたため、名古屋線が復旧すればまだ帰れる可能性があった。しかし、いつまでたっても復旧のめどが立たないという情報が流れるばかりだった。

そうこうするうちに、大阪線も青山町〜伊勢中川駅で運転見合せになってしまい、完全に孤立状態になった。時刻は16時近くなったが、四人のうち二人は何か考えがあってか案内所に行って今後のことを考えようとしたようだ。私と、もう一人別の友人が待合所で待ち続けることになった。自分の頭の中では最初から、名古屋線の復旧を待つか大阪に出るかの二択しか持たなかったが、この時点で明確に後者に決まった。
やっと四人揃い、今後のことについて今から宿を確保してこのまま伊勢に留まることも含めて少し議論になった。が、時刻はすでに16時30分、ここを逃したらあとはないと思って、強行に大阪へ出ることを推して進むことにした。作戦としては伊賀神戸駅までなんとか、そこから近鉄大阪線で大阪に一旦出て、新大阪から新幹線に乗ることを考えた。
今から考えれば、この大阪へ出てから帰るプランも100%成功する保証はどこにもないし、正直一か八かだった。しかしだからといって、伊勢に安全な方法で止まることがこの段階から実現できるか、実現できてもその先どう展開するかもわからないので、どちらの選択にしろ良い状態が保証されたものではない。それだったら一歩でも目的地に近づいたほうがよかろうとの思いだったし、友人たちには悪いゆえ口にはあまり出さなかったが、筆者は「最悪列車ホテルになっても構わない」と思っていた。確かに列車ホテルは叶うならあまりいたくはない。しかし、それは密室である上に狭いところに長時間同じ格好をしていることへの不快、不安の大きさからくるとも言える。エコノミー症候群やその他体調不良のリスクがないわけではないという点は確かにある。しかし、外気に触れない室内に居られるという点では、外よりも安全性は高いのだ。少なくとも、外に出られてもその先安全の確保された場所に行ける見込みがすぐになければ、むやみやたらに外に出ることは考えものだと思う。(実はこのあと宇治山田駅は私たちが出たあと夜になって冠水した。宿泊先が取れなかった場合、最悪駅にずっととどまることになる選択も全くないわけではない)

宇治山田駅から他の近鉄の駅に向かう交通手段をどうするかがまず問題だった。とりあえずタクシー、ということになるが移動しようと思う人で早い者勝ち状態になっていることは明白だった。しかしなんとも運の良いことに、友人が声をかけたタクシーが行ってくださることになった。早速皆合流して乗り込み、運転手さんに一同お詫びとお礼をする。感謝の気持ちでいっぱいだ。

どしゃぶりの雨の中を走る。伊勢自動車道に乗るが高速で走るとワイパーが役に立たないほどの雨量。しかしさすがプロのドライバーだった。当初の案ではレンタカーを借りて名古屋まで行こうという話もあり、私もそれも一理あるとは思ったもののこの大雨での運転と、道路渋滞の可能性から新幹線にいつ乗れるかという不安はあった。
松阪のインターで降りて、青山峠に向かって進む。峠道という感じでこれから帰る気が全くしないルートだ。伊賀神戸駅にようやく到着。改めて感謝の意を伝えていよいよ近鉄大阪線に乗る。
ここからは大阪上本町行きの急行に乗り、鶴橋駅で大阪環状線、大阪駅からJR京都線で新大阪に出る作戦だが、果たしてうまくいくか。いや、いくと信じるしかない。
山間部の駅を各駅に止まりながら順調に進む。荒天であることが嘘のような走りっぷり。今回ばかりは名古屋線が止まってしまったものの、近鉄はどういうわけか天災に割と強い傾向がある。
しかし安心したのもつかの間で、奈良県内に入り大阪が近づく頃状況はますます酷くなり、近鉄大阪線も沿線の土砂崩れ等で東の方から運休の区間が拡大し伊賀神戸方面もついに止まってしまった。つまり文字通りの間一髪で、あと少し遅かったらそこで足止めになっていた。
列車はなんとか走ったものの、奈良や大阪方面でも大雨による川の増水が起き始め、iPhoneにもそれを知らせる警報が流れ始めた。車内は警報の大合唱で不安が余計募る。

やっと鶴橋に到着して大阪環状線に乗り換え。とりあえず大阪都心には到達できてあと少しというところ。しかし天災の波はなおも迫ってきて、大阪駅について新大阪まで一駅移動という所でコンコースの発車案内に異変、JR京都線の運休を知らせる文字が無情にも出てしまった。
とうとうここで、、、と思いそうになるがせっかくここまできたのにという思いも。幸い、大阪〜新大阪間はJRだけでなく地下鉄御堂筋線でも移動できる。大勢の人波の中を足早に地下鉄乗り場へと移動する。御堂筋線は動いてるか、動いてた!
不謹慎だろうが、また一つゲームのステージクリアをしたような心地で新大阪に移動した。

いよいよ最後の関門は新幹線。みどりの窓口には長蛇の列だったが、なんとか列車を確保した。もともとプランで予約されて居たこともあり列車の変更というわけにはいかず改めて指定券を買い直す形だったが、乗れるだけありがたい。あまりの状況にもう細かい時間まで覚えていないが、この時点で午後9時はとうに過ぎていたことだけは覚えている。
残り少なくなった弁当を買って新幹線ホームへ。大雨のシャワーの洗礼を受けた車両ばかりでまた不安が募るが、とりあえず『のぞみ』乗ることはできた。全くシャレを言っている場合ではないが「のぞみ」がつながったことに、一同ほっと胸をなでおろす。
大雨の影響で途中大きく徐行運転したりはしたが、幸い列車ホテルとなることはなかった。東京に帰り着くことができた。よくぞまあ本当に帰ってこれたと一同驚嘆しかなかった。帰宅した時には夜中の1時を回っていた。

今回の旅行は友人の発案だったわけだが、その友人は仕事先でお客様から伊勢に行くことを提案されたことがきっかけだったという。今にして思えばこの旅行と、この経験をしたというのも何かの縁で、さすがに細かいところまで事前に予見されたとまでは言えないものの、私たちはこの旅に行くことによってある意味一つ試されたのだと思う。

旅は楽しいものだが、リスクとも隣り合わせだ。特に2017年の旅はほぼ毎回襲われることになったが、天災はどうしようもない。そう行った意味では冒険である。リスクのある状況では、どれだけの備えをしておくことができるかと、危険に遭遇した時にどんな選択をするかが問われる。今回は選択の部分も含めて非常に試された感じがするし、大いに勉強になった。あまりこんなことをいうのもと思うが、やはり人間こういった状況は人生の中で経験しないと真の成長はなかなかできないんじゃないかと思う。今回は祈りと感謝がテーマみたいなものだったが、ここであまり宗教的なことを触れてもどうかと思うからよそうとは思うものの、祈りもさることながら日頃の行いというか、特にこういった危機的状況を経験させてもらってそれに対してどう対処するかというところを見られている気がするし、(不謹慎かもしれないが)こう言った経験をさせてもらったことについても、自分は感謝したいと思う。

京王 二代目5000系登場

番組の途中ですが…(笑)

京王電鉄では、来年の春から座席指定列車を運行予定ですが、そちらに使用予定の新型車両5000系が、今年9月から運行を開始しています。

まだ数が少なく、当初は割と限られた運用になっていたことも有りなかなか目撃することができませんでしたが、このほど営業列車に使われているところを偶然、捉えることができました。

昭和38年に登場し、名車として親しまれた5000系の称号を引き継ぎ、二代目5000系とも呼ばれるこの車両。京王線で初めての座席指定列車と、通勤輸送の両方に使用できるよう、クロス、ロングの転換ができる座席を京王で初めて採用しています。

高尾駅に入線する各停高尾山口行きの5000系。京王線は通勤電車ということで直線的な形状が多かったですが、5000系ではスピード感を意識してか流線型のデザインになっているのが特徴です。

今回は実際乗らなかったのですが(笑)、人が少なかったのでちょっと失礼して外から車内の様子を。

まだ普通の列車に使われているので、座席はロングシート状態での運行です。ただし、クロスシートにすること前提なので、他の路線の特急車両のものと同じように背もたれが高く、頭にあたる位置には枕、肘掛までちゃんとついています。特急も含めてすべてロングシートの通勤車両しかなかった京王にとっては初めての設備です。座席の色は落ち着いた感じで良いですね。

また電源のコンセントがすべての座席に設置されているそうです。新幹線や特急車両でも標準になりつつありますがPCやスマホを持ち歩くのが当たり前の今では、嬉しい設備ですね。

トイレまでついていたらもう完璧ですが、そこまではついていません。もっとも京王線の運行距離では、そこまでいらないか…(笑)

一般の列車にも使用されるので、外見だけみると4ドアのありふれた通勤電車の外観で9000系と大きく変わらない印象です。クロスシート状態にしたときに柱が気にならないようにしたのか、窓の形がちょっと変わった感じです。

筆者は上り準特急に乗るつもりだったのですが、これもたまたま!高尾山の緑にラッピングされた8000系がやってきました。思いがけないツーショットです。

まだ座席指定列車の運行ダイヤや愛称など、詳細は発表されていませんが、乗り入れしている都営新宿線でも試運転を行ったようで、新宿発だけでなく乗り入れの列車も出来るのでしょうか? 西武鉄道でも地下鉄・東急線に乗り入れる座席指定のS-TRAINが運行されていることだし、地下鉄乗り入れも不思議ではない話です。

2008年から小田急ロマンスカーが地下鉄千代田線に乗り入れたのを筆頭に、東武東上線でTJライナー、西武鉄道のS-TRAINと、近年は座っての通勤、帰宅を実現すべく、通勤路線・地下鉄での座席指定列車がトレンドになってきました。小田急ロマンスカーは時間があったときに何度か乗ったことがありますが、結構人気があるのか満席近くまで埋まっていることが多く、本数も運行開始当初より増えています。追加料金はかかりますが、煩わしい満員電車から解放されて、ゆったりとした車内で座って帰れるというのは、やはり気持ちの良いものです。

来年春の座席指定列車の運行開始が待ち遠しいですね。

新幹線でひとっ飛び、初夏の北陸金沢の旅(6)

というわけで一日はあっという間に終わり、金沢駅前の居酒屋で地元の料理を肴に酒を酌み交わす。こうまでするとやはり一泊…と思いたくなるがそこはガマン。列車の時間があり限られた中だったのでちょっといそいそした感じだったがまあ続きは列車の中でw
19:18のかがやき516号で金沢を後にする。駅員さんにお願いして発車前に記念撮影。快く応じて下さり深謝。

列車の中でもプルトップを開けてさあ二次会の始まり、と思いきや富山あたりまで来てこっくりこっくり、疲れが出て来ましたかね。それと北陸新幹線のシートは枕がついてるので寝るのにもってこいという環境もあります。(笑)

最速達のかがやき号、長野に止まってあっという間に埼玉にもどり大宮へ。よく寝入っていた同行者もそろそろ起き出す。2時間前までの北陸の感覚はすっかり薄れて都会に逆戻り…。朝と同じ上野駅で列車を降りる。楽しいひと時は本当にあっという間だ。とりあえず今回は予定外の動きにはなったが無事に進められて何よりだったしそれはそれで勉強にもなった。毎年恒例となってきているこの旅だが今回も素晴らしかったし予定を合わせて機会を作って下さり企画手配と色々一緒に奔走して下さった仲間達に感謝したい。またこんな旅ができることを祈って今回の稿を締めるとしよう。

さいごに、今回乗ることはなかったが、たまたまタクシーを拾うべく訪問した北鉄石川線の野町駅。地方私鉄のターミナル駅、のんびりとした空間がまた心地よかった。北鉄は浅野川線に乗ったことがあるのみ、いずれまた改めて石川線の旅もするとしよう。(完)


新幹線でひとっ飛び、初夏の北陸金沢の旅(4)

さて、記録的大雨、各線運休発生というまさかの状況下で金沢に到着。とりあえず立て直しを図るべくまずは駅前のスタバに入る。外の雨は台風のように強烈で傘が役に立たない。駅前広場やバスターミナルが屋根に覆われているだけまだ有難い。

有識者会議の結果(!)金沢市内中心を巡ることにし、温泉も入ろうということになって金沢駅からバスで40分ほどの湯涌温泉へ向かうことにした。

9:55のバスでまずは湯涌温泉へ向かう。少し山に入ったところの温泉地で比較的アクセス性も良い。最近はアニメ『花咲くいろは』のモデルとなったことでも知られている。

相変わらず雨脚は強く、外に1分でもいようものなら間違いなくびしょ濡れになる。その程度ならまだしも車窓で時々遭遇する川の流れが尋常ではない。どこも濁流となっていて水位がもう少し上がれば溢れたり決壊したりしてもおかしくないのではという流れであった。湯涌温泉まで行ってはみたものの、無事帰れるだろうかという思いがよぎる…。

とりあえずは湯涌温泉に到着。生憎の天候も手伝ってか人影が少ない。温泉旅館が立ち並び街も昔ながらの風情を色濃く残している。幸いにも歩いている間、雨はだいぶ弱まってくれた。



少し散策の後、温泉に浸かることにした。湯涌温泉総湯 白鷺の湯


お湯加減も程よく、いい湯だった。

せっかく心身綺麗!になったのもつかの間、外に出たらまた凄い雨にたたられて一気にびしょ濡れに逆戻り…。まあ、仕方ない。靴の中浸水状態で帰りのバスに乗り込む。ひゃー!

奥多摩へ

すっかり更新が止まってしまった。

せっかくの連休ということで日帰りの旅へ。比較的近いもののあまり行ったことのなかった奥多摩に出向いた。

立川から青梅線に乗車。車両はとうに新型E233系で統一され中央線と遜色ない。数年前からドアは全て半自動化されボタンを押して乗り降りする。

御岳山、奥多摩といった観光地を擁する青梅線。行楽期とあって混雑も覚悟したが、青梅までは10両編成で本数も比較的多く、また乗った電車も立川始発とあってか空いていた。中央線直通だったらまた違ったかもしれないが、まあそれでも観光客の多い高尾山方面と比べたらちょっと勝手が違うだろうか。

静かな車内のまま郊外の市街地を進む。羽村あたりまで来ると山が少し迫ってきた感じもするが、まだ市街地が続く。新宿から40km少々離れた地域ではあるが、まだまだ通勤圏内でベッドタウンという感じだろう。

東青梅を過ぎると単線になり、左右を山に挟まれるように進み市街地も狭くなる。単線を一駅進んで青梅。以前はこの先奥多摩への直通も多かったが最近はほとんど青梅で乗り換えとなっており、この先は4両編成の奥多摩行きの区間列車が1時間に2本ほど走るのみである。

青梅で昼食を兼ねて少し散策する。レトロな街として知られており、古い映画のポスターが再現されているのが目立つ。駅構内も待合室を始めレトロ仕様で揃っている。ちょっと作為的な感じもするが味があって良い。


青梅駅。ホームは1面2線であまり広くない。観光客が増える繁忙期は乗換でごった返す。


ホームの増設工事が行われており完成すれば2面3線となる。(駅外の道から撮影)


駅ホームの待合室もレトロなデザイン。漢字が右から読む仕様。


階段には「昭和の街 青梅へ」と掲げられている。


至る所に名画のポスターが掲げられている。駅構内にあった解説を読むと作成?にはなかなか手間のかかる物である。

昼食後、下り列車で奥多摩へ向かう。青梅から先は全線単線、4両編成のローカル線となる。カーブしながら山間の集落を結ぶように走り、トンネルも多い。ここまでは空いていた青梅線だったが、この先は観光客で混雑している。


御嶽で御岳登山の客がどっと下車、少しマシになるが奥多摩方面へ向かう客でまだ少し混んでいる。

鳩ノ巣駅。奥多摩まであと2つ。ホームには標高が書かれた看板が立てられていたが306mだそうだ。東京タワーより少し低いくらいで、結構な高さまで登ったことになる。

最後の駅白丸を過ぎて、長いトンネルをくぐり終点奥多摩へ。急カーブの上にある終着駅。駅の先はセメント工場になっている。ちょっと秩父に似た感じの雰囲気。


駅前ではヤマメの塩焼きを売っていた。待つ人が多かったがなかなかすぐには焼けずお店のおじさんも困った様子だった(苦笑)

慌てずにゆっくり待って味わう。美味。


バスに乗って奥多摩湖へ。これまたバスがすごい人だったが臨時便があったのでまだマシなのだろう。青梅街道が通り車こそ多いものの、人工物が比較的少なく自然を満喫出来る。

多摩ニュータウンを行くE233系

小田急線に乗り入れたJR常磐線のE233系。少し前まではJRの車両が小田急に来ると話題になったものですが、乗り入れ開始からもう一年経とうとしています。小田急自体は通勤で利用するのでそれなりの頻度でE233系には当たりますが、今回は普段行かない多摩方面に出向いてみました。しかし多摩ニュータウンで見るとまだ違和感がなんだか隠せないな。

小田急多摩センターにて


終点唐木田へのラストスパートにかかったE233系。お馴染み多摩モノレールの軌道をバックに発車していくが、なんだか見慣れない。

京王バス復刻塗装

京王電車、バス100周年を記念して京王バスも復刻塗装されている。

80年代頃に運行されていたのはこの塗装のバスらしい。だいぶ昔のこと上にバスなんぞ乗らなかったから、覚えていないw


丁寧にも昔の名前の「京王帝都」と書いてある。名前変わってからも10年以上経過している。

渋谷駅から中野坂上駅まで移動するのに渋64系統に乗車した。渋谷区役所を経由して富ヶ谷から環六に入る。

たまにはバスの旅もいい。