北しなの線


平成15年の北陸新幹線開業に伴い、信越本線のうち長野駅以北に当たる長野〜妙高高原間を第三セクターのしなの鉄道に移管した路線。妙高高原から先の区間は、新潟県となるため別会社のえちごトキメキ鉄道に転換されている。

長野駅から妙高高原行きに乗り込む。JRとは別会社であるが特に改札は分離されておらずJRと共通、車両も譲渡された115系のためほとんど変わった感じがない。

特急『しなの』の接続待ちで遅れて発車。少し進むと長野車両センターが広がる。ほんの少し前までJRだった区間である。須坂か信州中野あたりが遠望できるが、こちらの方が高いことがよくわかる。長野電鉄をくぐり、新幹線とも分かれる。ちなみに北長野以北は単線である。豊野から少し行くと飯山線が分岐する。

少し眠くなってしまった。単独走行になって一気に車窓が変わり、渓谷沿いを行き、牟礼。豊野からかなり距離があった。このあたり、複線化しようとしたのだろうか。トンネルの廃坑があり抜けると複線分の路盤。

里の方に出て、古間。かつて使われていたホームの跡が残っている。黒姫は長野県最後の駅。左側にひときわ高い山が見える。黒姫山か?

次は終点妙高高原、ここから新潟県となる。黒姫〜妙高高原までは複線である。野尻湖近くを行き、終点妙高高原。ここから先はえちごトキメキ鉄道妙高はねうまラインとなり、駅も同線の所属となっている。かつて一本の路線であり単なる途中駅だったため終点という雰囲気はなく、むしろ今も直通運転があってもおかしくない雰囲気だが、今のところ直通運転は全く行われていない。とはいえダイヤは接続が考慮されている。まだ運行始まってそんなに経っていないし、利用状況次第ではいずれ直通も再開されるかもしれないと思う。

連絡バスで峠越え

バスターミナルに止まっていたJRの連絡バス碓氷線に乗り込む。
駅前を通っている中山道をひたすら下れば横川なのだが、バスはそちらからは行かず、一旦南へ進んで碓氷バイパスを経由するようだ。その方がカーブがきつくなく、走りやすいからだろうか。この辺りはほとんど来たことがないが、なるほど、地図で見る限り中山道はいろは坂のようなつづら折りのようだが、バイパスの方はカーブが比較的緩く数も少なめのようだ。
本ブログで本格的にバスのことを書くのも初めてかもしれない。筆者、バス事情はめっぽう疎いのだが、旅全般、特に長距離移動が好きな身にとっては選択肢として含めたい所でもある。バス路線は鉄道より細かいだけ有って、路線の再編等めまぐるしいかもしれないが、いずれ路線バス乗り継ぎも悪くない。
駅を出ると左折して一旦反対向きに中山道を走り、少し進んだ所で左折して県道43号線に入る。碓氷バイパスへ続く道である。県道に入ると沿道は、人の手が入ってますといわんばかりの、些か鮮やかすぎるように見えなくもない緑に囲まれた、ホテルや観光施設が点在する。軽井沢の典型的、リゾート地的景観という所だろう。賛否はともかく、これを見ないことにはここがリゾート地軽井沢だという実感は湧いてこないというものだろう。清里のペンション群や土産物屋の景観を見るのと、同じような感覚だろうか。景観の造るその土地のイメージというのも観光地にとっては大事な要素だ。

そんな所を抜けていき、左折して碓氷バイパスに入る。ここまで長野から穏やかな風景、最後は軽井沢のリゾート地と来たわけだが、ここからは舞台装置の如く景色が急変する。
道が山越えのようになり、徐々にカーブし始めてくる。一気に視界が開け、近傍の山々が車窓に広がるようになるとつづら折りに入って高度を下げて行く。降り始めは周辺に広がる山々よりこちらの方が高いようで、さながら航空機から見下ろしているような感覚で迫力がある。しかし見ているとどこも岩肌が露出し、切り立った崖のような山ばかりだ。周辺の景色とは似ても似つかぬほどの厳しい地形である。また細かいことを書いては恐縮だが「峠」とは、ある特定の道や鉄道路線などが山を越える所を指すというような意味の言葉である。「碓氷峠」というのは本来、中山道の通過する峠のことを言う(この言葉が重きを置くのは、どちらかというと地形というよりも通過する道の方にあるというべきだろう)ので、このバスが通る碓氷バイパスを指して言うのは、あまり適切でないかもしれない。だが、実感としては一体含めて「碓氷峠」と言って良い程である。それほど「碓氷峠」というとただの峠ではなく、この一帯の厳しい地形も総称して言うくらいのインパクトがあると思う。どんなルート、どんな交通機関であってもここを越えれば「碓氷峠を越えた!」と口にしたくなるはずだ。

絵になる風景が続く。

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だいぶ降りてきて、まもなく横川駅という所。もの凄く高い橋をくぐるが、これは上信越自動車道。ということで鉄道は新幹線で、道路も高速道路でこの碓氷峠を越えることができる。日本の交通網で最大の難所とされながら、今や陸路の高速な交通手段が揃っている状態なのが分かる。「まったく無茶な」という気もするのだが、裏を返せばそれだけこの信越(中山道)ルートが重要交通網であり、碓氷峠を越えることが日本の交通史における一つの課題とされてきたと言っても良かろう。なにせ明治年代からこの信越線ルートは重要視され、東京と関西を結ぶルートにしても今定着している東海道ルートより、敢えてこの険しいルートに注目が向いていた。防衛の観点で東海道ルートはほぼ全体的に海に面していてリスクも大きいと考えられるが、こちらのルートであれば心配も少ないからである。
在来線の廃止は確かに痛みもあったが、この区間があるために東京対長野の輸送の改善が困難になっていたというのも、また事実なのだろう。

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横川駅近くまできた。だいぶ降りて来てさっき見下ろしていた周囲の山も、見上げる程になった。とてつもない高低差である。しかし山の形はどれも特徴が有り、厳しくも面白い。

30分ばかりの峠の旅、これだけでも見応えがあった。横川〜軽井沢間のたった一駅、ここだけのためにどれだけの苦労があったか、実に良く分かる景色であった。かつては急勾配の線路を車輪だけで走行するのが難しく、アプト式といってもう一本、歯のついたレール(ラックレール)を敷いて車両にも歯車をつけ、噛み合わせることで昇り降りしていた。やがて路線が新線に付け替えられて、普通の鉄道として車輪だけで昇り降りできるようになったが、それでも前にも書いた通り、勾配対策で機関車の連結(登る方は押し上げ、降りる方はブレーキ強化として)が必須であった。両駅間、11.2kmを走るのに下り列車(峠を登る方)17分、上り列車(降りる方)は24分を要したとのことである。

しなの鉄道(5)

あまり険しさこそ感じられないが、このあたりでまた町を離れていく。車窓左手には浅間山が見えてくる。間近で見ることはほとんどなかったが、火山というだけに特徴的な山体をしている。

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次の信濃追分にはホームにも「浅間山」の表示がある。

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雨が降っていて、北はまだ日が射しているが南は真っ暗だ。大丈夫だろうか・・・。
住宅が増えてきて、中軽井沢。軽井沢のリゾート地にも近づいてきた感じだ。木々がそれっぽくなってきて、各々の建物の間隔も広い気がする。
上田で別れた新幹線と再会、右隣に寄り添ってくる。いよいよ終点、軽井沢である。
ここから先、かつての信越本線は碓氷峠越えとなる。上り下りとも厳しい勾配となるため自力で走る訳に行かず、峠越えとなる軽井沢〜横川間だけは補助の機関 車が必ず連結された。今はここから高崎、東京へのアクセスは新幹線が機能を担い、旧信越本線の鉄路は完全にここで途切れている。

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昔ながらの構内。よく見ると写真右に腕木式の信号が。

 

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駅には軽井沢駅舎記念館が併設されており、かつて碓氷峠越えで活躍した機関車が保存されている。今回はそこまで時間がないので外から申し訳程度に見るしかなかった。頼りになる助っ人、ロクサンことEF63形電気機関車。碓氷峠越えのためにEF62形と共に開発、投入された機関車。これがなければ、どの列車もここを通過できなかった。

 

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こちらは10000形、同じく碓氷峠用だが1912年の導入。ドイツから輸入された海外生まれの機関車。またこちらはアプト式時代のものだった。

 

 

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新幹線ホームを望む。明治時代から機関車補助による連結で昇り降りしていたここにも新幹線が通るとは。

 

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群馬側を見る。線路は無惨にも途切れている。いつでも再会出来そうな雰囲気だが。

 

峠を越えた横川〜高崎間はJRが信越本線として今も営業を続けており、現在途切れている横川駅まではJRの連絡バスが結んでいる。途切れた碓氷峠区間では新線に切り替わる前の線路が遊歩道「アプトの道」として残されており、めがね橋へも行くことができるが、またの機会にする。とりあえず今回は碓氷峠をまともに訪れたのが初めてであったし、連絡バスで碓氷峠を味わってみたいと思う。

しなの鉄道(4)

小諸で始発の軽井沢行きに乗り換える。しかし終点軽井沢までは5駅しかないので、もうすぐラストという感じである。

 

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小諸を出るとしばらくの間、南側にぴったり小海線が並走する。同線のハイブリッド車キハE200形が先行して発車したが、すぐに追いつく。1両で走行していたので、あっけなく追い抜いてしまった。

 

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小海線には東小諸、乙女の2駅はあるが、しなの鉄道に駅はない。そのため並走しているとはいえ、一旦小諸に出て引き返すような形でないと乗り換えができない。小諸市内とはいえ、いずれもホームの小さいちょっと寂しい感じの駅。乗客もそう多くはないのだろう。

 

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小海線は乙女の先で右カーブして分かれて行く。分かれて少し走ると、こちらもようやく小諸を出て最初の駅となる平原に着く。ホームに面してかつての貨車と思われるものを流用した駅舎がある。ちょっとくたびれ感があるが。

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終点軽井沢の先にはいよいよ碓氷峠が待っている。ほんの10キロほどの間に、500m程の高低差を一気に上り下りする大変険しい峠で、古くから交通の難所として立ちはだかってきたところである。軽井沢まであと3、4駅ほどの所まできているということで、碓氷峠も着実に近づいているのだが、実の所車窓を見ている限り、峠越えするような雰囲気がちっともない。
普通峠越えが控えているなら、山を分け入って右に左にカーブし、トンネルも増えたりと、それなりの空気が感じられるようになってくる。しかしこの路線の場合、車窓に山が近づいたり遠ざかったりはするものの、長野から割と長閑な風景が続いており、山越えの厳しさは少しも感じられない。逆に群馬県から軽井沢へは、こんな所を本当に鉄道が通ったのかといわんばかり、いろは坂といい勝負とでも言えそうな高低差を登ってくることになるが、ここまで来てしまえばもはや、そんな峠があったことも忘れてしまいそうな程である。

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しかしここまでそんな中を走っていただけなのに、列車は驚くほど高く登ってきていた。次の御代田駅にあった標高の表示を見て、仰天する。さっき上田で見た時の標高は415m、御代田の標高は820.43m、いつのまに、そんなに登ったのか!この高さであれば、あの碓氷峠の標高の高低差を納得せざるを得ない訳だが、気づかぬ間に私はそんな高さにまで、連れて来られていたのだった。

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しなの鉄道(3)

上田を出て再び新幹線と分かれる。この先新幹線はこちらの終点である軽井沢まで接続せず、また離れてしまう。新幹線は軽井沢まで行く途中に佐久平があるが、そこでの接続は小諸から分かれる小海線が担っている。

市街地を少し離れると信濃国分寺、駅のすぐそばに国分寺史跡公園と資料館があり、国道18号を挟んだ反対側に当の国分寺がある。
国道と並行して走る。車が多い。空は雲行きが怪しくなってきた。
大屋を過ぎる。上田市内は結構栄えていて、家並みが絶えることがない。
東御(とうみ)市に入って、田中(たなか)。良く見かける姓と同じ駅名である。他に山田駅がいくつかの路線にあります(というか東北にJR山田線という路線もあるな)。佐藤駅とか鈴木駅は、さすがにないかな。あ、京急大師線に鈴木町駅というのはあるな。全くそんなの探してどうすんだ?ちなみに駅の読みは姓とは違って、「た」にアクセントを置くようである。車内の放送は自動だったが、「た」にアクセントが来ていた。
ここに北国街道の田中宿があったことから、それに由来しているのだろう。ホームには田中宿と並んでこのあたりの宿場であった、海野宿の看板が立っている。海野宿は駅からだいぶ西へ行った所、大屋駅との間あたりに位置するが、かつての宿場のたたずまいが今もそのまま残されているようだ。田中宿は後に大火で多くの部分を消失してしまい、その後宿場機能を失ったという。しかし信越本線を通すとなった際に海野宿に駅を設置する計画が地元の反対に遭い、田中宿の方に駅を設置することになった。田中宿は宿場町の面影は全く失われてしまったようだがその後は製紙業で発展、鉄道の利便もあって新たな発展につながったようである。今は2004年に誕生した東御市の中心になっている(元は東部町、2004年に北御牧村と合併し東御市となる)。
駅は中心駅らしく立派で、駅前もロータリーのようになっている。信越本線時代は特急『あさま』が一部停車していたようだ。

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滋野を過ぎて小諸市に入り、小諸に到着。この先も路線は続くが、この列車は小諸止まりなので一旦乗り換えである。乗車率の違いを調整する意味もあるのか、全線通しの列車は少なく大半は小諸で乗り換えとなっている。また小諸〜軽井沢間は本数がやや少なめになっており、小諸行きでも列車によっては軽井沢行きに接続しておらず長時間待たされることがある。まあ全線通して見ても1時間に1、2本(約30分〜1時間毎)は運転されているので、そう極端に不便になる箇所はないが。

小海線との乗換駅でもある。前は同じJRだったし、本線と支線のような関係だったのに本線の方が第三セクターになってしまい、支線がJRのまま残るというなんだか妙な形態になっている。
接続駅とあって構内は比較的広い。向かい側に停車している115系の軽井沢行きに乗り換える。今度は3両編成だが、この辺りでは割と空いているようなので、もうあまり関係ないか。

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昔ながらの駅。特急停車駅としての貫禄もある。2、3両編成の普通列車ばかりなのがもったいないように思える程だ。

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しなの鉄道(2)

屋代を過ぎると、また新駅の千曲を過ぎて、戸倉となる。しなの鉄道になってからちょこちょこ新駅が出来ている。信越本線時代は駅間が長かったが、その分多少短くなっているし、駅のなかった地域の利便性向上につながっている。ちなみに千曲駅は2009年開業、現時点ではしなの鉄道で最も新しい駅である。

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車窓の右側はかなり山が迫っており、ほぼ一面緑の車窓が展開する。

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少し山が後退して、街になってくると坂城(さかき)。坂城町の中心駅である。駅舎は昔ながらのガチの木造駅舎、いかにも年代物のたたずまいである。こういう所はやはり歴史ある信越本線なのだと、強く実感させられるところである。

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坂城町中心部。遠くを橋で横断しているのは上信越自動車道。

 

新駅のテクノさかきを過ぎる。テクノという名前が示すのかこのあたりは工場が多いようでちょっとした工業地域になっているようだ。右手に国道18号が寄り添って進む。ロードサイドの店舗が目立ち、交通量も多い。ほどなく上田市に入る。標高415mとある。長野市が300m台だったはずだから、少しずつ登っているのだろう。この先軽井沢辺りの標高が最も高く、そこからあの碓氷峠で横川へと降りて行くはずである。

次は西上田、ここも信越本線時代からの駅であるため、設備は古い。やや広めの造りだが、人がほとんどおらず設備の古さも相まって寂しいローカル駅の印象を醸し出している。歴史の古い路線を引き継いだ上にその合間に新駅が開設されているということで、真新しいごく普通の駅があると思ったら、時代がかった駅が突然現れたりとギャップが実に激しい。それがちょっと面白いところでもあるが。

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ホームの植え込みに茂り咲く花。あまり元気がないような・・・。

 

西上田を過ぎると長野新幹線が合流し、上田に到着する。新幹線も通る上田市とあって乗降は多く、一気に車内が入れ替わった。先に屋代線跡と合流するあたりで見たのを最後に、ずっとここまで姿が見えず、存在も忘れかけていたほどだ。上田の手前までずっとトンネルを通過しているためである。直線的な線路で走る分、長いトンネルばかりになるのは山間部を行く新幹線の宿命である。
上田駅は新幹線と上田交通別所線が接続しているが、いずれも高架駅でしなの鉄道のみ地上である。他の路線が高架になり挟まれているような状態のためちょっと圧迫感があるし、他の路線の様子をほとんど窺い知ることが出来ず、あまり面白くない。どうせならしなの鉄道も一緒に高架にすればすっきりした上に色々見れたのに、と思う。まあ、欲張りな一ファンの戯言であるが。

しなの鉄道(1)

長野へ戻り、しなの鉄道に乗ることにする。
元の信越本線だが、1997年に長野新幹線開業に当たって再編、軽井沢〜篠ノ井間が経営分離され第三セクターとなった路線である。篠ノ井〜長野間は篠ノ井線列車が乗り入れることもあってJRが引き続き信越本線として運営、しなの鉄道は長野まで乗り入れという形をとっている。
長野駅3番線に停車中の列車に乗り込む。115系ワンマン列車、通常3両編成が多いが、今回は短い2両編成。発車時刻近くで乗ったこともあってか列車は結構混んでいる。座席はボックス席だが、全部埋まっていたので通路に立つが、通路も結構埋まってきたほど。発車直前に飯山線の列車が着いて、また少し乗り換えの乗客が増える。まあ、進んで行くうちに空いて行くのだろうが。通常トイレ付きの115系だが、この車両にはトイレも着いていないそうだ。大都市長野へ乗り入れるのなら2両編成はちょっとと思う。もっとも、長野を離れるにつれて乗客は降りて行き、篠ノ井の一つ手前の今井から座れるほどになったが。地方都市では混雑といってもまあこれくらいで済むのだろう。

篠ノ井で篠ノ井線と分かれ、長野新幹線と並行しながら進んで行く。日本最長の川である千曲川(信濃川)を渡り、長野自動車道をくぐると屋代高校前。しなの鉄道になってから新設された駅で、真新しい駅設備である。
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この先、先に渡った千曲川とは並行しながら進む。右手には山が迫り、そこをまた上信越自動車道が長いトンネルをくぐりながら並行する。目視ではあまりよく見えないが、地図で見ると川向こうには、実は先に分岐したはずの篠ノ井線が少し離れて並行しているのが分かる。ちょうど、先ほど姨捨辺りから見下ろした所を下から逆に進んでいるような感じになる。確かにこのあたりは平地ではあるのだが、やはり山がちな地形の間にある盆地であり、非常に限られた場所であるということが分かる。ほぼ千曲川沿いに沿っており、長年の川の流れによって造られたであろうということが推測できる。
途中から長野電鉄屋代線の線路跡が合流し、並走すると屋代駅。長らく乗換駅として続いたほか、しなの鉄道が信越本線だった時代は上野発の国鉄急行列車が乗り入れた時代もあった。末期は1時間半に1本というペースでの運行となってしまい、増便やパークアンドライドなど各種社会実験などの取り組みもあったが、残念ながら2012年4月1日をもって屋代線は全線廃止となってしまった。2013年5月現在、線路跡はほとんど撤去が済んでいるようだ。

 

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長野新幹線(奥)と、手前を横切って合流してくる長電屋代線跡。

 

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廃線跡と並行して進む。しばらくの間、本当にぴったり並行していて何かに流用できそうな勢いだが、まあそれはないだろう。こちらも旧信越本線だったということで全線複線だし、特急の走らない今はなおさら事足りている。

 

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しばらく進むと屋代駅。線路は撤去されたが、架線柱はまだ残っていた。ちなみに撮れなかったがしなの鉄道側では湘南色に復刻された169系が隣に停車していた。

長野駅を歩く

『しなの』で長野駅に到着。長野市内を散策しながら善光寺へ行ってみることにする。
だがちょっとその前に、長野駅に初めて降り立ったので、まずは構内をぶらぶらしてみるとしよう。

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駅名票。標準タイプのものの下に、善光寺の写真の入ったものがある。一部の駅では観光客向けか、ご当地タイプ(?)の看板がある。

 

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構内の様子。ターミナル駅らしく広々とはしているが、ホーム数は前よりも減らされているという。長野新幹線開業に伴う、在来線の系統縮小の絡みもあるだろう。写真では奥が2番線、手前が4番線。1番線は廃止されて現存しない。手前の4番線は大胆にも、ホームの途中で線路がぶった切れている。

 

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4番線は飯山線ホーム。途中豊野まで信越本線を走り、そこから飯山、野沢温泉、十日町などを経て越後川口へ向かう。

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4番線の反対側には3番線があり、しなの鉄道が発着する。

 

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階段を上がって駅舎へ。改札を出ると自由通路になっている。ドーム型でガラス張りの天井は開放感があるものの、全体的に見て長野駅としての個性といえばやっぱり弱い。似たようなものとして品川駅を連想してしまう。人口30万規模の県下最大都市の駅という感じはするものの、ありふれた都会の駅といった印象である。事実、元々は仏閣のような駅舎だっただけに、そちらの復活を求める声は今も大きい。通路までとは言わないが、なんとかならないものか。

 

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隣は新幹線のりば

 

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新幹線のりばの横にはこんなものが。善光寺まで十八丁の道しるべ。約2キロである。それにしても「長野駅だ!」と明確に心に訴えてくるものは、残念ながら今はどうにもこれくらいしかない。

 

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さて、そろそろ外に出よう。

 

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善光寺口から見た長野駅

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長野駅は地元の私鉄、長野電鉄(長電)のターミナルでもある。長野駅から3つ目の善光寺下駅までは地下を走っていることから、地元では地下鉄とも呼ばれている。乗ってきた『しなの』の車内アナウンスでも「長野電鉄の乗り換えは外に出て地下鉄乗り場へ」という感じでアナウンスされていた。長野電鉄は全体的に見れば、須坂、信州中野を通って志賀高原近くの湯田中へと向かう、大部分単線のローカル路線。観光需要もあって特急列車も運行され、かつては独特のカラーリングの2000系が特急列車で活躍、のどかな風景の中を同車が行くシーンがよく見られたものだ。子供の頃に特急列車の本で初めて触れたが、その時もそんなシーンだった。むろん行ったこともなく事情を全く知らなかったので、ごく普通のローカル私鉄という印象であった。後になって長野駅付近が実は地下鉄になっていると知って(失礼)驚くことになる。
元々は地上だったが中心市街地に数多くの踏切が有ったということで、長野から善光寺下の先までの約2キロが地下化されたものである。距離が短く駅数も少ないが、途中に駅もありまとまった区間が地下鉄となっている都市は今も長野市だけで、それだけ画期的なことだったと言える。ちなみに蛇足ながら、日本初の地下鉄は昭和2年に東京の銀座線(上野〜浅草間)が開業したのが始まりと言われているが、「地下に一つだけでも駅が有れば良い」ということにすると、大正14年に宮城電気鉄道(今のJR仙石線)がターミナルとして仙台駅を地下駅で開業させたのが始まりだそうである(その後仙石線になったがホームは地上になりかつての地下駅は通路に転用。今の仙石線ホームは全く別の場所に新しい地下駅で営業)。日本の鉄道史もひもといてみると意外な側面が色々あって興味深い。
項を改めて触れるが残念なことに2012年、須坂〜屋代間を結んでいた屋代線が廃止された。各種社会実験が色々行われていただけに少し期待もと思われたが、永続的な維持は難しかったか。長野電鉄では過去に信州中野〜木島間の木島線もあり、結構な路線網があったがそちらも廃止されている。今は長野線一本(33.2キロ)のみとなってしまったが、新型特急列車が走り出したことだし、今後も末永く続いて欲しい。
またまたつい長文になってしまったことご容赦願いたい。今回は残念ながら都合により乗ることは叶わなかったものの、いずれの機会には訪問してルポとして書かせてもらおうと思う。

 

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駅前から伸びる通りにある善光寺参道の灯籠。ここから1.8キロ。今回はバスで向かいます。