南海フェリーで四国へ(2)

和歌山港から南海フェリーに乗った今回の旅、2時間かけて徳島へ向かう。

淡路島を見ながら進む。
雲行きがあやしい。ポツポツくる。まあこの空模様ならそこまでひどくならないだろうが。
ちなみにソフトバンクは、圏外だすw

   
 

徳島港が見えてきた。

  
 

徳島港に到着、時刻表では10時35分着のはずだったが、時計を見るとまだ25分。10分ほど早く到着したようだ。

どかっと人がおります。
ここでの鉄道連絡はなく交通機関は基本的にバスとなる。かつては国鉄線が連絡していたが廃止されてしまった。ということでバス乗り場は長蛇の列、さあこれは何台待って乗れるだろうかというレベルだ。
徳島駅などがある市の中心部へは2kmくらいなので、歩いて行けないこともない。
ということで、迷わず歩く!(おい)
まあ、その方が楽しいっすけどね・・・。

   
 

30分少々あるいて徳島駅前にやってきた。ちょうどお昼時ということで徳島ラーメンでも、と思ったが、人気なんですかね。そちらも行列だす。時間も限られている日帰りの旅、迷った末に讃岐うどんを食べに香川に行くことにした。徳島の皆さん、ごめんなさい。。。

  
ということで徳島駅から高徳線の特急『うずしお』に乗車。二度目の高徳線、吉野川を渡って山の方へ。山が多いのが四国らしい。

途中、行き違いのために停車した阿波大宮で、下の特急が5分遅れているので車で停車するという放送。徳島駅や車内を含めて詳細は全く聞いてなかったが、その後たまたまニュースを見てびっくりしたのは高徳線でこの日の朝に、普通列車が大量発生した毛虫を踏んで、体内から出た脂で車輪が空転してしまい走行できなくなるトラブルがあったということだ。そのせいだろうか。しかし虫とはやっかいなものだ。

香川県にでて三本松に停車、サザンの時もそうだったが相変わらずうたた寝している。このところ、まじで疲れたしなぁ。
志度を過ぎて屋島を見ながら高松市街へ。久しぶりだ。
高松に到着、遅いお昼になった。前にも入った駅前のめりけんやで、さぬきうどんを食す。肉うどん特盛にてんぷら3個と奮発、東京でうどんをこんなに食うこともないな。まあ今は丸亀製麺とかも展開してるから割と気軽にうどんを食べられるようになってきていると思うが。

  
うどんを食した後は観光も兼ねて、まだ全部乗っていない琴電琴平線に乗るべく高松築港駅へ。

最終目的地は琴平の金刀比羅宮だが、まずは栗林公園を散策。前にも一度きているが、山がすぐ後ろに控える構図はなかなか綺麗だ。

   
   

  
栗林公園から先は初めて乗る。
先ほど海上でも少し降ったが栗林公園散策の頃からまた降り出した。弱い雨だからまだいいが。
雨の中を走る琴電、前は水滴でびっしり。
2両編成ではあるが座席は全て埋まっていて立ってる人もいる。メイン路線ということもあるのか、あるいは金刀比羅宮への参拝客か、それなりに乗っている。
仏生山、車庫があり各車両が止まっている。各鉄道から譲渡された年代物の車両たちが並ぶ地方私鉄の車庫、それを見るのも面白い。

  
香川らしく、とんがり山が増えてきた。香川県は本当に、わかりやすいほどのとんがり山とか、屋島のような特徴的な山とかが多い。
円座あたりからは国道32号が進路右に並行してくるようになる。香川県高松市と高知市と、県庁所在地同士を結ぶ国道である。考えたら琴電のとっているこのルートの方が高松から高知へ向かうには近い。JRで行くと予讃線を多度津まで行き、そこから土讃線に入るルートしかないが、特急など速いからあまり気にならないものの実のところ遠回りしている。もっとも今は高速があるから律儀に国道で行くことはないだろうが。

綾川町に入る。さぬきうどん発祥の地らしい。確かにうどん屋の本店らしいのを国道沿いに見たりする。でもイオンモールも負けないくらい目立っている。
滝宮、折り返し便の設定があるのでそこそこ広い。駅前に、森永ホモ牛乳!
昔の年代の人はまあ見慣れているだろうしあまり気にしないだろうけど、我々若い世代はまあ昔からの牛乳屋さんに出くわさない限り滅多に見ることがない。

雨が少し強くなってきた。並行する国道32号も車が多い。
岡田では綾川町のPR電車と行き違う。
琴平に近づいてきて、金刀比羅宮のある象頭山が見え始める。最後の駅、榎井を過ぎ、激しい縦揺れを起こして走るwローカル線ならでは、っていう感じだがちょっとひどいな。。。
JR土讃線をくぐり、左にカーブして終点琴電琴平。この日はなんと卒寿を迎えたかつての車両がお披露目されていた。ホームに普通に停車していて、高松築港行きとして営業運転されるようだ。琴電ならではのイベント。

   
 
   
 

というわけで今回も金刀比羅宮を参拝。四国に来たっていう感じがするなぁ。

帰りは土讃線の特急南紀で岡山、そこから新幹線で帰路へ。駆け足的だったけど満足。

牟岐線(3)

牟岐からさらに海沿いに南下していく。鯖瀬、海の目の前に位置する。かと思うとまた内陸に入って浅川。阿波海南は田畑のちょっと多いところ。山が多かったが、久々に開けたところに出た気がする。
ここからは低地に出て、高架を走り海陽町の町を行く。そして最後に列車は、とあるトンネルをくぐって、終点海部に到着する。まあ、各種メディア、それに「その道のプロ」の方にしっかり取り上げられてますので、もうご存じの方も多いことでしょうけれどwww

海部駅は相対式2面2線の高架駅。JR牟岐線の終点であり、阿佐海岸鉄道阿佐東線との接続駅でもある。2面2線であるが両者で1線ずつ使用しており、列車もごく一部のみ牟岐〜甲浦間を直通する意外はここで折り返し運転となっており乗り換えが必要である。

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海部駅からJR牟岐線、徳島方面を望む。これが、牟岐線の到着前・出発後にくぐる件のトンネル

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トンネルの上はなんと、ちょっと木々が生い茂っているというだけで、山もなんにもないwww
周囲もすっかりコンクリートの外壁がむき出し状態。もはやトンネルとしての意味をなしていない。赤瀬川原平氏の『超芸術トマソン』でも紹介された、所謂「純粋トンネル」というやつである。用途としてまったくトンネルになっていない。おれはトンネルだ!トンネルはトンネルだ!www

「トンネル掘削は建設にとっての一大事業!そりゃあ最初はそんなところに造ってどうする?と担当者には何度も説得されましたが、何としてでも造りたくて滅茶苦茶な理由を付けて押し切って、とうとう造ってしまったのです…」っていやいやそんなことではなくて、元々は山をくぐる、れっきとしたトンネルとして造られて機能していた。しかし周囲の宅地開発により山が切り崩されてしまい、トンネルの構造物だけが可笑しくも残ってしまった、というものである。名前は「町内(まちうち)トンネル」という。

まあでも確かに、そんな開発が予定されていて山が崩されることがある程度分かっていたら、そもそもトンネルにする必要はなかったんじゃないか、とも思える。このトンネル、供用開始は牟岐線が海部まで開業した昭和48年。そして今の姿になったのは昭和51年ということで、トンネルとして機能していたのはわずか3年くらいだったそうだ。

牟岐線(2)

阿南で一泊して、翌朝はそこから牟岐線で南下、海部からは阿佐海岸鉄道に乗り換え甲浦を目指す。1500系、初日にも乗ったが、シートはいいし車内デザインも落ち着いていて好きだ。

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太陽が今日も燦々としていて気持ちが良い。見能林。ここは四国最東端の駅らしい。右に山、左に住宅地を見ながら進む。徳島も山がちな地域だ。阿波橘、徳島の旧国名は阿波ということで阿波なんとかという駅名も県内には多い。関東人からすると、「あわ」ときくと同音の安房が連想される。安房鴨川、とかネw
このあたりから車窓左も林や小高い山になる。住宅は車窓右に道路とともにある。
桑野、徳島行き1500系と行き違う。しかし、阿波室戸シーサイドラインと呼称がついている割に海はまだ見えてこない。ルート的には海沿いをずっと走ってはいるのであってはいるが。

竹林の中を走りトンネルもくぐる。海どころか山という感じだ。まあ土佐くろしお鉄道に乗った時もそうだが四国の地形は厳しいようだ。
下って町に出て、新野(あらたの)
田んぼの中を行く。紀行番組のシーンで出てきそうだ。しかしいつも思うがああいう番組って田舎の風景ばかり映していないか。子供の頃にテレビで何気なくそんな映像ばかり流れて、地方イコール田舎という固定観念が定着してしまった。しかしある時ニュース(特に天気予報のカメラ映像)で流れる県庁所在地の映像を見たり実際大きくなって行ってみたりすると、都会も意外と多いことに気づかされて驚かされたりする。
いや、まあなにがって。確かにその方が旅情とか掻き立てられるんだろうけど、周囲に何もない、人気がない、というような印象を受けるの映像で見せられると、実の所一種の恐怖感みたいなのを覚えたりして、町になってくるとふと安心するような感覚がする。一種の「ホームシック」みたいなものだろうか。特に自宅周辺が主たる行動範囲の「都会っ子」とやらはそんなのが激しいのではないかな。いざ行ってみると「えー、こんなところいやだぁ~、帰りたい~」とか。。。

どうでもいい話が過ぎたかな。阿波福井を過ぎ、山へ分け入っていく。長いトンネルもくぐる。
由岐、山間の集落にある。このあたりまで海が見えなかったが、トンネルを抜けるといきなり左が海だ。

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途中、海水浴シーズンのみ営業する田井ノ浜駅がある。また山間の集落になり木岐。
トンネルが続く。北河内、「きたがわち」と読む。

四方山々の所をまた進んで、街に入って牟岐。ホームは1面2線しかないものの運行上の拠点となっており特急『むろと』はここで折り返すほか、普通列車もここを起終点とする列車がある。
ここまで2両編成できたが1両切り離して単行になる。

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牟岐線(1)

徳島から紀伊水道沿いに徳島県沿岸部を南下する路線。徳島で高徳線、徳島線、鳴門線と接続するだけで他にJRの接続はない。終点海部では阿佐海岸鉄道と接続し一部列車は乗り入れているが、線路は完全にまっすぐつながれていて牟岐線の実質延長部であるし(もともと国鉄として建設されたもの)、同線の終点甲浦は接続する鉄道はない。高知で訪問したごめん・なはり線もそうだが、ある意味「盲腸線」みたいなものである。元は阿佐海岸鉄道の甲浦から室戸岬方面を経由して、ごめん・なはり線につないで徳島~高知を海沿いに結ぶ計画であったが、徳島側、高知側とも一部区間を第三セクターで開業しただけで終わり、現在に至っている。
特急『むろと』と普通列車が運行されている。『むろと』は未だ到達できていない室戸岬を名前にしている。
四国旅の夜間の行程に入ったので最初は阿南まで『むろと』に乗車。キハ185系。

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徳島の夜景をみながら進む。特に次の阿波富田までの間は徳島市の中心街であることから車窓は賑わい、自然と夜景もにぎやかなものである。南小松島は小松島市の中心部で小松島港にも近い。が、かつて本州とを結んでいた小松島港フェリーは廃止されてしまっている。その後も割と海近くを進み、阿波赤石を過ぎて那賀川のトラス橋を渡ると阿南。今日はここで降りる。

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ちなみに昼の写真はこちら。

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夜の鳴門線

徳島までやってきた四国旅。この日は牟岐線で阿南をめざしそこで宿泊予定だったが、何せJR四国路線網乗り潰しという壮大な計画のもとに行っている旅である。日は暮れかかっているがまだ終わらない。
というわけで、徳島からは鳴門線に乗り換える。今となっては貴重なキハ47たらこ色。夕方ラッシュとあって2両編成の座席はほぼ埋まっている。

徳島18時6分発、薄暗くなってきた。でも春が近づいて少しは日が長くなってきたようだ。途中、池谷(いけのたに)までは高徳線を走る。先に徳島線で通ってきた高架を戻り、佐古へ。複線になっているが、実際は高徳線、徳島線各々の単線が並んでいるだけ。徳島線が左、高徳線が右である。なので鳴門行きであっても右の線路を走る。
徳島線が左に分かれ、しばらく高架のまま進んで、吉野川の手前で降りる。吉野川のあたりまでは徳島市街地だ。吉野川は下流で、川幅が相当広く、長いトラスで渡る。吉成停車。 勝瑞(しょうずい)、多くの乗客が降りた。
外すっかり暗くなった。
池谷で高徳線から分かれる。ホームの時点で高徳線が直進、鳴門線が右カーブしている。鶴見線の浅野にもなんか似ているが、双方島式ホームである。

ここから鳴門線に入る。池谷~鳴門間8.5kmを7駅で結ぶ。前にも触れているが池谷起点ではあるものの大半の列車は高徳線に乗り入れて徳島から発着している。
途中駅での行き違いはできない。おおむね1時間に1本程度確保はされているが、方向により早朝もしくは夜間帯の運行が極端に少ない。上り鳴門行きの始発列車は池谷発朝の7時8分(鳴門7時27分着)まで走らず、下りの鳴門発徳島方面行きは18時50分発のあと、21時8分が定期便最終列車でありその間2時間以上も列車がない。ネットの時刻表を見ると一部それ以降の時間に運行されることになっているが、これはどうやらJリーグの徳島ヴォルティスの試合観戦後の臨時列車として設定されているようだ。
逆に反対方向の列車がほぼ皆無になる早朝の下り鳴門駅始発は6時34分発、52分発と上りより早く、夜間の上り鳴門行きは池谷23時32分が終電で、2時間ほど来ないこともあるものの下りと違って遅くまで確保されている。また、すべて普通列車だが鳴門6時52分発の池谷行のみ、普通列車を名乗りながらも途中駅をすべて通過する(平成26年3月のダイヤ改正で新設された列車)。朝は徳島への通勤、夜は鳴門方面への帰宅向けを意識したものになっているようだ。

しばらく走って阿波大谷。真っ暗で駅の周りに明かり少ないので、周囲は田畑だろうか。進行方向右手遠くに明かりが多い。徳島市街か。
沿線はときおりガソリンスタンドの明かりは目立つが。
といっていたら沿線が急に家並み増え市街地っぽくなった。金比羅前。次は教会前、なんか神聖な名前が続く。ちなみにここの教会前とは天理教の教会を指す。鳴門線の前身であった阿波電気鉄道の頃は天理教前と名乗っていた。
そのまま町を行き、撫養(むや)、かなりの難読駅名。その後すぐ終点鳴門。駅前栄えていてショッピングセンターなどがある。「うず潮の鳴門へようこそ」とある。鳴門駅からは20分程バスに乗って鳴門観光港、そこから観潮船に乗ってポイントへ向かうことになる。

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鳴門駅は18時45分着、折り返し便は18時50分発で、それを逃すと先に書いた通り21時8分の最終まで列車がない。よって駅を出はしたものの滞在時間5分であっけなく終わってしまった。今度は明るいうちにうずしおと絡めてくるとしよう。

特急『剣山』で徳島へ

金刀比羅宮詣でを終えて再び土讃線で阿波池田、そこから徳島線の特急『剣山』で徳島へ向かう。
キハ185の4両、団体と乗り合わせたようで座席はほぼ満席だった。土讃線は3両でも空いてたのに。窓際埋まってたので通路側に陣取る。キハ185、知らなかったが初めて乗ってみると国鉄仕様と分かる。サイン類は札だし、行き先も方向幕だ。

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一つ戻って佃で土讃線が左に分岐、こちらは素直に直進し徳島線に入る。並行する国道に徳島67kmの文字。
徳島線は土讃線の佃から、高徳線と合流する佐古までの67.5kmの路線である。起点の佃、終点の佐古ともに幹線と接続するも、どちらも主要駅ではなく特急も全く停車しない。そのため列車運行など実質的には起点、終点ともに一つ他の路線に入った阿波池田~徳島間となっているほか、阿波池田~佃間、佐古~徳島間ともに区間外乗車が認められている。起点、終点ともに少々中途半端なところで終わっているがための特異な形態である。佃なんかは普通列車の本数が極端に少ないためもし区間外乗車制度がなかったら一大事である。
路線名のごとく、全線が徳島県内にすっぽり収まっている路線である。国鉄時代は「徳島本線」を名乗ったが、路線もそんなに長くないし特に支線もない。昭和63年にほかの四国の路線が「本線」の呼称を使わなくなった際に一緒に徳島線になったが一番しっくりくる気がする。『よしの川ブルーライン』という呼称がつけられ、左手には吉野川の清流、奇岩も見られる。バックには山々が連なる。四万十川沿いの予土線とどっちがいいかと問われると分かれるかもしれない。
地図で見ると全線、徳島自動車道、国道192号と完全並行している。よって?沿線はほぼ途切れず人口があるようで町が続く。家並みがあまり途切れないし、国道沿いは賑やかだ。一方道路のルートが二つそれも高速並行とあって、自動車との容赦ない競争にさらされるということでもある。
ほどなくして阿波加茂に停車。乗客があったが座席がいっぱいなので、デッキに向かって行った。

吉野川は徳島へ向かって下るので、それに合わせるかのように周囲の山も開けてなだらかになっていくようだ。そういえばトンネルもあまりないらしく、まだくぐっていない。土讃線ならありまくりだが。地形によってずいぶん違うものだ。
線形は割合良く、キハ185は振り子がないものの特急はそれなりの速度で走る。
隣をゆく吉野川は中流なのか少し広くなり穏やかになったかのように見える。流域の石も小さめになり形も普通な感じだ。昔学校の理科でやったような川の流れを地で行っているかのようだ。
貞光に停車、四国の名峰、剣山の登山口にあたる駅。1500系の阿波池田行きが止まっている。

なおも川を下っていく。穴吹停車。
美しいには美しいが、なんだかあまり変わらない車窓な気がする。そんなことを言っちゃあいけないが。
おっとここで初めてトンネルくぐった。ちょー短いけど。
右側の山、迫ってたのが少し引いて田畑になってきた。川向こう左側の山も少し遠くに引いて行って山の間が広がってきた。家並みもさっきより増えた。阿波山川停車。徳島に近づいてきたのだろう。

町に入り、狭い家並みの中を邪魔そうに走る。伊那市の飯田線を思わせる光景。鴨島に停車。もう右の山も結構はなれ、線路が真ん中くらいになってきた。
住宅、工場、田畑の中を高速で走る。

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最後の停車駅蔵本を過ぎる。周囲は完全市街地になる。この先で高架になり、左から高徳線が合流する。高架の佐古駅を通過し、一つだけ高徳線に入る。本数が多いためかこの区間は両線の線路が並んでいて複線のように見える(複線ではなくて単線の線路が二本並んでいるだけ)。ほどなく終点徳島に着く。

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徳島に到着。高徳線、徳島線、牟岐線が乗り入れるターミナル駅、高徳線には鳴門線の列車も大半が乗り入れるのでそちらも利用できる。

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徳島駅前。駅ビルがでかい。

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主に徳島線の普通列車が発着する1番線。2番線の先端部、少し離れた地点にある。

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跨線橋が味のある窓。。。

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4番線の隣には徳島運転所が広がり、気動車達のねぐらとなっている。

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鳴門線のキハ40。懐かしのタラコ色!

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牟岐線方面の特急『むろと』

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金刀比羅宮へ

琴平駅で降りて金刀比羅宮へ向かう。駅から商店街を少し歩いて参道へ向かう。金刀比羅宮は象頭山の中腹に位置する神社で、長い石段で有名。登山スタイルではないが、実質登山!御本宮まで785段の石段が続く。

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表参道に入る。土産屋や食事処がひしめき合い店頭のおばちゃんの声が絶えない。リックを重たそうに背負って歩いておれば「そんな重いのしょって…」と、もれなくお声を掛けていただけるはずですよ…www

 

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ほどなくして石段の一段目にかかる。この先も踊場を挟みながら石段が続く。踊場に当たる所には土産屋が軒を連ねる。休憩していくのもよかろう。

 

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少し登ってきた所、まだ向うのビルが同じくらいの高さだし回りもさして見えないが…

 

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なおも石段を登り、ふと振り返ればこんな高さになっていて驚く…。眼下に平野が広がる。このあたりで大門の近くになるが、大門まででもまだ365段だそうで…。この先平坦な所を挟みながらなおも登る。

 

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ようやくたどりついた。この先なおも登って奥宮もあるが、今回は御本宮までにする。

 

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讃岐平野が一望できる。天気もいいし、爽快だ!山に囲まれた平野、特徴的な山が多い。画面左、讃岐富士が見える。形がそっくりだ。

ちなみに東京タワーで展望台まで階段で登るのは約600段。ここが行ければ、東京タワーも歩いて登れる…。

 

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冬の四国地方、2014年は全国的に記録的な大雪になった。天気は良かったものの山上には雪がしっかり残っていた。

琴平にて

四国の旅、多度津で二度目の土讃線に乗り換えて琴平へやってきた。土讃線の初乗車時、高知の観光を優先したため時間と行程の都合上入れることが叶わなかった琴平下車、金刀比羅宮(こんぴら)詣でがようやく出来ることになった。もっとも、この日の行程は松山から徳島県は阿南まで行くというものであり、四国の西から東へ一気にワープするというもので、距離にしたら300km近いものであった。が、前日が本数の極端に少ない予土線が入り行程に苦心したのと違い、ほとんど主要幹線のルートで特急で通せたことがとても大きく、時間の捻出が可能になった。ってなんだかまるで特急宣伝のキャッチコピーみたいな文章になってしまったが。当たり前のことながらも、普段普通列車主体の旅が多いだけに改めて特急の威力ってのはでかいと思い知る。
もっとも、既に午後に入りこの時まだ冬場だったとあって明るい時間はもう限られている。実の所、当初は多度津で土讃線に乗り換えずに特急をそのまま高松まで乗り、高松築港から琴電琴平線で琴平を目指すことで琴電の全線完乗も一挙に達成する目論見であったが、それでは徳島へ着くのが遅くなってしまうことから諦めた。琴電もすっかり好きになったものだが、ここはまたの楽しみにとっておく。

さて、降り立った琴平駅。琴平町、金刀比羅宮の玄関口となる駅。昔ながらのムード漂う駅だが立派な造り。「ようこそ琴平駅へ」のフレーズと、金刀比羅宮ゆかりと思しき、○の中に見たことのない不思議な字の入ったマークがつけられた改札に出迎えられる(調べてみた所「金」の字の違う字体のようで。多分金刀比羅宮でしか見られないもの?)。でもって、お約束のアンパンマンもしっかり出迎えに上がっているのですね…。今日も琴平の上空をパトロール、でもしているのでしょうか…。構内には『かまど』と並んで香川名物の『灸まん』の看板も目立ちます。

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琴平駅前。大きな看板が目立つ。ちょっとレトロな洋風駅舎。多度津もそうだったがここにも機関車の動輪があった!

 

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動輪の主はシゴハチことC58機関車。1938年から登場しハチロクよりも後輩、こちらも全国的に活躍した。今も363号機が秩父鉄道のSL『パレオエクスプレス』に使用されているほか、2014年から東日本大震災復興の後押しに、岩手県内は盛岡市の岩手県営交通公園に静態保存されていた239号機が整備されて復活、釜石線で『SL銀河』として運行を開始したのも印象的なことである。持ち前の存在感のある勇ましい走りで日本を永く支えてきたSL、無煙化や電化、新幹線と鉄道も発展を遂げ本来の使命を終えつつはありますが、これからも夢を与え続ける存在であってほしいものです。

 

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駅を出て少し行くと琴電琴平線の琴平駅がある。その名の通り琴平を目指した路線でここが終点。JR琴平駅に比べると駅舎がきれいだが、1988年に改築されたものだそうだ。駅前には美しい川が流れている。

瀬戸のあな子

松山駅ホームにて購入、瀬戸内海名産の穴子寿司。坊っちゃん辨當などほかにも目を引くものがあって考えたものの穴子飯食べたさにやっぱりこれにした。穴子数切れにエビ、山菜、煮物などが入り、たれと山椒が別に付いている。穴子は歯ごたえがあってうまかったしさっぱりの寿司飯にも合う。四国の駅弁選手権2013とパッケージにあるが、この旅の後の2014年4月に行われた模様。(金賞は中村駅の「こだわりの四万十うなぎ弁当」)

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特急『しおかぜ』で松山から多度津へ

四国の旅、今回は予讃線の特急『しおかぜ』で松山を後にする。電化区間の少ないJR四国、ここまで気動車が続いたがここで久々に電車特急に乗る。やっぱり静かだ。ちょうどお昼になるので松山駅で穴子ずしを買っておいた。
しばらくは松山の町をいき、昨日乗った伊予鉄道高浜線も見るが、じき海沿いに出る。

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船や島々がよく見える。石油工場群も抜ける。瀬戸内が工業地帯であることを思い起こさせる。
波止浜通過、橋が見える。しまなみ街道か。
ほどなくして、タオルで名高い今治に停車。2面3線の高架駅。バリィさんとは松山駅でご挨拶してきた。

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海を離れ山側へ入っていく。並行する道路にタオル美術館の看板!美術館にまでなるとは…。
しかしさっきから見てるとデッキドアはセンサー悪いのか、自動ドアなのに車体傾く時や揺れた時などに勝手にあいている。
石鎚山で運転停車、通過する下り特急と交換する。予讃線は本数がかなり多いが、それでも香川県内を除き大半が単線である。発車後すぐに伊予西条に停車する。ここで行き違いはできなかったか。眠くなりうたたねしてしまった。新居浜停車。貨車止まっている。
列車は8両編成だが。自分の乗った5号車10人くらいしか乗っていない。

遠く山裾に街が広がっている。
なんか急に小刻みな縦揺れが激しくなってきた。でもってまたデッキドアが勝手に開く。
伊予三島、川之江と停車していく。川之江は愛媛県最後の駅。
また海沿いを行く。次の箕浦までの間にトンネルを一つだけ通るがちょうどそこが県境。鳥越トンネルという。県境であることを感じさせないような短いトンネルだが、かつて非電化だった頃のサイズのままで電化されているトンネルのため高さ制限が設けられており、快速『マリンライナー』に使用される5000系など一部の車両はここを通過できず愛媛県内に進入できない。

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香川県に戻ってきた!別に自分ちでもゆかりがあるでもないが…。それに、もうなんか一回りした気になる。でもこれから徳島へ行ってはじめて達成なので、まだなのだが。
観音寺停車、香川県西部の主要駅で普通・快速は高松方面への折り返し便がある。113系が止まっている。しかし見ていると多度津以西電化区間の普通は大半が7000系だ。ワンマン対応も理由だろう。
讃岐の平野を走り、また海沿いに出て土讃線が合流し、多度津に到着。ここから先琴平で降りてこんぴらさん詣での後、阿波池田経由で徳島へ向かうために二度目の土讃線乗車となる。

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四国鉄道発祥の地、とある。四国の鉄道網は明治22年、讃岐鉄道がこの駅を含む丸亀~琴平間で営業開始したのが始まり。当初はここで本州へ向かう航路と接続していた。かつて四国の地を走っていた8620形(通称ハチロク)蒸気機関車の動輪が記念物として駅前に保存されている。

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そのハチロクの一員である、58685号が駅からすぐの場所に保存されている。ハチロクは日本の鉄道開業当初の海外から輸入された蒸気機関車を参考にし、初の国産の蒸気機関車として設計開発されたという、日本鉄道史にとっても意義深い機関車である。実に700両近い数が製造され全国で活躍した。ちなみに東京は青梅鉄道公園に、トップナンバーの8620号が保存されている。

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