富士山駅と富士山

富士山の世界遺産登録がついに決定しましたね!
いやぁ〜、日本の誇りですからね。まず第一に、嬉しいですよね!
地元は大騒ぎでしょうか。富士急行では何かイベントとかあるんでしょうかね。世界遺産登録ということですから、色々と苦労もあることと思いますが、頑張って行って欲しいと思います。
というわけで2011年に富士吉田駅から改称された富士山駅と、そこから見る富士山の様子です。

IMG_5014

ホーム全景、駅ビルの「富士山駅」の看板が目立つ。

 

IMG_5015

堂々「富士山」の駅名看板。標高809m、富士山五合目には程遠いものの、鉄道駅としてはかなり高い。

 

IMG_5023

駅舎側から見たホーム。富士急行線はここでスイッチバックするので行き止まり型の線路になっている。自然を意識したものか、木が多用されている。サイン類や広告もそれに合わせて全て焦げ茶色でまとめられている。

 

IMG_5027

照明も凝っている。

 

IMG_5048

IMG_5010

ホームから見た富士山。あたりまえですが、近くてデカいです。登るどころか五合目すら行ったこともないですが、こうして見ていると本当に高いですね。当然ながら周囲には遮るもの一つありません。頂上の世界の素晴らしさと過酷さとが伝わってくる気がします。

 

IMG_5054

河口湖行き、6000系。

 

IMG_5070

これは河口湖ですが、富士山をバックに停車する1000系(京王5000系復刻塗装)。ニューフェイスの6000系が投入され、バトンを渡し始めております。世界遺産登録された山を見つめながら、残された余生を過ごすかつての京王電車。1963年にデビューした京王5000系、ちょうど翌1964年には東京オリンピックがあり東京も大盛り上がりだったことでしょうね。そんな頃の思い出でも、重ねながら見つめているんでしょうか?

往年の名車で行く富士急の旅(6)

6000系で河口湖を後にする。今度は下る一方である。行きはそれほど乗客は多くなかったが、帰りは結構な乗客がいた。地元の人も多かったかな。
大月へ戻り、特急かいじで帰路についた。大型連休の自由席、なんとか座れたものの結構な人だった。

最後に富士急車両をラインナップして締めくくるとしよう。今回、5000系トーマスランド号だけ撮れていない(2両編成1本しかなく、現在検査入場中とのこと)が、それ以外は大体撮れたと思う。

まずは1000形・1200形
苦しいですが6000系と並ぶ通常塗装(写真右)
IMG_4937

 

マッターホルン号、またまた6000形と並ぶ。6000多いな〜。
IMG_4957

 

富士登山電車、隣には京王5000系塗装。
IMG_4927

 

そして京王5000系塗装。
IMG_4975

 

昭和30年代塗装の復刻塗装
IMG_5079

 

続いて現在の主力6000系
IMG_5057

 

フジサン特急2000形、JR東日本の165系改造のジョイフルトレイン『パノラマエクスプレスアルプス』を譲受、改造したもの。3両編成がが前と後ろとで異なっており河口湖側(富士山〜河口湖間は逆編成になるので大月側)先頭車は展望車になっている。
IMG_5090

IMG_5098

 

最後に、帰路の谷村町で行き違った富士登山電車。

 

おまけ。大月駅で見たJR中央線の115系、通称山スカ。あまり詳しくはないが、信州色を見かけることが多く、だいぶ減ったのではないだろうか。

IMG_4922

往年の名車で行く富士急の旅(4)

寿からは富士吉田市となる。車窓が賑やかになるが、相変わらずの登りが続く。それでも比較的開けていてなだらかな感じがするのは、巨大な富士の山麓が近づいてきたためだろうか。反対側の麓である御殿場もそんな感じだ。ちなみに寿駅付近に勾配標識があって見てみたら28.6という数値。勾配の度合いは千分率(‰、パーミル)で示され、この標識では28.6‰、1000m進むと28.6m標高が上がる勾配という意味。これは結構きつい部類。このあたりはまだ町になるほどだからややなだらかなのだろうが、本格的に山奥へと分け入る箱根登山電車や南海高野線などでは、50‰かそれ以上の勾配が随所にある。箱根登山電車では80‰という日本一急な勾配があり、ここまで来ると車両の傾き具合が半端ない。2009年には急勾配を持つ登山鉄道同士で、共同で観光のPRを図るべく「全国登山鉄道‰会」が結成され、富士急も参加している。

地の利の良さか工場などが集積していて結構な町になっているようだ。家並みが途切れることはほとんどない。かえって東京に近いはずの大月側の方が、山に囲まれていて田畑や緑が多くちょっと寂しげな感じがするくらいである。

葭池温泉前、下吉田と過ぎる。下吉田は側線が何本かある少し大きめの駅で、かつては貨物の取り扱いがあった。ワフなどの貨車も止まっている。ふと見ると一番端の方に客車が止まっている。動くのかと思うと、1両しかないので静態保存のようだ。行き先を見ると「特急富士 西鹿児島」と書いてある。そういえばそんな列車もあったな。今や、多くのブルトレはもう過去の話になってしまった。

IMG_5004

 

月江寺を出ると進行方向左手、遠くの方にこの辺にしては巨大なビルが見えてくる。次の富士山駅の駅ビルである。登り勾配をかせぐためか直接進むことはせず、一旦通り過ぎてUターンするように走る。やがて河口湖からきた線路が右から合流して富士山駅に到着する。線路はここでスイッチバックするようになっていて、進行方向が変わる。

 

IMG_5035

 

河口湖まであと二駅だが、5000系の発車を見届けるためにちょっと降りてみた。

 

往年の名車で行く富士急の旅(3)

乗っている時点では思いもよらないことだったですが、今日のニュースによると富士山の世界遺産登録が勧告されたそうですね!おめでたいことです。今回は本当に京王5000のリバイバルとか富士急初乗りとかの鉄ネタが目的でありまして他の意図は一切ないんですが、たまたま書いている沿線がそのようなことになってちょっと驚いた一日でした。

とはいえ、乗ってる時点ではそんなことも知らず特別な感情も湧きませんでしたから(当たり前だ)、構わず続けますね。(笑)
谷村町を過ぎた所からまた少し景色が開けてくる。束の間の直線区間で速度も少し上がるが、すぐにカーブで徐行する。国道に沿って都留市の市街地を進む。富士急行、国道、中央道と揃っていることもあり結構な町になっているが、電車がこんな調子で走るんだから地形的にはかなり厳しいはずである。それにしてもこの辺りは中央道でしか来たことがなかったが、あれはやはりさすが高速道路で、走っていてもこんな地形であることにはほとんど気づかない。
都留文科大学前を過ぎる。大月を出た特急が最初に停車する駅。乗客が多く、河口湖行きだが結構人が乗ってきた。次は十日市場、ここもJR横浜線に同じ名前の駅があるのでちょっと紛らわしい。この辺りで市街地が終るような感じで、小川の渓谷沿いに走ったりする。水が澄んでいる。
最初は小さかった富士山が、進行方向左手にだんだん大きく見えるようになってきた。近づいてきたぞ。

IMG_4991

IMG_4998

 

 

三つ峠、寿と過ぎる。どちらも何だか変わった名前。三つ峠とはこの付近にある山のことで、どうやら峠ではないらしい。寿は文字通り、ことぶき。元々の地名ではなく、元は暮地(くれち)といったが漢字で書くと「墓地」という字に似ていて、縁起が悪いということで改称されたとか。縁起は分かるものの、なかなか例のない大胆な改称である。縁起の良い今の名前に改称されてからは、駅の入場券も販売されている。実体は無人駅で改札はなく、簡素な入口があるのみ、国道沿いのセブンイレブンの横っちょから出入りする。駅名も変えたんだし、もう少し目立つ造りになっていても良い気がするが。

IMG_4999

IMG_5001

寿駅。名前は良く周辺も賑やかだが駅自体はホーム一面のみの無人駅。

 

IMG_5002

寿駅から見る富士。ここもいつも富士がすぐ近く見える場所。

往年の名車で行く富士急の旅(2)

田畑の中を行く。次は赤坂。東京の千代田線にも赤坂があるが、全く同じ名前だ。しかしこちらはホームが1面だけのこじんまりした駅である。しかし線路脇に「マクドナルド、当駅下車100m」の大きな看板が立っており非常に目立っている。ロードサイド店舗向けに地方の国道などでマクドナルドの案内を見かけることはあるが、駅でこういった案内を見るのはちょっと珍しい気がする。広告事情も何気なく眺めていると色々あって面白い。
並行する中央道の都留インターチェンジのすぐ脇を通過する。高速をゆく自動車とデッドヒート、といいたいところだが、こちらは勾配とカーブのおかげでスピードは出てもせいぜい60km前後、悲しいが勝負にならない。すぐ市街地に入って都留市、島式1面2線の駅で、ホームの大月寄りには花壇が設けてある。河口湖寄りの踏切沿いには5000系狙いと思しきサンデーカメラマンがちらほら(サンデーじゃない人いたらごめんなさい・・・)。

IMG_4988

IMG_4989

都留市の街中を走る。地方私鉄らしく家並みの間を窮屈そうに抜けて行くのだが、山登り私鉄であるこの路線はこんな所でも相変わらずズンズン登る。しかもここの登りが今までに比して、特にきつい。速度は30〜40kmくらいしか出ていなかったと思う。登りきると谷村町、都留市役所の最寄り駅。駅舎もレトロである。

往年の名車で行く富士急の旅(1)

IMG_4979

大月駅で往年の名車、京王5000系リバイバル塗装車と再会。同車は12時15分発の普通河口湖行きに充当されるということで、駅前の食堂で腹ごしらえをしておく。大月駅での駅弁販売がなくなってしまったのはちょっと残念だ。
切符を購入し乗車、河口湖まで全長26.6kmとそう長くはない路線だが、全線乗ると片道1110円、結構な値段である。富士急ハイランドの入場券がセットになった富士急ハイランドセット券、JR東日本発売の河口湖・山中湖セレクトフリー乗車券など各種割引切符もある。フジサン特急、富士登山電車などの観光列車にも力を入れているが、なかなか増収には繋がらないだろうか。ちなみに富士急は今回初乗車である。
定刻になり発車、ついに5000系での旅が始まる。名車と言われる車両ではあるものの年代が年代なだけに、実のところ自分にとってはほとんど縁はない。GWに入った訳だし5000系による運行ということで混雑するかと思いきや、座席はほとんど埋まらないまま発車。いつも通りのようだ。4両編成ということもあるだろうか。
左カーブして中央線と分かれるとすぐに上大月に止まる。駅間が短く利用者は少ない。普通列車でも一部通過する。右手に富士が少し見えてくる。線路は富士山麓を走るため河口湖に向かって、ほとんど絶えず右に左にカーブしながら急な上り勾配を登り続ける。あまりスピードは出ないが登山電車っぽくて良い。

IMG_4980

 

 

私の乗った5113号車の車内はオールロングシート。車内は京王から転用されてきた頃より、それほど手は加えられていないようだ。さすがに車内の中吊り広告や路線図は富士急や関連のものになっている、と思いきや、よく見ると5000系デビューの頃の京王の広告が車両の端にさりげなくつり下げられていた。今回のために、保存されていたものを用意したのだろうか。内容は新宿地下駅の国鉄線との連絡通路開設や、ラッシュ対策として車両10両を投入するなどというもの。しかし車体の車両番号といい、広告といい、細かい所までよく再現されている。

田野倉を過ぎるとリニアの実験線をくぐる。ドームで覆われているので中はよく見えない。そのうちここを東京〜大阪間のリニアが超高速で毎日駆け抜ける日が来るのだろうか。そういえば山梨県内の駅はいったいどこにするんでしょう?
カーブを曲がりつつノソノソと登って行く。ジョイント音も響いて心地が良い。山らしく戸袋ではハネアリが踊る。右隣には大月で分岐した、河口湖行きの中央道が並行する。ちょっと景色が見づらくなる。登った所で禾生(かせい)、難しい駅名だ。上りのフジサン特急を待ち合わせるためここで5分程停車する。

IMG_4983

富士急の駅名票はレトロ調のデザインで洒落ている。最近増えている駅ナンバリングも行われている。

 

 

 

 

 

IMG_4982

IMG_4984

京王の装いのまま禾生駅に堂々と停車する。何も言わなければ京王線で撮ったのだろうと思われそうな光景。もっとも京王線でここまで山らしい駅は高尾山口くらいしかありませんが。

 

IMG_4985

大月側。右端にわずかに見えるドーム状の建築物がリニア実験線。

 

往年の名車復活!京王5000系

IMG_4928

富士急行(山梨県)と一畑電車(島根県)では、京王から5000系を譲り受けて運行している。通常は両社とも自社のカラーリングで運行しているが、2013年をもって京王5000系がデビュー50周年となるのを記念して、両社共同で一部車両に京王時代の塗装を復活させている。
京王5000系は1963年に登場、路面電車に端を発した京王が路線の改良を重ね、新宿駅付近も地下化されて高速電車へと転換した年であった。それまでは地味で速度も遅い路線であったが、この年に初めて特急が設定されて本格的にスピードアップが図られることになった。その初代特急用として投入されたのが5000系である。機能的には、片開きの一枚ドアでオールロングシートという昭和30年代の私鉄の典型的な通勤電車ではある。しかし、従来の全面を緑色に塗ったグリーン車の塗装から一転し、アイボリーホワイトの地肌に細い臙脂色の帯を貼付けた新塗装、裾を絞った車体はことに美しく、スピード感を感じさせるもので、今も「名車」として名高い車両である。当時の特急用として十分な性能を持ち、最高速度105kmでの運転も実現して新宿〜京王八王子間を35分で結ぶようになった。1968年には関東の通勤電車としては初めて、またオールロングシートの車両に限定すると日本初となる冷房装置の導入が行われた(一応、特急券が要らず乗車券だけで乗れる電車としては1959年登場の名鉄5500系が日本初の冷房車と言われるが、同車は2ドアクロスシートで主に急行用である)。
しかし車体が当時の私鉄の主流である18m級中型車、ドアも片開き3ドアとあって、激増するラッシュ需要にまでは応えきれなかった。70年代には国電クラスの20m大型車、ドアも両開き4ドアと、ラッシュ輸送に特化した設計の6000系が登場、急速に投入されて5000系は各停用に回されるようになっていった。80年代末期から廃車が始まり、96年にさよなら運転を行い、事業用車に改造される3両のみを残して京王から引退した。だが18m級3ドア車ということで、建築限界が小さく、またラッシュも大都市程過酷ではなく使用条件もあまり過酷でない地方の私鉄には十分適合していた。そんな訳で富士急行、一畑電車、高松琴平電気鉄道、伊予鉄道と、数々の地方私鉄に譲渡されて第二の人生を送っている。
富士急行では1000形と1200形の2種類が、元京王5000系の車両として在籍する。1200形はクロスシートに改造されているが、1000形は京王時代のオールロングシートを保っている。そして1000形の第1編成が2012年に京王5000系の塗装に戻された。運行ダイヤは土休日の分のみ公開されており、富士急のホームページで確認することができる。

 

 

IMG_4951
おおおー、マジで5000系だぁーー!!(当たり前やん)大月駅の側線に留置、12時15分発の河口湖行きに充当されるまで待機中。

 

サイドビュー、ドア間には二段窓が3つ並ぶ構成。いい味出してるなぁ。駅横の歩道から撮影。道には花が添えられていて、意図したのではないが文字通り花電車みたくなっていた。そして車両番号もご丁寧に京王時代の番号である、5863と5113に戻されていた。

IMG_4934

IMG_4935

 

 

片開きドア。現在主流の両開きドアと比べると、一般に開口幅がやや狭く、ドアも一枚ということで開閉にやや時間がかかると言われる。ラッシュ時に短い停車時間で大量の乗降を捌くのには不向きと考えられ、関東の通勤路線では60〜70年代中に両開きドアに転換した所がほとんど。国鉄も1957年の101系から両開きドアを採用している。京急は珍しく80年代初頭になるまで片開きドアを採用していたが、その分1両当たりのドア数を増やして対処した。

IMG_4950

 

 

窓は上下二段の窓になっていて一見すると全て開けられるようにも見えるが、戸袋に当たるところ(写真でいうと一番左の窓)はよく見ると開けることのできない構造である。他の窓と同じく二段窓のようにしてあるのは、見た目の良さを考えてのことだろうか。京急などは二段窓であっても、戸袋窓の部分はお構いなしに大型一枚の窓になっているので、あまり窓の見た目が整っていない。

IMG_4961

 

 

1番線から発車の富士登山電車と並ぶ。1205編成でこれも元5000系。

IMG_4927

 

該当の列車は4両編成。前2両は1200形1201号、後ろ2両が5000系復刻車となっている。1200形はマッターホルン号として赤系の特別塗装がされている。車体構造こそ5000系そのままではあるが、だいぶ印象が異なる。2番線にはニューフェイスの6000系が並び、先輩・後輩同士の共演。6000系はJR山手線で活躍していた205系を譲受、改造したものである。

IMG_4957

IMG_4959

 

 

12時15分の発車に備えて移動する。一旦上大月側へと引き上げていく。

IMG_4962

IMG_4963

IMG_4964

 

 

青塗装(標準塗装)の車両と並ぶ。

IMG_4971

 

1番線に入線して営業列車になる。しかしやっぱり名車としての貫禄有るなぁ!カッコいい!!!デザイン的にも、今の車両にはないものを強く感じます!

IMG_4972

IMG_4975

 

京王では1996年に営業から退き、3両が事業用車として残ったもののそちらも2004年をもって完全引退、現在は京王資料館に静態保存された1両を残すのみとなっている(京王資料館は通常非公開のため通常は見られなかったが、今年から一般向けの博物館「京王れーるランド」に移設されたため一般客も見ることができる)。それに5000系が走っていた当時はネットも発達していなかった時代だ。場所は違えども今になって、こうして営業列車で走る姿をリアルタイムに撮ってブログに載せられるというのは非常に幸運なことと思うし、まるでタイムスリップしてしまったかのような、なんだか奇妙な心地もするところである。

※上から7番目の写真について、「富士登山電車 赤富士と並ぶ」と記述していましたが、「富士登山電車と並ぶ」に訂正しました。どうにも筆者が勘違いしていたようで、あの電車のことを「赤富士」と呼ぶものと思っていたのですが、あの電車自体は「富士登山電車」というのであって、車内の内装で「赤富士」、「青富士」とが分かれているということだったんですね(大月寄りの車両が赤富士、河口湖寄りが青富士)。調査不足だったことをお詫びします。短いようですが富士急は頑張っていてなかなか多彩ですね、勉強になりました。