富士山駅と富士山

富士山の世界遺産登録がついに決定しましたね!
いやぁ〜、日本の誇りですからね。まず第一に、嬉しいですよね!
地元は大騒ぎでしょうか。富士急行では何かイベントとかあるんでしょうかね。世界遺産登録ということですから、色々と苦労もあることと思いますが、頑張って行って欲しいと思います。
というわけで2011年に富士吉田駅から改称された富士山駅と、そこから見る富士山の様子です。

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ホーム全景、駅ビルの「富士山駅」の看板が目立つ。

 

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堂々「富士山」の駅名看板。標高809m、富士山五合目には程遠いものの、鉄道駅としてはかなり高い。

 

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駅舎側から見たホーム。富士急行線はここでスイッチバックするので行き止まり型の線路になっている。自然を意識したものか、木が多用されている。サイン類や広告もそれに合わせて全て焦げ茶色でまとめられている。

 

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照明も凝っている。

 

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ホームから見た富士山。あたりまえですが、近くてデカいです。登るどころか五合目すら行ったこともないですが、こうして見ていると本当に高いですね。当然ながら周囲には遮るもの一つありません。頂上の世界の素晴らしさと過酷さとが伝わってくる気がします。

 

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河口湖行き、6000系。

 

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これは河口湖ですが、富士山をバックに停車する1000系(京王5000系復刻塗装)。ニューフェイスの6000系が投入され、バトンを渡し始めております。世界遺産登録された山を見つめながら、残された余生を過ごすかつての京王電車。1963年にデビューした京王5000系、ちょうど翌1964年には東京オリンピックがあり東京も大盛り上がりだったことでしょうね。そんな頃の思い出でも、重ねながら見つめているんでしょうか?

往年の名車で行く富士急の旅(6)

6000系で河口湖を後にする。今度は下る一方である。行きはそれほど乗客は多くなかったが、帰りは結構な乗客がいた。地元の人も多かったかな。
大月へ戻り、特急かいじで帰路についた。大型連休の自由席、なんとか座れたものの結構な人だった。

最後に富士急車両をラインナップして締めくくるとしよう。今回、5000系トーマスランド号だけ撮れていない(2両編成1本しかなく、現在検査入場中とのこと)が、それ以外は大体撮れたと思う。

まずは1000形・1200形
苦しいですが6000系と並ぶ通常塗装(写真右)
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マッターホルン号、またまた6000形と並ぶ。6000多いな〜。
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富士登山電車、隣には京王5000系塗装。
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そして京王5000系塗装。
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昭和30年代塗装の復刻塗装
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続いて現在の主力6000系
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フジサン特急2000形、JR東日本の165系改造のジョイフルトレイン『パノラマエクスプレスアルプス』を譲受、改造したもの。3両編成がが前と後ろとで異なっており河口湖側(富士山〜河口湖間は逆編成になるので大月側)先頭車は展望車になっている。
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最後に、帰路の谷村町で行き違った富士登山電車。

 

おまけ。大月駅で見たJR中央線の115系、通称山スカ。あまり詳しくはないが、信州色を見かけることが多く、だいぶ減ったのではないだろうか。

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往年の名車で行く富士急の旅(5)

次の河口湖行きに乗り込む。今度の車両は6000系。大月駅の所でも少し触れたが元はJRの205系だった車両である。乗る車両が変わってしまったが、タイトルはそのままにしておこう(笑)。それに、205系だって名車だと思いますよ、私は!まあ、あとでその辺はゆっくり触れるとしましょう。

前方には富士急ハイランドのアトラクション群がすでに見えていて、それに向かって走っていく形になる。ここまででもかなり登ってきたがまだまだ登りが続く。ハイランドの裏に回ると富士急ハイランド駅。遊園地の端にあり直結もしているが、ジェットコースター(ええじゃないか)等があまりにもすぐそばに位置することもあって、遊園地の乗り物かと一瞬思う程すっかり溶け込んでいるような感が有る。しかし当の遊園地の入園者数と比して乗客は少ないようだ。
駅を出るとすぐに中央道をくぐって、しばらく走ると終点河口湖となる。起点である大月の標高が358m、河口湖は857mとのことである。わずか26キロほどの間で500m登ってきたことになる。ずっと登りが続く訳だ。駅構内は終着駅なのと、留置線の存在もあって結構広い。

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乗って来たのもそうだが、向かい側のホームにも発車待ちの6000系があって2本並んだ。6000系は1000形、1200形を置き換えるべく2012年に営業を開始した車両である。先にも触れたが元はJR山手線等で活躍していた205系である。改造に当たってはデザインを工業デザイナーの水戸岡鋭治氏が手がけた。
元々ステンレス製、無塗装の車両であるため、5000系に比べると外観の変化のインパクトはやや小さいようにも見えるが、随所に富士山をあしらったマークや英文字の社名などでラッピングしているのが特徴的であり彼のデザインの良い所でもあるかと思う。ステンレス車体は長寿命ということで普及している反面、とにかく無機質、冷たいというイメージが付きやすく、それをいかに払拭するかがデザイン面で問われる所でもあるだろう。

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しかし何と言っても奇抜なのは車内のデザインだろう。まずドアが内外ともに全面水色の塗装で塗られている点がとにかくハデだ。そして車内は驚くべきことに全体的に木を生かしたものとなっている。床はフローリング、座席の袖仕切りやつり革までもが、木で出来ている。かつて、木といえば車両の材料としてのものという捉え方しかなかったのであろうが、ここではもうすっかり車内のインテリアとして使用されているのだ。そしてよく見ると隣の車両に移るための貫通路には富士山をあしらったのれんがついている。いったい何をイメージしたか、電車内でののれんというのはさすがに聞いたことがない。なんとも奇抜すぎる。JR九州の大胆、奇抜な車両デザイン等で知られる水戸岡氏、今回もやってくれるぜ。

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留置線には先に乗ってきた5000系が停車していた。それもバックには富士という贅沢!

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駅を出る。山らしくロッジ風の駅舎。

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そして駅前にはもう一つの河口湖駅。かつての富士急の前身、富士山麓電気鉄道の開業時の車両であるモ1号が静態保存されている。

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当時を再現したような毛筆体の駅名票、書体も時代を醸し出している。しかし「ふじきゅうハイランド」まで書くことはなかったのではないかという気もするがw

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駅南側の留置線にはいくつか車両が止まっていたので、踏切を渡って路地へと回ってみる。JR中央線から乗り入れるホリデー快速がお休み中。左側には富士急の旧車体色が復刻された1200形。(外の路地から撮影)

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復刻塗装の1200形。昭和30年代はこんな塗装だったようだ。カラーリング的には、ちょっと伊豆急行にも似ているような。。。
左隣は6000形の元になったJR205系。帯も富士急に来る直前に在籍した京葉線時代のピンク色のまま留置されていた。部品確保用だろうか。(外の路地から撮影)

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さて、せっかくきたことだし、おやつでも食べて行こう。

往年の名車で行く富士急の旅(4)

寿からは富士吉田市となる。車窓が賑やかになるが、相変わらずの登りが続く。それでも比較的開けていてなだらかな感じがするのは、巨大な富士の山麓が近づいてきたためだろうか。反対側の麓である御殿場もそんな感じだ。ちなみに寿駅付近に勾配標識があって見てみたら28.6という数値。勾配の度合いは千分率(‰、パーミル)で示され、この標識では28.6‰、1000m進むと28.6m標高が上がる勾配という意味。これは結構きつい部類。このあたりはまだ町になるほどだからややなだらかなのだろうが、本格的に山奥へと分け入る箱根登山電車や南海高野線などでは、50‰かそれ以上の勾配が随所にある。箱根登山電車では80‰という日本一急な勾配があり、ここまで来ると車両の傾き具合が半端ない。2009年には急勾配を持つ登山鉄道同士で、共同で観光のPRを図るべく「全国登山鉄道‰会」が結成され、富士急も参加している。

地の利の良さか工場などが集積していて結構な町になっているようだ。家並みが途切れることはほとんどない。かえって東京に近いはずの大月側の方が、山に囲まれていて田畑や緑が多くちょっと寂しげな感じがするくらいである。

葭池温泉前、下吉田と過ぎる。下吉田は側線が何本かある少し大きめの駅で、かつては貨物の取り扱いがあった。ワフなどの貨車も止まっている。ふと見ると一番端の方に客車が止まっている。動くのかと思うと、1両しかないので静態保存のようだ。行き先を見ると「特急富士 西鹿児島」と書いてある。そういえばそんな列車もあったな。今や、多くのブルトレはもう過去の話になってしまった。

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月江寺を出ると進行方向左手、遠くの方にこの辺にしては巨大なビルが見えてくる。次の富士山駅の駅ビルである。登り勾配をかせぐためか直接進むことはせず、一旦通り過ぎてUターンするように走る。やがて河口湖からきた線路が右から合流して富士山駅に到着する。線路はここでスイッチバックするようになっていて、進行方向が変わる。

 

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河口湖まであと二駅だが、5000系の発車を見届けるためにちょっと降りてみた。

 

往年の名車復活!京王5000系

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富士急行(山梨県)と一畑電車(島根県)では、京王から5000系を譲り受けて運行している。通常は両社とも自社のカラーリングで運行しているが、2013年をもって京王5000系がデビュー50周年となるのを記念して、両社共同で一部車両に京王時代の塗装を復活させている。
京王5000系は1963年に登場、路面電車に端を発した京王が路線の改良を重ね、新宿駅付近も地下化されて高速電車へと転換した年であった。それまでは地味で速度も遅い路線であったが、この年に初めて特急が設定されて本格的にスピードアップが図られることになった。その初代特急用として投入されたのが5000系である。機能的には、片開きの一枚ドアでオールロングシートという昭和30年代の私鉄の典型的な通勤電車ではある。しかし、従来の全面を緑色に塗ったグリーン車の塗装から一転し、アイボリーホワイトの地肌に細い臙脂色の帯を貼付けた新塗装、裾を絞った車体はことに美しく、スピード感を感じさせるもので、今も「名車」として名高い車両である。当時の特急用として十分な性能を持ち、最高速度105kmでの運転も実現して新宿〜京王八王子間を35分で結ぶようになった。1968年には関東の通勤電車としては初めて、またオールロングシートの車両に限定すると日本初となる冷房装置の導入が行われた(一応、特急券が要らず乗車券だけで乗れる電車としては1959年登場の名鉄5500系が日本初の冷房車と言われるが、同車は2ドアクロスシートで主に急行用である)。
しかし車体が当時の私鉄の主流である18m級中型車、ドアも片開き3ドアとあって、激増するラッシュ需要にまでは応えきれなかった。70年代には国電クラスの20m大型車、ドアも両開き4ドアと、ラッシュ輸送に特化した設計の6000系が登場、急速に投入されて5000系は各停用に回されるようになっていった。80年代末期から廃車が始まり、96年にさよなら運転を行い、事業用車に改造される3両のみを残して京王から引退した。だが18m級3ドア車ということで、建築限界が小さく、またラッシュも大都市程過酷ではなく使用条件もあまり過酷でない地方の私鉄には十分適合していた。そんな訳で富士急行、一畑電車、高松琴平電気鉄道、伊予鉄道と、数々の地方私鉄に譲渡されて第二の人生を送っている。
富士急行では1000形と1200形の2種類が、元京王5000系の車両として在籍する。1200形はクロスシートに改造されているが、1000形は京王時代のオールロングシートを保っている。そして1000形の第1編成が2012年に京王5000系の塗装に戻された。運行ダイヤは土休日の分のみ公開されており、富士急のホームページで確認することができる。

 

 

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おおおー、マジで5000系だぁーー!!(当たり前やん)大月駅の側線に留置、12時15分発の河口湖行きに充当されるまで待機中。

 

サイドビュー、ドア間には二段窓が3つ並ぶ構成。いい味出してるなぁ。駅横の歩道から撮影。道には花が添えられていて、意図したのではないが文字通り花電車みたくなっていた。そして車両番号もご丁寧に京王時代の番号である、5863と5113に戻されていた。

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片開きドア。現在主流の両開きドアと比べると、一般に開口幅がやや狭く、ドアも一枚ということで開閉にやや時間がかかると言われる。ラッシュ時に短い停車時間で大量の乗降を捌くのには不向きと考えられ、関東の通勤路線では60〜70年代中に両開きドアに転換した所がほとんど。国鉄も1957年の101系から両開きドアを採用している。京急は珍しく80年代初頭になるまで片開きドアを採用していたが、その分1両当たりのドア数を増やして対処した。

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窓は上下二段の窓になっていて一見すると全て開けられるようにも見えるが、戸袋に当たるところ(写真でいうと一番左の窓)はよく見ると開けることのできない構造である。他の窓と同じく二段窓のようにしてあるのは、見た目の良さを考えてのことだろうか。京急などは二段窓であっても、戸袋窓の部分はお構いなしに大型一枚の窓になっているので、あまり窓の見た目が整っていない。

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1番線から発車の富士登山電車と並ぶ。1205編成でこれも元5000系。

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該当の列車は4両編成。前2両は1200形1201号、後ろ2両が5000系復刻車となっている。1200形はマッターホルン号として赤系の特別塗装がされている。車体構造こそ5000系そのままではあるが、だいぶ印象が異なる。2番線にはニューフェイスの6000系が並び、先輩・後輩同士の共演。6000系はJR山手線で活躍していた205系を譲受、改造したものである。

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12時15分の発車に備えて移動する。一旦上大月側へと引き上げていく。

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青塗装(標準塗装)の車両と並ぶ。

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1番線に入線して営業列車になる。しかしやっぱり名車としての貫禄有るなぁ!カッコいい!!!デザイン的にも、今の車両にはないものを強く感じます!

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京王では1996年に営業から退き、3両が事業用車として残ったもののそちらも2004年をもって完全引退、現在は京王資料館に静態保存された1両を残すのみとなっている(京王資料館は通常非公開のため通常は見られなかったが、今年から一般向けの博物館「京王れーるランド」に移設されたため一般客も見ることができる)。それに5000系が走っていた当時はネットも発達していなかった時代だ。場所は違えども今になって、こうして営業列車で走る姿をリアルタイムに撮ってブログに載せられるというのは非常に幸運なことと思うし、まるでタイムスリップしてしまったかのような、なんだか奇妙な心地もするところである。

※上から7番目の写真について、「富士登山電車 赤富士と並ぶ」と記述していましたが、「富士登山電車と並ぶ」に訂正しました。どうにも筆者が勘違いしていたようで、あの電車のことを「赤富士」と呼ぶものと思っていたのですが、あの電車自体は「富士登山電車」というのであって、車内の内装で「赤富士」、「青富士」とが分かれているということだったんですね(大月寄りの車両が赤富士、河口湖寄りが青富士)。調査不足だったことをお詫びします。短いようですが富士急は頑張っていてなかなか多彩ですね、勉強になりました。