東急砧線跡

かつて、渋谷を起点に二子玉川、溝ノ口、下高井戸と路線を延ばしていた路面電車の東急玉川線。二子玉川方面へ向かう路線は地下鉄の新玉川線(現:田園都市線)として後に生まれ変わり、三軒茶屋~下高井戸間が「世田谷線」として残るのみなのは承知の通りである。上記の区間が特に有名ではあるが、他にも二子玉川を起点に西へ向かう砧線なる路線があったことも忘れてはならないだろう。
砧線は二子玉川を起点として、ちょうど野川に沿うように西へ向かい、砧本村まで2.2キロ、途中3駅程の短い路線であった。今はバスがこの一帯の輸送手段となっているが、路線が短いので徒歩や自転車で行ける範囲も多い。
二子玉川駅付近の一部区間が遊歩道になっていて、それ以外の区間もほとんど道路化されているのでこちらもほぼ全線辿ることができる(ちょうど代替交通手段のような感じで今も東急バスが走っている)。設備はほとんど残されていないが、遊歩道区間を中心に看板やレリーフ等が設置されており往時を偲ぶことができる。今回は終点の砧本村から逆に辿っている。

砧本村駅付近
駒沢大学玉川校舎横あたりに位置する。
現在も東急バスの玉06系統(二子玉川起点)の終点になっていて、ちょっと古びたバスターミナルがあり、鉄道施設を示すであろう柵が今も残っている。ここから細い道が二子玉川駅を目指して続いていく。

IMG_1470

 

 

 

 

ちょっといくと右から道が合流してくる。右への分かれ道を行くとすぐ多摩川。
このあたりは野川と多摩川に挟まれたあまり広くない地域、水害でもあれば大変そうである。

IMG_1477

 

 

大蔵駅付近
東京都市大学総合グラウンドの横を通る。
このあたりにかつて大蔵駅があったというが、跡らしきものや説明が一切ないようなので正確な位置はちょっとわからない。この先は少し左カーブしながら進む。

IMG_1481

 

 

 

伊勢宮河原駅付近
左カーブを過ぎると左に分かれる道があり、三角形になっている箇所には公園がある。
伊勢宮河原という駅がこのあたりにあったらしいのだが、ここも特に跡を示すものが残されていない。
そればかりか、資料的にも駅の存在を示すものがほとんど残っておらず、詳細についてはあまり良く分かっていない駅である。一応調査により駅が存在したということは事実らしいという程度である。

IMG_1479
ちなみにこの付近では多摩川へ向かう支線が伸びていたらしい。
砧線は旅客輸送のみでなく、多摩川の砂利を輸送する貨物輸送も行っていた。
下河原線もそうだが、多摩川ではかつて砂利の採取が行われていたことから
それを輸送するために造られた路線がやはり集まっている。
ちなみに西武多摩川線や京王相模原線は今も営業しているが、それらも元々は砂利の輸送が主目的であった。
京王相模原線はかつて、京王多摩川までのわずか一駅の短い支線だったのが、多摩ニュータウン開発に伴って昭和40年代から延長されて今の形になったものである。
当初は西武多摩川線も、是政から多摩川を越えて、多摩ニュータウンへアクセスするルートの一つとして候補に挙がっていたようだが、唯一乗り換えが出来る武蔵境が国鉄中央線との接続ということで、ただでさえ酷い同線の混雑にさらに拍車をかける恐れが有ったため断念となったようだ。
ともあれ、ニュータウンアクセスの通勤路線へと大変貌を遂げた路線、特に大きな変化もなく現在に至っている路線、そしてこうして廃線になってしまった路線と、立地により各線その後の運命が大きく変わったということだ。

野川と吉沢駅付近
公園を過ぎて少し行くと吉沢橋で野川を渡る。橋の付近だけ道幅が広くなり片側一車線になっている。
ここまで砧線跡を示すものがほとんどなかったが、この橋の下流側の歩道でようやく同線跡を示す説明に遭遇、橋の欄干にはレリーフがあった。
そういえば橋に入る所、名前のついている部分には車輪をかたどったと思われるものもあった。
ちなみに橋を渡るとほどなく多摩堤通りと交差するが、その辺りに吉沢駅があったらしい。

 

IMG_1482

IMG_1483

IMG_1485

IMG_1486

IMG_1484

 

多摩堤通りと交差する。この先道路は大蔵通りとして砧公園方面へ向かうが、砧線跡は交差点を斜めに入って二子玉川駅へ向かう。ここからは遊歩道になる。

IMG_1487

IMG_1488

 

 

遊歩道に入ると右にカーブする。こんなカーブも線路跡らしい。

IMG_1489

 

 

少し行くと左に車道が寄り添ってくる。遊歩道にはなったがこのあたりまではあまり廃線跡らしいものがない。

IMG_1492

 

 

この先には看板やオブジェ等廃線跡らしいものが残されている。
コンビニ前の柵はレールを利用したもの。
マンホールもよく見ると路面電車の絵が入っている。

IMG_1498

IMG_1499

IMG_1500

IMG_1501

 

 

中耕地駅跡
だんだん駅に近づいて賑やかになって、人通りもちょっと増えてきた。
二子玉川商店会と交差すると中耕地駅跡。ここは駅を示す看板が残されていた。

IMG_1508

IMG_1507

 

 

 

駅を過ぎると多摩川を越える国道246号線の巨大な高架橋が迫る。二子玉川駅はもうすぐだ。

IMG_1510

 

 

高架橋の下辺りで歩道も終る。デカいケヤキが。

IMG_1512

 

その先少し行くと玉川通り、線路跡だと明確に分かる道はここで途切れている。
この先すぐに田園都市線があるので、線路はこの先で右カーブを描くはずだが、そのような道は存在しないようで、現時点で跡をはっきり辿れるのはこの辺りまでのようだ。

IMG_1513

IMG_1514

 

 

旧国鉄下河原線跡

数多くの鉄道路線網の中で、種々の事情により残念ながら廃止になってしまった路線の数々。そもそも用がなくなったものということで、大概は他の構造物や道路用地などに転用されて跡形もなくなってしまい、ほんの一部だけでも何らかの形で整備されて残っていたら、実に運が良いというべきものである。時には沿線の自治体の手で、遊歩道として立派に整備され、設備の一部がオブジェのように残されていることもあるが、そんな例は本当に数少ない。
府中市内にある遊歩道、下河原緑道。府中駅近くの国道20号線(甲州街道)から南下して多摩川付近(下河原)や府中競馬場を目指すこの遊歩道はかつての国鉄中央線の支線、通称下河原線の跡を府中市が整備したものである。都内とあって気軽に訪れることが出来る上、そもそも鉄道路線の廃線自体が都内には比較的少ない(都電とか玉電とかはほとんどなくなりましたが、まあ軌道線でほとんどが道路上ですからね・・・)こともあって、なかなか貴重なスポットではないかと思う。京王線の府中駅、JRの府中本町駅から近いのと、周囲に府中市郷土の森や大国魂神社などのスポットも点在しているので、それらを含めて散歩するのも楽しみの一つである。
歴史をたどると明治43年に東京砂利鉄道として、国分寺駅を起点に多摩川沿いの貨物駅である下河原へと向かう路線が開業した。砂利鉄道というだけに多摩川で採取された砂利を輸送するのが主目的であったが、当時はこんな形で関東を流れる川で砂利の採取が行われ、主要な川には大概貨物の鉄道が敷かれていた。目立った廃線としては相模川に通じていた相模線の支線なんかもそうである。後、大正9年に国有化されて中央線の支線に編入、昭和9年には途中で分岐して東京競馬場へ向かう線が出来て、旅客輸送も行うようになった。
しかし戦後、この地に武蔵野線が新たに開業することになり、府中本町~西国分寺間では路線が重複することになった。まず昭和48年4月1日に国分寺~東京競馬場前間の旅客輸送が武蔵野線開業と引き換えに廃止、西国分寺から北府中の先までは、途中の北府中駅も含めて同線にそのまま転用された。一方下河原へ向かう貨物支線は武蔵野線に編入され、北府中から分岐する形でしばらく残ったが、こちらも昭和51年に廃止され、ついに路線は姿を消した。その後、この分岐する線路跡の大部分が遊歩道として整備された。
今回は府中本町駅をスタートに遊歩道の全てを辿ってみることにした。

腹ごしらえをしたらいざ出発。まずは府中街道を少し南へと歩き、東京競馬場の入口を過ぎる。入口を少し過ぎた所で小道があり右折すると遊歩道にと入る。かつての東京競馬場前駅へ来ていた路線の部分だ。
IMG_4085

 

 

今でこそ東京競馬場というと京王の府中競馬正門前駅が思い浮かぶが、かつては国鉄も競馬場までやってきていたのだ。子供の頃読んだ古い本には中央線の駅として東京競馬場前駅が書かれていたが、当時はそんな事情をもちろん知らなかったので「何で中央線がそんな所に来てるんだ、競馬場といえば京王線だろう」と、真面目に思っていたのだった。
JR南武線の線路を地下道でくぐる。ちょうど終点の府中本町に着いた武蔵野線の電車が、折り返しのために引き上げ線で待機していた。

IMG_4086

IMG_4087

 

 

 

くぐると小道だったのが、並木を交えたちょっと大掛かりな道になる。自転車と歩行者とでレーンがしっかり分けられているようだ。ここまで整備されているのは、遊歩道としても整備されている方ではないだろうか。府中本町駅に近いこともあって、道を通る人自体が結構多いようである。少し歩いていくとオブジェが有った。

IMG_4089

 

 

 

電車ごっこのオブジェ。説明を見ると「軌道敷の跡地が市民の憩いの場、子供達の遊び場となった事を記念し…」とあり、線路の跡地であるということが分かる。電車ごっこは子供の憧れ。線路跡を利用したこんな長い遊歩道で電車ごっこなんかしたらさぞのびのびできて楽しいことだろう、と大人でもふと思ってしまいそうである。

IMG_4090

IMG_4092

IMG_4091

 

 

 

オブジェを過ぎるとまっすぐだった道が徐々に右カーブし始める。こんなカーブを描く辺りはいかにも鉄道廃線跡という感じがしてくる。少し行くと左からもう一本の遊歩道が寄り添ってきて合流する。そちらの道はかつての下河原駅へ繋がっていた線路の跡で、ここがちょうどその分岐のポイントがあったということになる。残念ながらここでレールなどの鉄道の設備は何も残されていないが、道の形状からして面影は十分感じられるだろう。

IMG_4097

IMG_4100

 

 

 

ここで一旦折り返して、先ほど合流して来たもう一本の道を下河原へ向けて歩くことにしよう。歩いていくとちょっとした公園があって花が植えられている。

IMG_4102

IMG_4103

 

 

 

その先では中央道をくぐる。中央道の最初の開通は昭和42年、調布〜八王子間だったということで、この辺りが一番最初に開通した所である。その当時は下河原線がバリバリ現役だったことになる。

IMG_4108

IMG_4109

 

 

 

中央道を過ぎると駅から少し離れ、多摩川も近づいてくることもあって景色が変わってくる。建物が少なくなり周囲は畑が中心になる。緑道もあるようだ。ちょっと進むと畑が増えるのはこの辺りの特徴的な景観だろう。「のほほん」とした気分に、少しはなれるんじゃないだろうか。

IMG_4110

IMG_4113

IMG_4112

 

 

 

右カーブして府中市郷土の森に沿って進む。

IMG_4118

IMG_4121

 

 

 

曲がりきって少し進むと普通の道路の歩道に合流して遊歩道は終わりである。この先前方に広大な敷地が有り(今は高齢者関連の施設を建設中のようだ)、この辺りがかつての下河原駅が有った所のようである。

IMG_4124

IMG_4125

 

 

 

歩いて来た道を戻り、甲州街道方面へと向かう。先の合流地点まで戻ってさらに進んでいく。
県道16号を横断歩道で横断する。ちょっと左へ行くと府中税務署。

IMG_4134

IMG_4133

IMG_4132

 

 

 

渡ると上り坂になっていく。南武線を跨線橋で越えるためだ。貨物列車がちょうど通りかかった。

IMG_4137

IMG_4140

 

 

 

木々とベンチが有って休憩所っぽくなっている。緑道の地図も。

IMG_4145

IMG_4146

 

 

 

旧甲州街道を渡る。

IMG_4147

IMG_4148

 

 

 

だいぶ終わりに近づいて来た。というか起点の近くというべきか。
この辺りまで来ると設備の一部が少し残されていて、レールなども残っている。

IMG_4151
IMG_4152

 

 

 

道路を横断するわずかに残ったレール。

IMG_4155

IMG_4154

 

 

 

高架の京王線をくぐる。
平成に入るまで府中は地上駅だったが、ここだけは下河原線を越えなくてはいけないので古くから立体交差であった。幼い頃は府中駅がまだ高架化される前、分倍河原へ向けて発車すると線路はすぐに上り坂で盛り土になり、府中街道と下河原線の跡を乗り越えて地上に降りていた。

IMG_4161

 

 

 

京王線と交差するとすぐに国道20号甲州街道、その先に見える広場が遊歩道の起点。
ここだけは横断歩道がないので一旦迂回、府中街道の横断歩道を渡る。
甲州街道は相変わらず交通量が多い。

IMG_4166

 

 

 

下河原線広場公園に出る。だいぶ手が入っているような感じはするがレールや踏切の跡が残っていてそれなりに感じは味わえると思う。

公園入口

IMG_4167

IMG_4168

IMG_4170

 

 

 

中央には歴史の説明とホームのオブジェがある。(但しここが駅の跡だった訳ではない)

IMG_4171

IMG_4172

IMG_4174

 

跡地として残されているのはここまで。かつての下河原線はここから北に少し行った所でトンネルを走ってきた武蔵野線に合流する。