紀伊半島一周の旅(4)

二日目を迎えた紀伊半島の旅。紀伊田辺で一泊して、朝7時51分の新宮行き普通列車で出発する。もう少しゆっくりしていたい気もするが、列車は本数が少ないので早めに行動する必要がある。今日は午前中に白浜を観光した後、昼は紀伊勝浦に移動して午後は那智山に行った後、勝浦で宿泊する行程とした。
本当は串本でも降りて観光してみたかったが、旅行の直前まで考えた末に白浜に絞り込んだ。広い紀伊半島、列車での旅の場合移動の時間や距離には制約があり、二泊三日では仕方ないが限られてしまう。串本は本州最南端で潮岬の灯台などは一度行ってみたいところ。またの機会にしよう。

紀伊田辺から先は単線になり本数もぐっと少なくなる。普通列車の車両は昔からの、105系2両編成がワンマン運転。白浜は紀伊田辺から3つ目と近い。

駅からバスに乗り名勝の三段壁、すぐ近くの千畳敷と回る。いずれも自然の造形美で圧倒される。グランドキャニオン、というとちょっと大袈裟だろうか。でも負けないくらいのインパクトはあるだろう。

三段壁は洞窟になっていて、エレベーターで降りて見学することもできる。ここは降りない手はない。華厳の滝みたいな感じだ。

洞窟の中にまで波が入ってくるが、外は完全に太平洋(外海)なので波の勢いが半端無い。しかも今日は波が高めということで特に勢いづいていたようだ。インディージョーンズの世界。

源平合戦の折、この地で活躍した熊野水軍が船を隠したと言われる。その時の様子を再現したスペースも設けられている。

歩いてほど近い千畳敷にも行ってみる。波の浸食によりできた独特の地形。まさに息を飲む光景。歩いて降りて行けるので行ってみるが、この時はもう風がハンパなくて前に進めない、というか目を開けるのも辛いほどだった。
そばにお土産屋さんを兼ねたレストハウスがあり立ち寄ったが、冬の白浜は特に風が強く、この時期には「春待ち風」という強風が吹くことが書かれていて納得した。そしてここではそれのために「立ちはだかる逆風と戦うマント」を借りることができるらしい。先に来ておれば、スーパーマンになれたのか。。。

自然を堪能してお土産屋で紀州名物を物色したところで、元の道を戻る。
白浜の中心部、ホテルが密集している場所に白良浜がある。名前の通り白い砂が美しい、関西屈指の砂浜でワイキキビーチとも姉妹なのだとか。たしかに、写真だけ見せられてホノルル行ったと言われても一瞬わかんないかも???独特な名前だが、白浜の語源となった砂浜だそうだ。

少し歩いていたら、案の定記念撮影のシャッター係を頼まれた。ここはもう、誰でもシャッターを押したくなる場所だ。
今は冬だが、一度は是非とも夏に訪れてみたい場所だ。(ものすごい人なのだろうが・・・)

温泉地として名高い白浜。海岸の近くにも足湯があるのが特徴的。
せっかくなので少しつかって足の疲れを癒す。これはポカポカになる。

バスで白浜駅に戻る。今日のところは乗車距離があまり長く無いし、柔軟に対応できるように特急の指定席はとっていない。ちょうど良さそうな時間の列車として、白浜11時30分発、特急くろしお3号の自由席にしようと思い、それに間に合うバスに乗った。しかしバスが少し遅れてきた上、途中から大荷物を抱えた乗客が多数乗りこんで時間がかかり、それでまた遅れてしまった。白浜駅の乗り換え接続時間は6分間だったが、間に合うか・・・。
少しヒヤヒヤしたが、途中の停留所はそれほど乗る人がいないためバスはそれなりに遅れを取り戻し、列車発車の2・3分前くらいに白浜駅に到着。なんとか列車の到着までに、ホームに入ることができた。
ふぅ〜、まあ旅にはこんなハプニングも時々ある。
さて、少し駆け足だが次は紀伊勝浦に移動して勝浦観光といこう。

紀伊半島一周の旅(3)

現在紀州鉄道は西御坊が終点でその先は廃線となっているが、線路跡が残っており、600mほど行ったところにかつての終点だった日高川駅の跡がある。

西御坊駅付近、車止めで塞がれているがその先一部線路が残っている。

 

終点の日高川駅付近の様子。線路に加えて踏切も「使用中止」の札がかけられたまま残されている。長年風雨にさらされてちょっと痛々しいが、ここまで残っているのも珍しいと思う。

線路周辺に路地が多いため訪問するのは容易だが、現地に書いてある通り線路内は紀州鉄道の敷地となるので、立ち入ったりしないように。

 

少し行くと日高川駅の跡地がある。ここも線路が残っていて終着駅を示すかのように線路の分岐も残っている。こうしてみると今にも列車がやってきそうな雰囲気。ちなみにここから少し行くと駅の名前になっている日高川が流れている。

 

その日高川の堤防を兼ねた県道から見下ろした日高川駅跡、奥が御坊方面。

 

西御坊周辺にきてから雨が再び降り出してしまったので、さっさと西御坊駅に戻る。簡素な駅舎はあるが、ホームまで屋根付きでありがたい。自動販売機も置かれている。時間限定で駅員がいるようで駅員室の設備があるが、この時は無人だった。
駅の壁面には地元の写真家による写真がいっぱい貼られていてにぎやかだ。

無人状態の改札の横には発車時刻表が貼られている。全ての列車と、御坊駅で接続するJRの列車が書いてある。わかりやすくて有難い。ただ、見ての通り終電は20時台と早い。。。

鉄道ファンの多いローカル私鉄らしく、ノートが置かれておりメッセージが書かれている。私も一言書かせて頂いた。頑張って下さい。

 

「日本一短いローカル私鉄」の看板もある。以前は「日本一短い鉄道」だったが、平成14年に関東に芝山鉄道(東成田〜芝山千代田間2.2km、途中駅なし)が開業して、日本一の座を明け渡した。しかし今でも短い部類の路線であることには変わりない。ちなみに芝山鉄道は東成田折り返しはなく全ての列車がそこから京成線には乗り入れているので、あまり日本一短いという実感は薄い。

 

終端部と日高川駅方面を望む。

 

紀伊御坊行きの列車が到着。

 

いよいよ列車に乗る。16時15分発の列車に乗るのだが路線が短くすぐ往復できてしまうため、折り返しになる下り列車は15時34分着、40分も前に入線してきた。路線が路線だけに到着した列車の乗客は、やはりこの路線目当てという感じがする。運転手さん一人になった車内に乗り込む。席に座ると「せっかく来てもらったのに、雨で申し訳ないですね〜」と、こちらが申し訳なくなるような一言をいただいて思わず笑ってしまった。訪問客にも慣れたものである。短い路線だがボックス式のクロスシートが備わり、座り心地はよかった。

静かだった構内に力強いエンジン音が響く。
数名の乗客を乗せて時刻になり発車。ワンマン運転のため自動でのアナウンスが入る。各駅に止まるが隣の市役所前はホームに乗客がおらず、ドアが開かずに発車した。なんだかバスみたいだ。しかし歩いてきてもわかった通り駅間は本当に短く、ほとんど徐行運転と言えるほどのスピードだが、それでもすぐに着いてしまう。

運賃は初乗り1kmまで120円、全線2.7kmを乗り通しても180円である。一見すると安く感じるが、全長2.7kmはJRの初乗り運賃3kmの範囲に収まってしまう数字であり、東京のJR(電車特定区間)の初乗りが140円なので全線乗ると少し高くはなる。駅の距離が非常に近くて本数が少ないところもあり、地元の利用は学生などを除くと厳しい状況である。乗る時は整理券を取るのかと思うとそうではなく、降りるときに車内に出ている運賃表を見て運賃だけを支払う方式である。

紀伊御坊、学門で少し乗車があった。学門では名前の通りで夕方の帰宅時間でもあったので学生の乗客が乗って来た。
少し賑やかになった車内だがあっという間の時間、御坊の中心部を離れて田園風景の中を走り、紀勢本線に合流して終点の御坊に戻って来た。

御坊駅ではJRの駅構内に紀州鉄道のホームが設けられており、改札もJRの改札を通って出入りする。ただし運賃は紀州鉄道の車内で払ってしまうため、その時に運転手さんから清算済票を手渡され、それを駅の改札で渡して外に出ることになる。御坊駅の紀州鉄道のホームは一線のみで、番線は珍しい「0番線」となっている。奇妙な番線で主要な駅ではその後の整理でなくなった駅が多いが、今でも各地探してみると意外と存在していることがわかる。関東では東京の綾瀬駅や千葉の四街道駅に0番線が残っている。

 


一旦改札を出て駅外で用を足し、今度は再びJRに乗る。今日はこの先の紀伊田辺で一泊する。
ここからは普通列車の紀伊田辺行きに乗る。和歌山〜御坊間は紀勢本線の中でも乗客が多いためか4両編成の列車が多いが、ここから先は2両編成ワンマンの列車が主力となっている。113系の先頭車化改造車でのっぺりした食パン顔の車両にあたった。

再び山々をトンネルで抜けながら走る路線となるが、113系らしくモーター音を立てながらの重厚な走りっぷり。17時近くなって日も暮れて来た。途中印南町、みなべ町を過ぎていく。南部駅は一部特急が停車する大き目の駅だが乗客が少なく、すぐに発車してしまった。
芳養駅を過ぎる。「はや」と読む難読駅名。そこを過ぎるとやがて市街地に入り、車窓が賑やかになってくる。終着駅で、今日の目的地である紀伊田辺に到着した。

田辺市の中心駅で規模も大きく、すべての特急が停車するほか普通列車もほとんどがここで終着・乗り換えとなる。拠点駅ということで駅構内には留置線が数多くあり、車両が停泊している。複線区間もここまでで、この先は終点の亀山まで単線となる。和歌山駅からの距離は95.2kmあり、ここまででも結構な距離である。
駅舎は、1932年の開業当時からのもので洋館風のレトロなものである。

外に出るとまだ相変わらずの雨。濡れるので写真もそこそこにこの日の宿へ。明日は半島をさらに南下して白浜、紀伊勝浦方面へ向かう。

紀伊半島一周の旅(2)

御坊駅で降りる。お目当ての紀州鉄道との接続駅だが、列車には乗らず駅を出て街を歩く。紀州鉄道自体全長2.7kmと短く、歩くのや走るのが好きなら普通に行けてしまう距離ではある(こんなことを書いては、乗って欲しい方にとっては申し訳ないだろうが)。また紀州鉄道が1時間に1本の運行で、特急からの乗り換え時間がだいぶある。ちょうど御坊着が12時55分とお昼になったこともあり、今回は昼食をとって御坊の街を散策しながら終点の西御坊までいき、そこから紀州鉄道に乗って御坊駅に戻るルートをとった。

大阪から和歌山にかけて移動するところでは雨が降っていたが、御坊に降りたときには小ぶりになり少しすると止んでくれた。散策をするにあたってはありがたい。

御坊市は紀伊半島の西側、和歌山県の中部に位置している。名前は、浄土真宗の本願寺日高別院がかつて御坊様と呼ばれ親しまれていたことに由来するようだ。地名は「ごぼう」と読むが、「おぼう」とも読める。子供の頃から地図を眺めるのが割と好きで、当時のアニメ『おぼっちゃまくん』(懐かしい!)もあり、和歌山の南の方にたまたま「御坊」の文字を見つけた時には「おや?」と思った記憶がある。(笑)本筋からは外れるが、まあ思いかえすとあの漫画はすごい破壊力だったと思う。古き良き80年代かな。いまやそんなバイタリティ(?)を世間にもたらすものも、なかなか出てこない気がする。

さて、「古き良き」というところでこれから本当にその手の鉄道を訪問するわけだ。沿線の各駅を回りながら歩く。御坊から西御坊まで2.7kmの間に、学門、紀伊御坊、市役所前と、3つも途中駅がある。全長が短いので駅間も当然短く、最初の区間である御坊〜学門の間だけは1.5kmあるものの、それ以外では次の駅まで、わずか300m〜600mしか離れていない。御坊駅から、市の中心と海の方へ向かって伸びており、かつては御坊臨港鉄道という鉄道であった。その後の再編を経て現在は紀州鉄道となっているが、経緯的な所もあり不動産が主力事業で、本社も和歌山ではなく東京日本橋にある(途中の紀伊御坊駅には事業所がある)。

 

市内を通る県道26号と交差する踏切から。単線、非電化の路線、ディーゼルカーがコトコト走る風景が連想される。

 

最初の駅は学門駅、学びの門ということで受験生などの縁起担ぎで入場券などのグッズでもしられる。しかし実態は無人駅でここでの購入はできず、隣の紀伊御坊駅(有人駅)で販売している。学門という駅名は和歌山県立日高高等学校・附属中学校に由来し、実際に学生の利用が多いようだ。

御坊の街は比較的狭い路地による昔ながらの町という感じだ。このあたりから市の中心部に入っていく。御坊もそうだが、JR(旧国鉄)の駅は市の中心から大きく外れており、中心部の交通は地元の私鉄やバス、路面電車が担っていることが多い(金沢、松山なども同様)。

 

学門から数分歩くともう紀伊御坊駅、300mほどしか離れていない。有人駅で立派な駅舎と車庫が付いており、紀州鉄道の中心的な駅である。駅舎では先の学門駅の入場券など、グッズを色々と売っている。記念に、硬券の乗車券セットを購入する。

 

 

駅周辺は御坊の中心部で商店街となっている。

駅の横にはかつて紀州鉄道で使用されていたキハ600形が静態保存されている。オリジナル車両にも見えるが、かつては大分交通で使用されていた車両とのこと。

 

よく見るとそばにはお弁当、サラダ巻などと書かれたのぼりが立っている。今はお店として営業しており車内で飲食できたりお弁当を買えたりするようだ。長年親しまれてきた地元の車両、大事にされていると思う。

 

紀伊御坊駅に来たところで、ちょうど御坊行きの列車がやって来た。1時間に1本、全線の所要時間もわずか8分(往復16分)なので途中駅での行き違いがなく、1両の列車が往復するだけである。今ではオーソドックスな気動車による運行である。

 

駅から少し西へ向かうと国道42号線に出る。紀勢本線とともに紀伊半島をぐるっと回る国道だが、市内でも主要な幹線道路となっており交通量も多いようだ。今となっては多くの地方都市に共通してしまう光景だろうがここでも国道周辺の方が、店舗が多く発達している状況である。

 

国道を南下するとやがて御坊市役所が見えてくる。市役所の先の角を入ってすぐのところに、市役所前駅がある。学門駅同様無人駅で、駅舎もなく簡素な作りである。紀州鉄道は市役所前〜西御坊にかけて、国道に並行するように走っている。

 

次は早くも終点の西御坊、再び国道42号を歩く。
列車は少ないのに、車の量は本当に多い。

 

西御坊駅。かつてはここから先にも線が伸びており日高川駅が存在したが廃線になっている。そちらについては、後ほど回る。

西御坊駅の近くには市名の由来ともなっている日高別院があり、その周辺には昔ながらの建築が並ぶ古い町並みが広がっている。一部の建物は公開されている。観光として歩くのも楽しい。

昔ながらの細い路地と建物。細い道と、この道の曲がり具合など、ブラタモリにでも取り上げられそうな光景。

 

丸い郵便ポストもある。昔は地元にもあったっけ。

 

風情ある建物が並ぶ。あいにく、御坊に降りてから止んでいた雨が西御坊にきてまた降り出してしまったのだが、歩いていて気持ちがよかった。

 

登録有形文化財に指定されている、旧中川家住宅。昭和初期の邸宅で当時の建築技術を多用したつくり。昔はこのような家屋も多く見られたのだろうが、今や貴重なものである。

 

御坊の由来となった日高別院。この時は門がしまっていた。中には幼稚園もあるとのことで、参拝の時間も限られているようだ。でも門だけでも雰囲気がある。この先も良い旅となりますように。

紀伊半島一周の旅(1)

すっかり忙しい中で、昨年出かけた高山のこともまだ書き終えていない状態ですが(笑)
気晴らしにまた乗り鉄してみたくなり二月の三連休で旅行に出た。行き先は、前々から行ってみたかったが、東京からだと鉄道での到達には時間がかかり、なかなか実行に移さずにいた紀伊半島に行ってみることにした。

というわけで、紀伊半島をぐるりと回るJRは紀勢本線と、途中和歌山県は御坊から出ていて以前は日本一短い鉄道としても知られていた紀州鉄道を今回のメインにすることとした。

三連休初日の2月10日土曜日、いつもの通り新横浜駅からのぞみに乗り込む。三連休とあって、行楽客でホームはスーツケースを持った人や家族連れで埋め尽くされている。
まずは新大阪へ向かい、そこから紀勢本線に入る特急くろしおに乗り換える。天気は良かったが寒い。北陸方面などは大雪で大変な状況である。そんな気候を示すかのように、新幹線の車窓から見える富士山は美しい雪化粧で笠雲までかぶっている。新幹線にとっても泣き所となる関ヶ原周辺では、降ってはいなかったもののやはり辺り一面、雪景色となっていた。

関東を出る時の天気は良かったが、大阪に近づくにつれ怪しくなり雨が降り出した。今日の天気は残念ながら、和歌山方面は雨だ。このところすっかり天候に祟られているし、普通の雨ならむしろまだありがたい方だと思わなくてはならない。

新大阪で降りる。寒い・・・。
コンコースに出るとまたすごい人だ。在来線ホームに移動して、特急くろしおが発車する11番線に降りる。紀伊半島方面への観光客か、ここでも結構な人がおり指定席券は売り切れとのアナウンスも入っていた。指定券を買っておいて良かった。しかし私の隣に座る人は、どういうわけかいなかった。

地形の厳しい紀伊半島では海沿いを走る区間が多く、景色は美しいが自然災害のリスクとも隣り合わせである。台風の通り道ともなりシーズンになると風雨の被害も多いが、もっとも恐れられるのは、大地震発生時の津波である。初めて紀伊半島方面の列車に乗ったが、列車には津波避難の際の用具や手順などが備えられており、特急の座席にもパンフレットが入っている。また半島内の各駅にも避難を促す表示が出ていたり、各所の高い建物は「津波避難ビル」として指定されている。

新大阪を発車すると列車は梅田貨物線を走る。しばらく東海道線(JR京都線)と並行するが、淀川を渡り終えると右カーブして分かれる。大阪駅は直接通らずに、阪急中津駅など大阪駅の北側を通っていく。福島駅近くで高架になって大阪環状線に合流する。貨物線ではあるが特急くろしおや、関空アクセスの特急はるかがこの線路を通る。よってこれらの列車は大阪駅を経由せず、新大阪駅から直接和歌山・関空方面へと直通する。
環状線で大阪の街をしばらく走るが、本数が多いこともあってか速度はゆっくりである。天王寺で結構人が乗って、ここからは阪和線、その先和歌山駅からは紀勢本線に入る。くろしおは一部を除き、阪和線内はノンストップである。

阪和線内でもあまり速くなかったが、途中日根野を過ぎると関空方面の列車がなくなって余裕ができるためか速度が上がってくる。同時に和歌山との県境が近づいて峠越えのような感じになっていく。途中山に入り長いトンネルを抜けると和歌山県、峠を抜けると一気に平地に降りて、紀ノ川を渡って和歌山に着く。阪和線の終点で、紀勢本線、和歌山線と接続するため構内は広く、ターミナル駅という感じがする。

ここから紀勢本線となる。和歌山から新宮まではJR西日本、新宮から先亀山まではJR東海の区間となっており、JR西日本の区間では「きのくに線」の愛称が付いており、案内で用いられている。なお、和歌山駅から南海線の和歌山市駅まで単線の路線が存在し、それも紀勢本線の一部とされているが、支線の位置付けであり普通列車が折り返し運転している。

和歌山駅はターミナルとはいえ途中駅のような構造で、紀勢本線も途中の紀伊田辺まで複線化されていることもあり、和歌山近郊は阪和線の延長のような感じもする。言われないとわからないかもしれない。ただ、紀伊半島に本格的に入り陸地はほとんど山になってしまうため、トンネルを交えながら山々と海が連続する車窓となり景色はだいぶ変わって見える。阪和線に比べると全体的に本数も少なくなり、駅も主要駅以外はローカル色が強い感じがする。
桜で有名な紀三井寺を過ぎて、海南市に入り高架の海南に停車する。海沿いということもありこの辺りの都市は工業都市が多く、海沿いはもっぱら化学工場が占めており工業地帯の景色になっている。

カーブやトンネルを繰り返しながら進む。山と山の間、あまり広くないところに町が広がってそこに駅があるような感じだ。
やがて御坊に到着、御坊市の代表駅で紀州鉄道との接続駅。まずはここで降りて御坊の町を歩きながら、紀州鉄道を訪問する。

今年も残すところ(2)

あと2日ですな。

というわけで阪急今津線で、宝塚から西宮北口まできたんだったな。この先西宮北口で神戸線を挟んで反対側の今津方面が残っている。まあそこについてもちゃっかり乗ってるわけですがw

神戸から阪神電車で大阪に帰る道すがら(というか普通ならそのまんま阪神電車で梅田に行くか初っ端から阪急神戸線に乗るもんだろうがw)、西宮市は今津駅で電車を降りる。

阪神電車で西宮の一つ隣、快速急行までは止まるが特急は止まらない。特急に乗ってきたので西宮で普通に乗り換えて今津へ。ありふれた都会の高架駅だが六甲山系をバックに市街地が広がるのは実にこのあたりらしい景観。こう言ったらなんだか怒られそうな気もするが『六甲おろし』という語が確かにしっくりくる気がする。ちなみに今津から梅田行きの普通で二つ目が甲子園である。

阪神の駅を出て連絡通路を通り、阪急今津線乗り場へ。かつては両線とも地上であったが今はどちらも高架駅。地上時代だった頃には線路もつながっていた時期があり(阪神と阪急はレール幅が同じ)、阪急電車が暴走して阪神の線路に乗り込み今津から一駅走って停止する事故もあったという。かつて阪神と阪急といえば強いライバル関係であり阪急の殴り込みかと言われた逸話がある。
   
 阪急今津線の今津〜西宮北口間は途中阪神国道駅があるのみ、わずか3駅である。西宮北口から北側の宝塚方面はそれなりに距離も長く、梅田への直通もあり利用客が多いが、今津側はひたすらこの区間の折り返し便のみで、列車も3両編成のワンマンカーである。

最初の駅、阪神国道。その名の通り駅の南に阪神国道(国道2号線)が交差する。珍しい名前だ。まあこれと同様のものが関東は鶴見線の国道駅(こちらも第一京浜国道の上に駅が存在)となるだろうが。

JR神戸線の線路群を越えると単線になり西宮北口へ(もう一方の線路は車両回送用の神戸線への連絡線となる)。高架駅だが線路は行き止まりで完全にぶった切れており、ホームからそのまま先端へ進むと駅の2階コンコースである。今津線の宝塚方面行きは神戸線を挟んで北側、1階のホームでこちらも行き止まり式、双方が繋がる望みはもう完全に絶たれてしまったようだ…。
   
 駅コンコースから。奥の2階の壁の中が今津線(今津行き)ホーム。下の線路は神戸線との連絡線。

ここで神戸線に乗り換えるがやってきた8003Fは車体に埃がビッチリ、少々残念な感じだ…。
今度は神戸線を塚口で降りて、伊丹線に乗り換える。特急は通過し、昼間は普通しか停車しないが通勤客の多いラッシュ時は通勤特急が停車する。

伊丹線は塚口から伊丹までを結ぶ支線。神戸線から分かれるように伸びるが直通列車はなく全て線内折り返し便である。

   
   
塚口駅構内は敷地の関係か単線で、神戸線上りホームと同じホームを共用している。いきなり速度制限15km/hのきついカーブを抜けて、複線の直線に入る。

住宅街をゆく普通の通勤路線。4両編成の列車が往復する。山陽新幹線をくぐり新伊丹。

高架に上がって伊丹中心部に入り、早くも終点の伊丹。駅周辺はマンションが林立している。阪神大震災時は駅舎が倒壊する被害を受けて営業出来なくなり、南側に仮駅を設置して営業していた。その後駅ビルと合わせて再建され現在に至っている。

   
   
時を経て再生した伊丹の街。真新しい駅ビルに、何事もなかったかのように見える街。しかしその背景では計り知れぬ苦難を乗り越えてきたものだ。

来年も、前向きに行きたいものです!

それでは、良いお年を!

今年も残すところ(1)

はや5日となってしまった。全く早いものだ。

しかし今年は本当に色々あったものだ。まあ一番でかいのはまとまった期間大阪で過ごすことになったことですかね。公私ともに初めてなことではあったがお陰さんで鉄活動もはかどったもんだしw

そんなわけで大阪でよくお世話になったもんと思えば阪急電車w ここではそういえばそこまで大々的に取り上げてなかったかもしれないが、住んでいたところが阪急沿線に近かったこともあり実は結構な頻度で阪急に乗っている。というわけで阪急の旅から振り返ってまとめてみよう。

最寄り駅の一つだった三国駅から阪急宝塚線に乗る。8000系先頭車転換クロス、それもパイプ式のフットレストがついている。ちょっと硬めだが通勤電車にしては破格!

  

  
中国道をくぐり、石橋。山が目前になってくる。ここで箕面線に乗り換える。昼間は折り返しなので行き止まりのホームに着くが、朝夕は梅田直通があるので直通用のホームもある。

支線用3000系、4両編成。阪急は外見は同じマルーンだし、8000系とあまり遜色ない車体だが、設備面は違うし音的にも古さが現れている。
  
踏切が鳴り発車。山が近いからか。軽い登りになる。住宅街を走るが、バックはすっかり山。終点箕面に到着。周囲は観光地ムード、駅には足湯、名物はもみじの天ぷららしい。駅から少し行くと温泉がある。

 
   
  
山の上にある温泉施設。どうやって登るかといえば目の前巨大なエレベーターが…。

石橋から6112 急行宝塚行きに乗る。高架になり飛ばして、池田。季節柄だ。川に鯉のぼり❗️
川を渡ってすぐ川西能勢口。でかい高架駅。能勢電鉄乗り換え駅だが、能勢電鉄もすっかり阪急色になってしまった。もともと阪急の譲渡車が中心だから無理もないが。

進行方向右手は山に住宅街が張り付く。平野部は終わり山岳地帯に近づいた。雲雀丘花屋敷。普通のほとんどがここで折り返す。ここから先は多くの時間帯で10分毎の急行のみ運転になる。平井車庫がある。このあたりで眼下に福知山線が並行しているのが少しだけ見える。

山本。宝塚線らしく?急カーブを走って中山観音。山の上の方にお寺が見える。

すぐに売布神社(めふじんじゃ)。読みが難しい。その次もまた難しい清荒神。阪急は難しい読みの駅が多い。
先に潜った中国道を再びくぐる。左を見ると福知山線の207系が走ったいるのが見えた。そういえば中国道としても悪名高い宝塚トンネルを通過するあたりだ。連休となれば東は東名高速の大和トンネルとセットで、東西の渋滞個所としてテレビに登場する地点だ。

清荒神をすぎ、目の前に宝塚のメルヘンチックな建物が現れ、高架になって宝塚へ。2面4線だが昼間は片面のみ使用し、今津線と同じホームで乗り換えられるようにしている。

   
   

あっという間の宝塚滞在を終えwここから、今津線で南下して西宮北口へ向かう。映画『阪急電車 片道15分の奇跡』の舞台ともなった路線だ。7000系の6両編成。

宝塚を出るとカーブを曲がって武庫川を渡り、宝塚南口。駅名票に宝塚ホテル前と書いてある。車内はそれなりに乗車がある。

逆瀬川、結構乗車あり。混んできた。沿線の山に宝塚神社がある。小林、おばやし。読めないってのw

沿線には桜があるがほとんど散ってしまった。仁川、阪神競馬場前ちょうど桜花賞開催の前日で、列車もヘッドマークを付けている。引き上げ線があり西宮北口〜仁川の幕を出した電車が止まっていた。競馬向けの臨時便だろうか。

山陽新幹線をくぐり、門戸厄神。いつの間にか先頭車は人で埋め尽くされていた。宝塚から約15分で終着駅の西宮北口へ。神戸線との接続駅で乗降も多い。今津線そのものはここから二つ先の今津までの路線で、かつては実際にそこまで通しで運行されていた。接続する神戸線とは平面交差で線路が直交しており、双方の電車がまるで交差点のように相手の路線の線路を渡るダイヤモンドクロッシングとして親しまれていた。しかし神戸線のホーム延長が行われるにあたり支障となるため廃止され、今津線は西宮北口を境に今津方面と宝塚方面とに分断された。そのため今は双方とも西宮北口で完全に行き止まりの構造で、まるで無関係な路線のようである。ちなみに宝塚方面の路線は神戸線との連絡線があり朝ラッシュ時には直通の準急があるが、連絡線にはホームが設置されておらず直通準急は西宮北口には停車しない。

  
さて、次は今津方面に乗車するが続きはweb、ではなくて次回に!

南海汐見橋線

前回取り上げた南海の通称汐見橋線に乗る。
前にも触れたが正確には高野線の一部、といいつつも現在線路はつながっていない。南海線、高野線(難波・橋本方面)と接続する岸里玉出(きしのさとたまで)駅から、北西に向かって支線のように線路が伸びているだけである。
先にも書いたが2両編成の普通列車が往復するのみ。本数は終日ほぼ30分間隔。地理的に大阪都心部に乗り入れる路線としてはかなり異質である。利用客の姿もほとんどなく、この路線が残っているのは周辺の需要に応えてというよりは、汐見橋で接続(と決まってもいないようだが)の構想がある、なにわ筋線計画を意識したものと言われる。

南海線でやってきて乗り換えたので、岸里玉出駅から乗る。
元は岸ノ里駅と玉出駅という別々の駅で、難波から走ってきた南海線・高野線が分かれて汐見橋線が接続するのが岸ノ里駅で、そこから南海線を一つ南へ行くと玉出駅があった。しかし両駅の間は400mほどしか離れておらず、平成に入ってこの付近が高架化された際に、玉出駅を吸収するような形で両駅が統合されて、岸里玉出駅となった。

高架駅で、南海線、高野線二つの主要路線が接続し、汐見橋へ向かう線が接続する様は、さながら高速のジャンクションのような構造だが、実態としてはどの路線も各駅停車しか停車しない。そのため南海線と高野線の乗り換えは、一つ北に行った天下茶屋駅(ここは特急も含め全ての列車が停車)で行うのが一般的である。大阪都心部に近いのでそれなりに駅の利用客はいるが、広い構内の割に乗り換え客も少ないので、寂しい感じではある。

南海線の普通列車を降り、汐見橋行きの出る6番のりばに向かう。
列車は2両編成が岸里玉出~汐見橋を往復するのみ。高架化されたとはいえ、短くちっぽけなホームが、立派な南海線の線路の隅っこに、まるで申し訳程度にあるだけである。ホーム内は単線で1列車しか進入できないが、本数の少ない今となっては十分である。一応「高野線」でありながら同線とはつながっておらず、むしろ南海線と線路がつながっている。よって車両は同線の車庫から出入りしている。

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列車が来て乗り込むが、日中は2両編成でも乗客はわずか数人というお寒い状況だ。

時間になり汐見橋へ向けて発車する。
高架を左に向けてカーブし、華々しいミナミへ向かう線から離れて、我が道を行くように走る。しかし岸里玉出駅構内は単線だったのに、分岐してから線路は複線になった。かつて高野線だった頃の名残で、実は岸里玉出駅を除くと全て複線になっている。
とはいえ今や列車本数は終日わずか30分間隔、距離も短く起点から終点までたったの9分で着いてしまう。往復しても走行時間は18分、余った時間で折り返しが出来るので、2両編成の車両1本あれば事足りる。というわけで途中列車のすれ違いが全くなく、せっかくの複線も完全に持て余している。

線路の右側に片側二車線の立派な道路が走っており、その沿道は住宅街となっている。線路も複線で、これだけ見れば都会の私鉄電車の雰囲気そのものだが、実態はあまりにも違いすぎである。
そうこうするうちに最初の駅、西天下茶屋駅。
複線ということで上下線揃ったホームだが、屋根や壁など設備はほとんど昔のまま。
反対方向のホームには、この路線があくまで高野線であることを示すように「高野山・橋本方面のりば」と書いてあるものの、そちらの方面に向かう乗客はどれくらいいるだろうか。一応、岸里玉出で乗換が必要な旨が書かれているので別に間違ってはいないのだが…。ちょっと、かつての栄華に近いようなものがある気がしてならない。

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津守、木津川と進んでいく。木津川あたりからは海に近くなり、阪神高速も通り工業地のような雰囲気になってくる。路線のローカルぶりも手伝って関東の鶴見線のような光景である。しかし鶴見線はあくまでも工業地帯への通勤路線であって、日中はローカル線になっても朝夕のラッシュ時は本数も増えるし通勤客で混雑している。
実はその昔、この汐見橋線も同じようにこのあたりへの工業地への通勤客でそれなりに賑わっていたという。しかし今となってはそれも想像がつかない。

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阪神高速と並行しながら汐見橋へ向け走る。最後の途中駅となる、芦原町駅を過ぎる。隣に阪神高速の出入り口もある。どう見てもそちらの方が綺麗で目立つ存在である。

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芦原町の先でJR大阪環状線をくぐる。むろんそちらの方が本数、利用客とも圧倒的に多いのは言うまでもない。この汐見橋線の所だけ周囲から隔離されたかのような感覚である。
減速して終点汐見橋に到着。わずか9分の非日常的な空間が終わる。汐見橋駅の有様は、前回に書いた通りである。
こんな路線だが、ゆくゆく大阪の動脈の一つとなる地下鉄路線と接続する夢を期待されている。もっともそんな夢が本当にかなうのかどうか、という時勢になってしまった気がしてならないが。もっと早い時期にその夢の実現に向けて世間的に動いていたとすれば、この路線の姿はきっと、今とはだいぶ違っていたことだろう。

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変な駅シリーズ(3)

2016年10月27日、一部加筆しました。

変と思う駅を取り上げていくこのシリーズ。時に、関西からでも送ってみようか。
大阪はミナミから府の南部、和歌山方面へ伸びる南海電鉄。大手私鉄路線で通勤・通学の足として機能している。都心から離れた和歌山方面や観光地として名高い高野山方面ではローカルさも漂うが基本的にはごくありふれた通勤電車である。しかしそんな中、まるで裏切るかのように忽然と妙な駅が存在する。いや、これは路線といった方が適切かもしれないが…。

大阪ミナミの繁華街の中心として名高い難波。南海電鉄のターミナルも存在し、人通りが絶えない。そんな都心の本当にど真ん中から、電車でたった一つ隣へ行ったところに、その駅は存在する。
難波から大阪市営地下鉄の千日前線(あるいは阪神なんば線)で西へ一つ目、桜川という駅で降りる。
桜川駅自体は特に変わった様子もなく何の変哲もない地下鉄の駅。平成21年には、大阪梅田と神戸を結ぶ阪神電車が、新たに大阪ミナミ、近鉄に乗り入れる路線として阪神なんば線が開業、その途中駅としても開設された。隣の難波に比べると繁華街を外れており利用客の姿はそれほど多くはないが、周囲は都心らしくビルやマンションに囲まれており、上空を高速道路が通るという、典型的な都会の風景そのものである。

地下鉄を降りて、出口に出る。外には開業したばかりの阪神なんば線の真新しい出入り口が構えている。しかし、そこから隣に目を向けたところに、それとはまるで真逆の、時代に逆らってずっと時が止まっているかのような古びた駅がたたずんでいる。南海電車、汐見橋(しおみばし)駅である。

一面白く塗られただけのそっけない建物に、少々遠慮がちにぽつんと汐見橋駅の看板が掛けられているだけ。昔からある商店か何かと間違えそうである。
外見は塗り直されたりしているのだろう。阪神の駅も隣にできたためさすがに古さは隠せないものの、まだそこまで強烈な違和感はない。しかし一歩足を踏み入れたらそこはまるで異空間だ。
黒く煤けた床、壁。駅員の窓口もあるが窓も相当な年代物といった感じだ。
きわめつけは改札の上に飾られている(この表現も、もはや妥当かどうか)『南海沿線観光案内図』だ。さてこれでも見て南海沿線を…なんていったらとんでもない!内容は昭和30年代当時のもので、ご丁寧にもそれを示す注意書きが左下に書いてある。普通ならその前に案内板自体を掛け替えるはずだが…。
資料的価値(?)がある、とでも判断したのだろうか。でもそれ以前に内容がすっかり煤けてさっぱり読み取れない、というか真ん中あたりが破れてしまっていて、ちょっと痛々しい。保存するにしても何か方法があるような気がするのだが。そこまですることもないのだろうか、ずっとここに掛かっている。まあどうしようか決めるというほどでもなく、ただそのままにされている所だろうか(※2016年3月、とうとう撤去されてしまった)。この駅で新しいものを見つけようとすれば、改札だけがちゃっかり自動改札になっているくらい。でもそれも果たして必要だったのかどうかと思えてくるが…。

ただ駅が古いというだけではない。難波から地下鉄で一つ隣、こんな都会の駅だというのに利用客の姿はほとんどない。そもそも列車の本数が終日に渡ってほぼ30分間隔、朝夕のラッシュも関係のない完全にローカルのダイヤだ。始発は6時前後と遅く、終電も22時台と早い。都会の鉄道とは思えない光景である。ちなみに、先に取り上げた和歌山県内の加太線の方が1日の本数が多い。
まったくこんな路線を維持、運行する意義がどこにあるのだろうか、とすら思えてくる。

ここ汐見橋駅は、南海線の途中駅、岸里玉出(きしのさとたまで)から汐見橋までを結ぶ、通称汐見橋線の終着駅である。
わざわざ「通称」と書いたのは正式名称ではないからで、正確には高野線の一部である。
高野線というと難波から出て橋本、高野山方面へ向かう路線として、今や何の違和感もなく機能している。立地上、誰が見ても難波が始発駅だというのは疑いのない話だが、実はあれは難波から途中の岸里玉出まで、南海線に乗り入れという体裁になっていて、ここ汐見橋駅の方が正確な起点である。

なんでこんな形態になってしまったかといえば路線の成立過程が関係している。もともと高野線は、難波から和歌山市方面へ向かう南海線(当時の南海鉄道)とは別会社の路線で、当時は高野鉄道の路線であった。高野山へ向かう鉄道として建設された訳だが、その際にターミナルはやはり難波に構えるつもりであった。が、既に南海鉄道が難波に乗り入れていたので許可されず、それでも何とか大阪都心に自力で乗り入れることを画策して、道頓堀にほど近いここ汐見橋(当初は道頓堀駅と名乗っていた)に延伸してターミナルを構えた、ということである。
しかし大正期に入って高野鉄道と南海鉄道は合併、路線についても両線が交差する岸ノ里駅(現:岸里玉出駅)に連絡線が設けられ、高野線もほとんどが難波発着になり、この時から汐見橋方面は実質支線扱いになった。すべてが難波発着になった訳ではなく、長らく汐見橋発着の高野線各停も見られたが、後に岸里玉出駅高架化の際に、汐見橋方面の線路は高野線から完全に分断されて直通運転が出来なくなった。そのため現在は同じ高野線でありながら、難波方面の電車とは全くつながりはないし、かつて高野鉄道時代にわざわざ汐見橋まで建設された意味もまるでなくなっている。そんな訳で今は「汐見橋線」と呼ばれることが多く、一般に高野線との認識はなかろう。しかし南海では今も「高野線」として扱っており、公式サイトの各駅の時刻表でも、汐見橋駅なども「高野線」と書かれている。
今はローカル線そのものの雰囲気漂う汐見橋線だが、大阪都心部を縦断する地下鉄なにわ筋線構想があり、その接続路線となる構想がある。この路線が今もなお存在する意義としては、どうもそんなところもあるようだ。しかしその構想自体も具体的に固まっている状態でもないようで、また難波を起点とする案が有力視されつつあるようだ。

 

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阪神電車桜川駅(左)と並ぶ、南海電車の汐見橋駅(右)

出来たばかりで真新しい阪神桜川駅とは対照的に、時が止まったままのような景観。
いうまでもないが利用客の数も雲泥の差である。

 

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駅舎内。古く煤けた構内に件の観光案内図。ちょっと見ていて痛々しい。。。自動改札だけが、時代に最低限応えたかのように置かれている。

 

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噂の観光案内図。丁寧にも昭和30年代のものと明記されている。だいぶ黒ずんでいて読み取るのも困難だ。かといってこの場所に今の路線図をデカデカと掲げるほど、ここの駅の重要性も大きくはないだろう。。。

※先にも書いた通り2016年3月、とうとう撤去されてしまったようである。何かしら保存の手立てはなかったものか、と思うが破れも酷く状態の悪さが災いしてしまったか。

 

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ホーム。始発駅だが発着する列車も少ないので線路は2本しかなく、造りも簡素だ。2両編成しかないのでホームも短い。すぐ左側に阪神高速道路が通っている。

 

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駅名看板と停車中の列車。よく見ると駅には広告らしいものはほとんどない。出したところで…という感じではあるが。

 

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ホームには一応ベンチも置かれているが、実際座る人はどれくらいいるだろうか…。
ちなみに、背もたれにパチンコ屋の広告が貼られているものがあり、「当駅西向い」と書いてある。しかしこれも明らかに今のものではなく、その「当駅西向い」の方向に当の店を探してもどこにもなく、「看板に偽りあり」の状態である…。

 

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駅前の様子。広い通りにマンションが立ち並び、阪神高速も通り、典型的な大阪の都市の景観そのもの。それもそのはずで隣の駅はミナミの中心たる、難波である。南海汐見橋線の駅と路線だけが、まるで周囲と切り離されたかのような雰囲気のまま存在している。

南海加太線

南海線で和歌山市駅の手前にある紀ノ川駅から分岐し加太までを結ぶ路線。全線単線で2両編成の普通列車のみが走る。ローカル線のような感じだが沿線にはほとんど宅地化されていたり工場があったりして乗客が比較的多い。そのため本数も比較的多めである。2014年からは沿線の海産物のPRのため『加太さかな線』の愛称がつけられ車体のラッピングにも使われている。
起点は紀ノ川駅ではあるが、列車はすべて南海線の和歌山市駅から運行されており和歌山市駅の利用者や南海線接続の便宜が図られている。ワンマン対応の7100系が主に使用されている。

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一駅だけ南海線を走行する。のんびり紀ノ川橋梁を渡る。南海線の歴史と共に歩んできた橋梁でこれまで架け替えされておらず、上り線の橋梁はなんと1903年(明治36年)と100年以上も前に架けられ、複線化のために架けられた下り線の橋梁も1922年(大正11年)のものである。耐震性の観点から架け替えの検討・調査がされたが、その後問題ないことが判明して結局中止されたようである。

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橋梁を渡って紀ノ川へ。駅名票、前は毛筆みたいな字体だったと思うが、新しいのに変わっていた。左に分岐して加太線に入る。分かれてしばらく複線だが、左カーブが終わると単線になる。途中大手私鉄で唯一の列車交換の信号場を通過する。なお、上り列車は信号待ちがなくてもここで副本線の方に進入する。
次の駅までが結構長い。しかも速度がやたらとのろい。線形はそんなに悪くないのだが。川を渡ってやっと東松江、上り列車と交換する。その後も直線を走るが、やっぱりのろいw 最高速度が制限されているようだ。

西へ向かって走るため夕刻は西日が眩しい。中松江。八幡前で行き違い。周囲が宅地化され生活路線の加太線。夕方は本数が多い。7100系と交換。右に山を見ながら住宅地を進む。

西ノ庄、二里ヶ浜と進む。右に山が迫り、左は海が近くと、周囲が狭くなる。磯ノ浦。
ちょっと山越えになり緑に囲まれる。右に道路が並行し、山に囲まれた町に出て、終点加太に到着する。

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風情のある駅構内。

 

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午後から出て多奈川線も回ってきたあとだったのでちょうど日暮れ時になった。いい味…。

 

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夕日を浴びる駅舎。観光客もおり乗客は割と多く、そこまで寂しい雰囲気でもない。

 

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せっかく来たので海まで行ってみる。車窓では近くに見えたりしたものの駅からは若干離れており加太の町を歩いていく。でもこの町自体も海近くの昔ながらの町といった景観であり、風情があり歩いていても楽しい。

 

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10分少々歩いて加太の港に出た。釣船も多く、鯛釣りでも有名らしい。

 

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夕暮れの加太湾

南海多奈川線

大阪は「ミナミ」で名高い難波を起点に、和歌山市方面へ向かう本線(南海線)、高野山へ向かう高野線を主軸とする私鉄。関西国際空港へのアクセスも担い、空港開港に合わせて登場した特急『ラピート』はその特異な車両デザインも手伝って、未だに看板の地位を保ち続けている。
大阪は土地柄もあってか、私鉄路線は北部から東部にかけての方に割と集中している。南側はというと地理などの関係もあるのか、あまり広範囲に展開しておらず、南海がほとんど引き受けている格好だ。北側は私鉄同士が競合するが、南側はそうでもない。

基本は通勤電車だが、海が近かったりローカルムード満点な支線があったり、和歌山港で徳島への航路に連絡するなど、観光面の要素も多い。

難波から南海本線の特急『サザン』で45分、和歌山との県境にほど近い、みさき公園。子供達のはしゃぎ声が聞こえてくる。そして潮風がなんと心地よい!香りもいい!

みさき公園から出るのが多奈川線。2230系の多奈川線に乗り換える。2両編成、30分毎。乗客の姿は少なく、寂しい。大阪都心の汐見橋線よりはまだ良いだろうが。

みさき公園駅は1番線から5番線まであり、4番線は3、5番線の和歌山市寄りを切り欠いて設置されたホームである。この4番線が多奈川線用のホームといえるがここから出る列車は毎日13時15分発の一本しかなく、他の列車すべて5番線から発車している。

  
  

緑に囲まれて、単線を進む。のんびりしたペースだ。よく見ると沿線の山にソーラーパネルがある。

海と山に囲まれたローカルムード満点な支線だ。深日町。

ホームは長いが、今は2両編成しかないので途中柵で仕切られている。かつては淡路島行きのフェリー連絡の急行淡路号がなんばから乗り入れていたので6両編成の電車があった。

深日港。古びた駅名看板が印象的。以前はここから淡路島へのフェリーが出ていたが、関西空港開港で空港から出るようになったため現在は発着がない。開業時は存在せず、フェリー開設にあたって造られた。そんなこともあり隣の多奈川駅とは非常に近く、すぐ目の前に多奈川駅が見えている!

電車は発進してすぐに加速を終え、徐行のまま多奈川駅に進入。あっという間の旅であった。

   
  
 多奈川駅から深日港駅を見る。