大須観音と鶴舞線

地上に出て久屋大通を少しぶらぶらして一旦ホテルに荷物を置き、今度は伏見駅から鶴舞線で大須観音へ。一つだけではあるが電車に乗って、帰りは歩いて戻ることに。ちなみに鶴舞線は以前に一度、名鉄豊田線からそのまま乗り入れで全線乗車している。その時も大須観音に行ったんだったな。

伏見の地下街から駅に入る。ちょうど東山線の藤が丘行きのホームにそのまま繋がっている。東山線は銀座線同様、古い地下鉄だけにホームは浅い。N1000形が到着、歴史ある路線も車両は最新になっている。

東山線ホーム裏には連絡通路がある。通路を名古屋寄りまで歩いて、さらに下の鶴舞線ホームへ。名古屋で三番目の路線で昭和50年代に開業しており、駅ホームはちょっと深い感じがする。名鉄線と相互乗り入れしていて、普通の大型サイズの電車(20m4ドア)が6両編成で走る。年代や駅の構造・雰囲気、車両など、東京でいえば都営新宿線なんかと共通してる気がする。路線の色がブルーという点では東京メトロの東西線も連想されるが、東西線は年代がちょっと古いし(昭和39年から順次開業)、路線も長くて混雑も半端ない。鶴舞線も名鉄との乗り入れで東は豊田市、西側は犬山方面まで運行されているが、それほどの混雑にはならないようだ。やはり名古屋で混んでいるというと東山線が思い浮かんでしまう。

地下鉄ということで都心の交通手段ではあるものの、伏見や丸の内などのオフィス街を通っており、最大のターミナルである名古屋駅や繁華街の栄は通っていない。そんなところも他の路線と趣が違うと思う。時刻表をみても平日の朝こそ4分間隔だが、昼間は平日は1時間に7-8分間隔、土休日にいたっては10分間隔と、地下鉄にしてはちょっと本数が少ない。東山線や名城線に比べると車両が大きいという違いもあるが、ターミナル駅や繁華街といった四六時中人が多そうなエリアを通るのと、平日朝夕の通勤時とそれ以外の時間の差が激しいビジネス街中心のエリアを通るのとでは、やはり事情が違うのかと思う。

やってきた豊田市行きの電車に乗って、隣の大須観音へ。3050形の6両編成。

向かい側には新型のN3000形。昭和52年に登場した初代の3000形は順次置き換えられている。3050形と合わせて新型に統一されるのも遠くないようだ。乗り入れの名鉄線からは赤い電車の100系が乗り入れてくるが、こちらは置き換えられずリニューアルされており今後も第一線で継続する。大切にされていると思う一方、新好きにとっては全車両でなくていいから、新型も入って欲しいなと思ってしまうところ。(笑)本線系は新型にどんどん置き換わっているし瀬戸線も100%新型になってしまった(瀬戸線の場合は、塗装設備がないという理由もあるようだが)。

ちなみに今回撮ったものではありませんが(笑)以前に乗った時の3000形と名鉄100系。

一つ隣なのですぐに到着、大須観音駅を出る。駅名にもなっている観音様は2番出口が近い。それまで雨には降られなかったがこの駅を出たら途端に雨になってしまった。雲の切れ間から太陽はのぞいていてお天気雨のような感じだった。ちょっと強めでスコールみたいな感じもしたが、割とすぐに止むんじゃないかなー、とあまり気にせず歩く。でもなんだか、お参りがてら雨宿りみたいな感じになってしまった(笑)

伏見駅は隣だし少し都心を歩こうと思い、お参りの後はそのまま北の方へ戻るように歩いた。大須観音駅のちょっと北側で名古屋高速が通り、その先は白川公園、名古屋市科学館もある。真ん中の巨大な休憩の物体はプラネタリウムか。今回、熱田神宮も含め結構歩いたのもあり、中にまでは入らなかったが、外にもH2-Bロケットや昔の名古屋市電の車両などが展示されていて面白かった。

名古屋市科学館の館外に展示されている名古屋市電の車両(1400型)。名古屋市電は昭和49年3月31日に全廃されている。

市電の隣にはもう一つ線路があって車両が展示できるスペースになっているが現在車両は止まっていない。そこはB6型 蒸気機関車の展示場所であった。あおなみ線での走行も期待されていたが走行には多額の車両整備費用がかかることがわかったという。とりあえずはこちらにまた戻されて、車輪のみを動かす動態展示ということに落ち着いたようだ。また会える日を期待して!

うろうろしているうちに腹も空いてきた。夕方になったしちょっと早いけど夕食がてらきしめんを食べて戻る。結構歩いて久々にいい運動になったかな。

名城線で栄へ

西門を出て伏見通りを歩き、神宮西駅から地下鉄名城線で栄に出る。

場所柄もあるのか、乗客はあまり多くなく平日の昼間はほとんど人がおらず静かだった。ちなみに他の駅でも感じたが、古い駅はどうも東京の地下鉄と比べると、駅ホーム、コンコースとも少々薄暗く感じる。電車は新型になっていて良いのだが…。リニューアルも進めてはいるようなので、今後に期待したいところ。

名城線は最大の繁華街、栄を中心に名古屋市内を一周する環状線となっている。全長26.4kmを28駅で結び、一周50分程度、山手線よりは短いもののそれなりな長さではある。路線自体は昭和40年代から存在し名古屋で二番目の路線と古いが、長らく栄や金山を含む西側の部分しか出来ておらず、東側が完成して環状になったのは平成16年のこと。日本の地下鉄で完全な環状運転をするのは初めてとなる(大江戸線も環状と言われていたが、実際には都庁前駅で折り返しているため)。なお、途中の金山では名古屋港に向かう路線(名港線)が分かれており、昼間は環状運転する電車と、途中の大曽根で折り返し金山経由で名古屋港まで乗り入れる電車が各10分おきに運行されている。そのため都心部を通る西側の金山〜大曽根間は5分間隔だが、それ以外の区間は10分間隔となる。ということで山手線とは違い環状運転する電車ばかりではない。どちらかというと東側は郊外寄りではあるので、利用実態に見合った本数設定とも言える。

ちょっと変わっていると思うのは、環状運転の表現が「外回り」・「内回り」ではなく、「右回り」・「左回り」という言い方をしているところ。英語表記では、右回りを「clockwise(時計回り)」、左回りを「counterclockwise(反時計周り)」と表現している。でも直感的にわかりやすくて良いと思う。

ということで神宮西駅から右回りの電車に乗り栄へ向かう。初期に開業した東山線、名城線と乗り入れの名港線は車両が小さく、15m級3ドアの6両編成しかない。東京でいえば銀座線とほぼ同じである。そのため東西に結び名古屋駅を通る東山線は、銀座線に負けないくらい混雑している。特に都心部では昼間でも乗客が多い。一方の名城線も都心部を南北に通る路線だが、朝夕は混雑するようだが昼間に関しては銀座線と比べると相当空いている。

神宮前駅では10分間隔だったが普通に空席があり、金山から本格的に都心に入る感じになるが、名港線の乗り入れで本数が倍になるためか乗客が増えても混雑はしなかった。上前津では鶴舞線と接続しており乗り換え客が多いようで、ここ上前津から栄あたりが一番乗客が多いと感じた。ちょうど電車で後ろ(金山寄り)の方に乗っていて、鶴舞線との乗り換え通路が後ろの方にあるのも要因だろう。それでも昼間は気になる程の混雑ではなく快適に思えた。まあこんなことを言うのも何だが、余裕があるというのは羨ましいことだ。

10分少々乗って栄に到着、少しではあったが名古屋の地下鉄見聞みたいな感じだった。全線乗っても良かったが名城線・名港線は全線地下だ。まあ、またいずれ。栄駅は東山線と交差しており階段を上がってすぐ乗り換えができるが、両線を結ぶ階段は中二階みたいなところで複雑に交錯していてなんだか昔の駅らしい。東山線は島式ホーム、名城線は相対式ホームなのも理由だろうが。東山線のホームを経由して階段を上がると、改札を出て栄の地下街に出る。言わずと知れた大規模な地下街だ。

熱田神宮へ

一泊二日で久しぶりに名古屋へ行くことにした。このところ色々あって泊りがけで遠くになかなか行っておらず、かなり久々な感じだった。泊まりは、冬に紀伊半島に行って以来だったか。

新幹線で名古屋へ。名古屋といえばいつもお世話になっている矢場とんの味噌カツでまずエネルギー補給。疲れ気味の体にもしみる味!

この日の前後、東海地方はあいにくの天気。天気によって行き先は変えようと思ったが幸い大雨にはならず、曇天だったが日差しも強くなく(少々蒸し暑かったが)比較的過ごしやすい気候。まずは熱田神宮に行くことにした。

熱田神宮はJR(東海道線)、名鉄で行けるが、名鉄の方(神宮前駅)がより近く、停車する列車の本数も多くて行きやすいだろう。JRは熱田駅が最寄駅だが少し歩く上、普通列車しか止まらないので昼間の本数は少なめだ(15分間隔)。名鉄の神宮前駅は全列車が停車するので、特急券不要の列車ならどれに乗ってもいけて便利である。ちなみに神宮前駅では、豊橋方面(名古屋本線)、中部国際空港・知多半島方面(常滑線)に分かれるが、どちらも停車するので乗り間違えの心配も無用。また、後で乗車するが地下鉄名城線も神宮の周りを通っているので、栄など都心へのアクセスも便利である。

名鉄名古屋駅は、JR名古屋駅の東隣の地下にある。言うまでもなく名鉄最大のターミナル駅で、地上には名鉄百貨店や名鉄グランドホテルなどもある。ということで、さぞ駅も広く線路も多いターミナルと思ってしまうのだが、線路はたった二本、まるで途中駅と何ら変わらないような構造である。通過型ターミナルといわれるもの。「本線」である名古屋本線自体が豊橋〜岐阜間を結んでおり名古屋は通過点みたいなもので、他の路線でも名古屋を通り越して反対側の路線に乗り入れる列車が多い。そんな訳で、行き止まり式のターミナルにはなっていない。だが、名古屋周辺では路線が各方面に「タコ足」のように分岐しており、二線しかない駅でそれらの列車を捌かなくてはならない。ということで同じ線路にいろんな行き先、種別の電車がきて訳が分からないのがちょっと旅行者泣かせである。駅のホーム天井付近の案内板は方面ごとに非常に細かく分かれており、乗車位置も違っている。ようやく今年に入って駅を改築し、線路を四線に増強する計画が公表された。

とりあえず神宮前ならばどの列車でも良いので、気にせず乗ることにする。やってきたのは東岡崎行きの普通列車、列車は2両編成、名古屋駅を通るのに2両とつい思ってしまうが、名古屋で日中の普通列車ならそれでも問題ないのだろう。見ていると名古屋駅から乗る乗客も驚くほど少なく、座席も全部埋まらない状態で発車した。実に余裕がある。周囲を見れば近鉄名古屋線も普通列車は2〜3両編成、20分おきの運行である。乗客の絶対数が首都圏よりずっと少なく、そんな中でもやはり特急や急行を利用して主要駅の間を移動する乗客が多いため、普通列車の乗客が必然的に少なくなるのだろう。後で乗車するが、都心の地下鉄はさすがに本数が多いものの、こちらも昼間は東京と比べれば車内は余裕があるように見える。

名鉄名古屋を発車すると地下トンネルを出て、山王、金山と進んでいく。山王駅はかつて「ナゴヤ球場前」という名前だった。ファンの皆様には怒られそうだが、子供の頃はナゴヤドームの最寄駅だとてっきり勘違いしていた。(苦笑)

JR中央線と東海道線に挟まれる形で金山へ。いまでこそ「金山総合駅」として名古屋の南側のターミナルとして重要な位置を占めているが、平成元年まで、東海道線にホームはなく通過していた。名鉄は金山を過ぎると一駅だけ複々線になる。名古屋〜神宮前間は本線(豊橋方面)と常滑線(空港・知多方面)の列車が重複しており、本数が非常に多く過密ダイヤである。この区間は複々線化されたものの、今でも郊外方面からの列車全てが名古屋まで入ることはできず、一部金山発着の列車がある。

というわけで普通列車で3つ目の神宮前に到着、短かったが普段乗らない私鉄普通列車も良いな。駅ビルもある主要駅。駅を出ると道路の向こうに熱田神宮の緑が広がっている。

乗ってきた3100系2両編成の普通列車

6000系、河和行き特急。昼間の河和方面の特急は通勤電車が主力。
名鉄といえば赤い電車だが最近は無塗装のステンレス車が増えてきた。今年からは新型車両9500系も登場する。

新旧外観の混結も増えたなぁ

東門から入ることもできるが、せっかくなので足を伸ばして正門である南門へ。ちょっと蒸し暑かったが、境内は緑に囲まれて風もあり心地よかった。

神鶏さまに出迎えられる。拝むというよりカメラを向ける対象と化しているが…

本殿をお参りして、茶店で小休憩。ちょっと汗ばんだ体にちょうど良い。

茶店の横に池には立派な亀石がある。見事に亀と思うほどの形。

平日ということで人は少なめかと思うが、それでもそれなりに参拝者がいて、賑わっていた。

西門を出て伏見通りを歩き、神宮西駅から地下鉄名城線で栄に出るとしよう。

令和最初は

年初めの投稿したと思ったらまたすっかりあいて、ついには平成も終わり令和が始まってしまった。忙しさを言い訳にした典型パターンみたいな感じですなwwいやいや、決してこの間どこも行ってなかったわけじゃないすよ…。

ということで、多くの方は10連休となったことでしょうが、如何お過ごしでしょうか。

連休前半はあいにくの天気が多かったり寒くて体調もあまり優れなかったのであまり外に出ず過ごしてましたが、令和元日はちょっと様子見も兼ねて江ノ島に出かけてきました。天皇陛下即位記念乗車券も各所で発売されましたね。朝から長蛇の列になった駅もあり、並ぶの覚悟で買うのは流石にと思っていましたが地元近くの小田急町田駅の様子を見に行ったところほとんど並んでおらず、ここはということで記念に購入してきました。ああ、輝いてますなぁ。やり残したことといえば平成最後の日は雨天ですっかりいえにこもりきりになってしまいました。磁気でもいいから入場券くらい地元の駅に買いに行けばよかったなと思います…。

江島神社も初詣に匹敵するような人の数でした。

江ノ島から、いつもはあまり歩かない腰越方面へぶらり。令和一発目の江ノ電!でもこの日は撮っただけで結局乗らなかった…まあ、混んでますからね…。湘南鎌倉の観光の人気は相変わらずで江ノ電は休日のたびに通勤電車並みの大混雑、この日もこのあと混雑によるダイヤ乱れが起きてしまったようです。全線単線で12分間隔までが精一杯で、現状の設備で維持するしかない状況ですね。

おなじみ、江ノ電もなかのお店にある旧江ノ電の車両。この日はこちらも日章旗で装飾されていました。

江ノ島の後は茅ヶ崎から相模線へ。久しぶりの乗車。全線単線、20分間隔で時代が変わってもマイペースに我が道を走ってるかのような感じ(そりゃそうか…)首都圏のほとんどの路線の車両置き換えが進んだ今も、そして令和になっても全車両205系で残る貴重な路線です。近年はリニューアルされてちょっと様子は変わったようですが。帯の色も、ブルーが前より濃くなったと思います。

今年は11月末に神奈川東部方面線のうち相鉄・JR直通線の開業が予定されていますね。平成のうちに地下鉄を中心とした都心のネットワークはほぼ完成し、平成後期から令和にかけては郊外の新線開業や、乗り入れを中心としたネットワーク拡大の動きにシフトした感じがします。運行系統が複雑化したところもありますが、乗り換えなしで行けるメリットも大きいですね。今後も目が離せないところです。

平成元年の東京の地下鉄路線網

以前、博物館動物園駅公開のことに触れましたが、その時に開いた東京の平成元年1月当時の地図を見返してみました。平成もちょうど終わろうとしていることですしこの30年でどう変わったか、地図を見ながら振り返って見ようと思います!平成の間にすっかりIT、ネットの時代になってグーグルマップがすっかり主力になってしまいましたが、ページをめくるだけで見つけられる紙の手軽さもまた良いものですね。
この当時東京の地下鉄路線網は昔からすればかなり発達してきていたのでしょうが、まだ建設中だったり存在しない路線もあり、依然としてまだまだ発達の最中で、都心部の道路は地下鉄建設ラッシュでした。筆者は完全にガキの頃でしたが、当時比較的近くで南北線の工事をしていたのを覚えています。

東京メトロ
銀座線
日本でもっとも古い地下鉄路線ということで当時からとっくに完成状態みたいな感じですが、当時南北線が未開業ということで、溜池山王駅はない状態です。同駅開業の頃、ちょうど地下鉄開業70周年でイベントが開かれており、鉄道グッズの即売会も行われて、ドアの上についていた溜池山王開業前の路線図を購入していました。
このころでさえ、東京の地下鉄は路線が多くて複雑で面白いな、と思ったものですが、その後南北線、大江戸線、副都心線が開業することになるので、今のごちゃごちゃした路線図に比べたら、当時の都心部はだいぶ余裕があるように見えてきます(笑)

丸ノ内線
この後に地下鉄路線が増えて乗り換え駅が増えた以外は今と変わらないだろう、と思っていたのですが、当時はまだ西新宿駅がなかったんですね。新宿駅の次は、中野坂上でした。

日比谷線
路線自体は特に変わりませんが、当然ながら当時は東横線の乗り入れが普通に行われています。むしろ副都心線の乗り入れでまさか中止になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。
ただ、乗り入れの区間は菊名が終点ではなく日吉までだったようです。
あ、逆にといってはなんですが今は東武線の乗り入れが東武動物公園から、南栗橋まで延長になりましたね。

東西線
こちらも今とはあまり大きく変わらないようにも見えますが、妙典駅がまだない状態です。また相互乗り入れでは千葉県側、東葉高速鉄道がまだないので、東側は総武線津田沼への乗り入れのみの状態です。

千代田線
南北線が全く未開業なので国会議事堂前駅の乗り換えは丸ノ内線だけ。銀座線のところでも触れましたがこのあたりはスッキリして見えます。
小田急線の乗り入れが本厚木までで、唐木田行きがないころです。というか当時多摩線の終点は小田急多摩センターで、唐木田も開業してません(唐木田の開業は翌年の平成2年)。多摩急行という列車種別も当時はないですね。

有楽町線
平成元年ということで、ちょうど昭和63年に新木場まで全通した後です。当時のメトロニュース(懐かしい)で、新木場開業の特集記事があったと思います(残念ながら、遠い昔に多分処分してしまった…)。
ということであまり大きく変わりませんが、のちに副都心線となる池袋〜小竹向原間の新線はまだない状態です。
加えて西武有楽町線も、当時は小竹向原〜新桜台の一駅しかない状態です。西武の車両が走らず、営団の車両を借りていたころですね。練馬まで暫定開業して池袋線と乗り換えられるようになるのは平成6年のことでした(さらに池袋線に直通運転が始まるのは平成10年)。

半蔵門線
短い路線ながら、今日の押上駅全通まで長い年月を要した路線です。平成15年の押上延長までは長らく水天宮前止まりだったわけですが、この当時は水天宮前も開業しておらず一つ手前の三越前まででした。その三越前延長(半蔵門〜三越前間)も昭和63年に開業したばかりで、こちらも開業記念のメトロニュースの特集記事を読んだことがあります。
水天宮前への延長部分は、当時駅名はまだ決まっておらず、仮称の「蛎殻町」となっています。

南北線(当時、7号線)
はい、当時の一つ目の主役登場です!(笑)
全線開業しておらず最初の開業区間となる路線の北端、赤羽岩淵〜駒込の間が工事中でした。路線名も決まっておらず当時は7号線と書いてありましたね。駅名は仮称なので、JRと接続する駒込と王子以外では、赤羽岩淵が「岩渕町」、王子神谷が「神谷橋」と書いてあります。西ヶ原は仮称からそのまま駅名に採用されたようですね。
平成3年にこの区間が初めて開業します。当時子供だった筆者はせがんで乗りに行きましたかね…。

副都心線
はい、当時は地図上影も形もないです。一応地下鉄13号線として計画は存在したでしょうが(実際有楽町線の小竹向原〜和光市間は13号線ですね)、この路線を介して東武東上線、西武池袋線、東急東横線の相互乗り入れが始まるなど普通は想像もつかないことだったでしょう。

都営地下鉄
浅草線
このあたりは変わらないだろうと思ってたら、思わず目を見張る場所が一箇所ありました。宝町と人形町の間は、今は日本橋駅ですが、その当時の名前は江戸橋駅だったんですね。当時としては別になんてことはなかったのでしょうが、当時浅草線に縁がなかったのでこれは珍しく思いました。
あと、北総線(当時は北総・公団線)は、新京成線と接続する北初富から千葉ニュータウン中央間しか開業しておらず、浅草線乗り入れも始まっていません。そのため南側は京急線、北側は京成線に乗り入れるだけでした。この当時、北総線のことは知る由もなかったですが、このころは新鎌ヶ谷駅が未開業で、北初富経由で松戸まで乗り入れていた頃でしょうか。

ちなみにこの当時京成線の成田空港駅はまだ移転前で、現在の東成田駅にあたります。京急も、空港線は今でこそ名実ともに羽田空港アクセス路線になり浅草線も乗り入れていますが、当時は空港線といいながらターミナルに直結しない単なる支線で、浅草線の乗り入れもない状態でした。羽田空港の拡張、新ターミナルもまだ開業前のことですね。

三田線
目黒〜三田間が未開業で、三田〜西高島平間の路線でした。というか三田線はこの状態でも普通に長い路線ですし、長らくこの状態でもう完成みたいな感じがしており、当時は南北線と合流して目黒に延長し東急線に乗り入れるなど知る由もなかったですね。東急線も当時はまだ目黒〜蒲田間がばりばり目蒲線でありました。こちらもこの年から12年後に、まさか二つに分断されることになるとは…。

新宿線
平成元年1月の時点では一つ手前の篠崎止まりです(本八幡開業は同年3月のことです)。乗り入れの京王相模原線は橋本まで開業しておらず、前年に京王多摩センターから南大沢まで延長されたばかりでした。

大江戸線(当時、12号線)
こちらも開業しておらず、北端の練馬〜光が丘間が建設中として描いてあるだけです。南北線とほぼ同じ時期の平成3年にこの区間が初めて開業することになります。その後、山手線と並んで東京を一周する大動脈路線になるとは、まだ想像もつきませんでしたね。南北線は開業直前に路線名が決まったのに対し、こちらは開業しても長らく名前がなく12号線と呼ばれてましたね。大江戸線の名前で賛否分かれたと思いますが今となってはすっかり定着しています。

こうして見ると、この30年だけでもこんなに変わったんですね!
結構、面白かったです。(笑)

さて今度は元号が変わった後のことになりますが、地下鉄路線網はひとまず完成はしたものの、神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)が開業して相鉄線から東急線経由で、東京メトロ南北線・副都心線、都営三田線への乗り入れとまだ地下鉄をめぐるネットワークは拡大しそうです。

東急の新型

今日は田園都市線の新型2020系デビューの日だったんですね。長津田の車庫に止まってるのを前に見かけましたが、今日初めて通勤途中に営業運転で見かけたかな。外観5000系と似てるところも多いからなんだか前から使われてた車両に見えてしまう…。

そもそも仕事モードでそれどこじゃなかったし、ホームも混んでたので写真は省略っす!(汗)またいずれ…。

と書いていたのですが翌朝も見かけて撮ることができたので貼っておこう。(笑)

二日続けて、同じ列車に使われたみたいですね。発車後の後追いだし、こんなもんですんません。前面のカラーリングはブラック基調で、側面からホワイトとグリーンのラインを回り込ませたデザインが良いですな。

小田急線複々線化完成

2018年3月3日、世間はめでたいひなまつりムードな日であったが、ついにこの日小田急線の複々線化工事が完成した。

複々線化は代々木上原〜登戸間を上下2本ずつの4本、登戸〜向ヶ丘遊園間は下り1本、上り2本の3線として建設された。

30年越しの工事となり郊外側から都心側に向かって少しずつ開通し、最初の開通は平成9年(もう20年も前になるのか)に喜多見〜和泉多摩川が開通、平成16年に世田谷区内は梅ヶ丘まで延長されてかなり長い区間が複々線となり、ラッシュ時の電車の速度も上がって威力を発揮しはじめるようになった。しかし沿線が建物で埋め尽くされていた東北沢〜梅ヶ丘間の立体化・複々線化が困難を極めて最後まで残され、朝上りの増発が出来ず、また梅ヶ丘あたりから電車もノロノロ運転せざるを得ない状況が続いていた。ほとんどの区間を高架線として建設されたが、この東北沢〜梅ヶ丘間は地下化することに決定し、複々線化に先んじて平成25年にまず地下化が完成、踏切が除去されて立体交差化された。代々木上原〜下北沢間はかなり早く昭和53年から複々線になっていたが、地下化工事に際し、一旦複線に戻されている。地下化区間では、将来急行線になる線路を使った仮の状態で複線として運用され、その後各停が走るトンネルと線路を上層部に建設して、ようやく複々線としての完成にこぎつけた。また、複々線の反対側ではこれも用地買収の関係で、登戸駅の手前で下り線が1本に絞られてしまう状態が続いていたが、下りホームの位置をずらして各停用の線路を増設し、1番線の使用を開始して下りも線路2本となった。

構想50年、工事30年と言われた大事業、私はもはや工事開始の頃は小さすぎてさすがに分からないが、小学生だった頃か、沿線の各所に複々線化用として用地買収された土地が散在し、一部では高架橋が姿を現していたような記憶がある。

複々線を先行して使用開始したが、増発を伴うダイヤ改正は3月17日の予定。列車種別の改変や千代田線直通列車の大幅な増発など複々線の威力を発揮できるダイヤで混雑緩和が期待されている。

下北沢駅の各駅停車ホーム。急行用ホームの一層上、地下一階に設けられている。なお、ダイヤ改正後はこのホームに準急と、新設される通勤準急も発着する。

下北沢駅の地上の様子。しばらく降りていなかったが長年の工事がほぼ完成し、太陽光を取り入れられる明るい駅舎が出来つつある。地下一階各停ホームへのエスカレーター・階段と、地下二階急行ホームに直行のエスカレーターがある(各停ホーム経由でも、急行ホームには行ける)。いつの間にか、小田原方面側には、南西口という新しい出入り口ができていた。

昼下がりの各停列車もこの日ばかりは心なしか人が多かった。

ついでというのは何だが、少し足を伸ばして代々木八幡まで行ってみた。各停しか止まらない駅だが、各停の10両編成化に向けてホームの新設工事を行っている。駅舎も新設されるようだ。

駅名にもなっている代々木八幡をお参りして、代々木上原からまた各停で帰路についた。これで、通勤が少しは楽になるかな。

お伊勢参りですが…(4)

最終回をまだ書いていなかったな。携帯を初期化したおかげで写真がなくなってしまった。もっとも今回天候や状況もあったのでろくな写真を撮っていない。

二日目を迎えた伊勢旅行。この日はどう考えてもとんだ一日になることが明白だった。予想されていた台風襲来の日である。そして昨日から見ている天気の情報では「伊勢湾台風」に匹敵するという文字まで飛び込んできた。ルートもそのような感じらしく、これが現実になったらと思うともう不安しかない。

前日の疲れもあってゆっくり目に寝たがまだ寝足りない気分。カーテンを開けたら外は相変わらずの大雨。冴えない一日の始まりだ。朝食をとってこの日のプランを相談する。
予定では猿田彦神社に行き、その後内宮、おかげ横丁と回って、宇治山田からしまかぜで帰ることになっていた。早めに帰りたい気分がこの時からあってその方向にすることを話してみたものの、プランの都合で列車の変更の自由が利かずせっかくきたので回りたいということもあって、宿を早めに出たこと以外は予定どおり決行することになった。今となっては、そこで無理してでも帰っておくという選択肢も有りだったと思う。が、その渦中にいる時というのは人間は得てして場の空気に少なからず飲まれるので、冷静な判断はなかなか下せない。ある意味そのことをまた思い知らされたような気がする。

送迎バスに再び揺られてまずは鳥羽駅へ。バスを降りるともうどしゃぶりだ。
近鉄鳥羽線の普通電車で五十鈴川へ。そこからバスに乗って内宮方面へ向かうが手前で降りて、まずは猿田彦神社へ。昨日の蛙のところでも出てきたな。

しかしもう最初から雨が酷過ぎて、びしょびしょだ。この後、内宮にも向かったわけだがずっとそんな展開。
その時はその時だったが、今からして思えば常軌を逸しているといっても過言ではなかった。
四人で出かけたもののちょっと割れ始めの空気、いつしか、私と、よく一緒に旅をしている友人の二人だけは、先をゆく二人の後方に距離を置いて歩いている。この時点で少し割れかけた関係性になっているところもある点、はたから見れば失敗も同然な感じだ。

参拝後、おかげ横丁の食事処に入る。名物の松坂牛が供されるお店で牛肉コロッケを食べる。つかの間の休息といった感じで美味かった。しかし体もカバンも靴の中もビショビショでタオルもすっかり水を吸ってしまった。
ここまできた時点で一応の目的はほぼ終えており、あとはお土産だけ買って帰ってもよかった。しかし、一同はまだおかげ横丁を懲りずに、うろうろしようとする。それにさっき内宮の時もそうだったが五十鈴川が増水しており半端な状況ではない。これはもうここで打ち切って早く帰った方がいい。

ということでまだ予定列車まで時間はあったが、内宮前からバスに乗って宇治山田駅へ向かった。しかしその車中で恐れていたアナウンスが耳に入ってしまう。
帰路で乗ることになる近鉄名古屋線で、一部区間運転見合せの情報が入ってしまったのだ。原因は列車のパンタグラフ破損ということで、この時点では人災であろうことが考えられた。しかしなんといってもこの天候、何があってもおかしくなく、このまま天候の悪化で遅れがひどくなったり運休に追い込まれる可能性もあった。ともあれ、まずは駅に行こう。もしかしたらなんとか復旧するかもしれない。

宇治山田駅に到着した。列車は運休しており広い待合所は足止めされた乗客が集まっていた。とりあえず状況確認と、できることを考えながら過ごす。止まっていたのは名古屋線だけで大阪線は動いていたので、やろうと思えば難波や京都方面に出てそこから新幹線で帰ることも可能で、その選択肢も頭にはあった。ただ、時間がまだ早かったことと、名古屋での新幹線が夜遅い時刻で予約されていたため、名古屋線が復旧すればまだ帰れる可能性があった。しかし、いつまでたっても復旧のめどが立たないという情報が流れるばかりだった。

そうこうするうちに、大阪線も青山町〜伊勢中川駅で運転見合せになってしまい、完全に孤立状態になった。時刻は16時近くなったが、四人のうち二人は何か考えがあってか案内所に行って今後のことを考えようとしたようだ。私と、もう一人別の友人が待合所で待ち続けることになった。自分の頭の中では最初から、名古屋線の復旧を待つか大阪に出るかの二択しか持たなかったが、この時点で明確に後者に決まった。
やっと四人揃い、今後のことについて今から宿を確保してこのまま伊勢に留まることも含めて少し議論になった。が、時刻はすでに16時30分、ここを逃したらあとはないと思って、強行に大阪へ出ることを推して進むことにした。作戦としては伊賀神戸駅までなんとか、そこから近鉄大阪線で大阪に一旦出て、新大阪から新幹線に乗ることを考えた。
今から考えれば、この大阪へ出てから帰るプランも100%成功する保証はどこにもないし、正直一か八かだった。しかしだからといって、伊勢に安全な方法で止まることがこの段階から実現できるか、実現できてもその先どう展開するかもわからないので、どちらの選択にしろ良い状態が保証されたものではない。それだったら一歩でも目的地に近づいたほうがよかろうとの思いだったし、友人たちには悪いゆえ口にはあまり出さなかったが、筆者は「最悪列車ホテルになっても構わない」と思っていた。確かに列車ホテルは叶うならあまりいたくはない。しかし、それは密室である上に狭いところに長時間同じ格好をしていることへの不快、不安の大きさからくるとも言える。エコノミー症候群やその他体調不良のリスクがないわけではないという点は確かにある。しかし、外気に触れない室内に居られるという点では、外よりも安全性は高いのだ。少なくとも、外に出られてもその先安全の確保された場所に行ける見込みがすぐになければ、むやみやたらに外に出ることは考えものだと思う。(実はこのあと宇治山田駅は私たちが出たあと夜になって冠水した。宿泊先が取れなかった場合、最悪駅にずっととどまることになる選択も全くないわけではない)

宇治山田駅から他の近鉄の駅に向かう交通手段をどうするかがまず問題だった。とりあえずタクシー、ということになるが移動しようと思う人で早い者勝ち状態になっていることは明白だった。しかしなんとも運の良いことに、友人が声をかけたタクシーが行ってくださることになった。早速皆合流して乗り込み、運転手さんに一同お詫びとお礼をする。感謝の気持ちでいっぱいだ。

どしゃぶりの雨の中を走る。伊勢自動車道に乗るが高速で走るとワイパーが役に立たないほどの雨量。しかしさすがプロのドライバーだった。当初の案ではレンタカーを借りて名古屋まで行こうという話もあり、私もそれも一理あるとは思ったもののこの大雨での運転と、道路渋滞の可能性から新幹線にいつ乗れるかという不安はあった。
松阪のインターで降りて、青山峠に向かって進む。峠道という感じでこれから帰る気が全くしないルートだ。伊賀神戸駅にようやく到着。改めて感謝の意を伝えていよいよ近鉄大阪線に乗る。
ここからは大阪上本町行きの急行に乗り、鶴橋駅で大阪環状線、大阪駅からJR京都線で新大阪に出る作戦だが、果たしてうまくいくか。いや、いくと信じるしかない。
山間部の駅を各駅に止まりながら順調に進む。荒天であることが嘘のような走りっぷり。今回ばかりは名古屋線が止まってしまったものの、近鉄はどういうわけか天災に割と強い傾向がある。
しかし安心したのもつかの間で、奈良県内に入り大阪が近づく頃状況はますます酷くなり、近鉄大阪線も沿線の土砂崩れ等で東の方から運休の区間が拡大し伊賀神戸方面もついに止まってしまった。つまり文字通りの間一髪で、あと少し遅かったらそこで足止めになっていた。
列車はなんとか走ったものの、奈良や大阪方面でも大雨による川の増水が起き始め、iPhoneにもそれを知らせる警報が流れ始めた。車内は警報の大合唱で不安が余計募る。

やっと鶴橋に到着して大阪環状線に乗り換え。とりあえず大阪都心には到達できてあと少しというところ。しかし天災の波はなおも迫ってきて、大阪駅について新大阪まで一駅移動という所でコンコースの発車案内に異変、JR京都線の運休を知らせる文字が無情にも出てしまった。
とうとうここで、、、と思いそうになるがせっかくここまできたのにという思いも。幸い、大阪〜新大阪間はJRだけでなく地下鉄御堂筋線でも移動できる。大勢の人波の中を足早に地下鉄乗り場へと移動する。御堂筋線は動いてるか、動いてた!
不謹慎だろうが、また一つゲームのステージクリアをしたような心地で新大阪に移動した。

いよいよ最後の関門は新幹線。みどりの窓口には長蛇の列だったが、なんとか列車を確保した。もともとプランで予約されて居たこともあり列車の変更というわけにはいかず改めて指定券を買い直す形だったが、乗れるだけありがたい。あまりの状況にもう細かい時間まで覚えていないが、この時点で午後9時はとうに過ぎていたことだけは覚えている。
残り少なくなった弁当を買って新幹線ホームへ。大雨のシャワーの洗礼を受けた車両ばかりでまた不安が募るが、とりあえず『のぞみ』乗ることはできた。全くシャレを言っている場合ではないが「のぞみ」がつながったことに、一同ほっと胸をなでおろす。
大雨の影響で途中大きく徐行運転したりはしたが、幸い列車ホテルとなることはなかった。東京に帰り着くことができた。よくぞまあ本当に帰ってこれたと一同驚嘆しかなかった。帰宅した時には夜中の1時を回っていた。

今回の旅行は友人の発案だったわけだが、その友人は仕事先でお客様から伊勢に行くことを提案されたことがきっかけだったという。今にして思えばこの旅行と、この経験をしたというのも何かの縁で、さすがに細かいところまで事前に予見されたとまでは言えないものの、私たちはこの旅に行くことによってある意味一つ試されたのだと思う。

旅は楽しいものだが、リスクとも隣り合わせだ。特に2017年の旅はほぼ毎回襲われることになったが、天災はどうしようもない。そう行った意味では冒険である。リスクのある状況では、どれだけの備えをしておくことができるかと、危険に遭遇した時にどんな選択をするかが問われる。今回は選択の部分も含めて非常に試された感じがするし、大いに勉強になった。あまりこんなことをいうのもと思うが、やはり人間こういった状況は人生の中で経験しないと真の成長はなかなかできないんじゃないかと思う。今回は祈りと感謝がテーマみたいなものだったが、ここであまり宗教的なことを触れてもどうかと思うからよそうとは思うものの、祈りもさることながら日頃の行いというか、特にこういった危機的状況を経験させてもらってそれに対してどう対処するかというところを見られている気がするし、(不謹慎かもしれないが)こう言った経験をさせてもらったことについても、自分は感謝したいと思う。

京王 二代目5000系登場

番組の途中ですが…(笑)

京王電鉄では、来年の春から座席指定列車を運行予定ですが、そちらに使用予定の新型車両5000系が、今年9月から運行を開始しています。

まだ数が少なく、当初は割と限られた運用になっていたことも有りなかなか目撃することができませんでしたが、このほど営業列車に使われているところを偶然、捉えることができました。

昭和38年に登場し、名車として親しまれた5000系の称号を引き継ぎ、二代目5000系とも呼ばれるこの車両。京王線で初めての座席指定列車と、通勤輸送の両方に使用できるよう、クロス、ロングの転換ができる座席を京王で初めて採用しています。

高尾駅に入線する各停高尾山口行きの5000系。京王線は通勤電車ということで直線的な形状が多かったですが、5000系ではスピード感を意識してか流線型のデザインになっているのが特徴です。

今回は実際乗らなかったのですが(笑)、人が少なかったのでちょっと失礼して外から車内の様子を。

まだ普通の列車に使われているので、座席はロングシート状態での運行です。ただし、クロスシートにすること前提なので、他の路線の特急車両のものと同じように背もたれが高く、頭にあたる位置には枕、肘掛までちゃんとついています。特急も含めてすべてロングシートの通勤車両しかなかった京王にとっては初めての設備です。座席の色は落ち着いた感じで良いですね。

また電源のコンセントがすべての座席に設置されているそうです。新幹線や特急車両でも標準になりつつありますがPCやスマホを持ち歩くのが当たり前の今では、嬉しい設備ですね。

トイレまでついていたらもう完璧ですが、そこまではついていません。もっとも京王線の運行距離では、そこまでいらないか…(笑)

一般の列車にも使用されるので、外見だけみると4ドアのありふれた通勤電車の外観で9000系と大きく変わらない印象です。クロスシート状態にしたときに柱が気にならないようにしたのか、窓の形がちょっと変わった感じです。

筆者は上り準特急に乗るつもりだったのですが、これもたまたま!高尾山の緑にラッピングされた8000系がやってきました。思いがけないツーショットです。

まだ座席指定列車の運行ダイヤや愛称など、詳細は発表されていませんが、乗り入れしている都営新宿線でも試運転を行ったようで、新宿発だけでなく乗り入れの列車も出来るのでしょうか? 西武鉄道でも地下鉄・東急線に乗り入れる座席指定のS-TRAINが運行されていることだし、地下鉄乗り入れも不思議ではない話です。

2008年から小田急ロマンスカーが地下鉄千代田線に乗り入れたのを筆頭に、東武東上線でTJライナー、西武鉄道のS-TRAINと、近年は座っての通勤、帰宅を実現すべく、通勤路線・地下鉄での座席指定列車がトレンドになってきました。小田急ロマンスカーは時間があったときに何度か乗ったことがありますが、結構人気があるのか満席近くまで埋まっていることが多く、本数も運行開始当初より増えています。追加料金はかかりますが、煩わしい満員電車から解放されて、ゆったりとした車内で座って帰れるというのは、やはり気持ちの良いものです。

来年春の座席指定列車の運行開始が待ち遠しいですね。

新幹線でひとっ飛び、初夏の北陸金沢の旅(6)

というわけで一日はあっという間に終わり、金沢駅前の居酒屋で地元の料理を肴に酒を酌み交わす。こうまでするとやはり一泊…と思いたくなるがそこはガマン。列車の時間があり限られた中だったのでちょっといそいそした感じだったがまあ続きは列車の中でw
19:18のかがやき516号で金沢を後にする。駅員さんにお願いして発車前に記念撮影。快く応じて下さり深謝。

列車の中でもプルトップを開けてさあ二次会の始まり、と思いきや富山あたりまで来てこっくりこっくり、疲れが出て来ましたかね。それと北陸新幹線のシートは枕がついてるので寝るのにもってこいという環境もあります。(笑)

最速達のかがやき号、長野に止まってあっという間に埼玉にもどり大宮へ。よく寝入っていた同行者もそろそろ起き出す。2時間前までの北陸の感覚はすっかり薄れて都会に逆戻り…。朝と同じ上野駅で列車を降りる。楽しいひと時は本当にあっという間だ。とりあえず今回は予定外の動きにはなったが無事に進められて何よりだったしそれはそれで勉強にもなった。毎年恒例となってきているこの旅だが今回も素晴らしかったし予定を合わせて機会を作って下さり企画手配と色々一緒に奔走して下さった仲間達に感謝したい。またこんな旅ができることを祈って今回の稿を締めるとしよう。

さいごに、今回乗ることはなかったが、たまたまタクシーを拾うべく訪問した北鉄石川線の野町駅。地方私鉄のターミナル駅、のんびりとした空間がまた心地よかった。北鉄は浅野川線に乗ったことがあるのみ、いずれまた改めて石川線の旅もするとしよう。(完)