東武線快速列車の旅(5)

さて、発車時刻が近づいてきたので車内へ戻るとしよう。ここからは会津鉄道に入る。先にも書いた通り旧国鉄会津線だった路線だが、一部電化された今ではすっかり東武車両の天下になっている(一部会津鉄道の気動車による運行もある)。なんか天と地がひっくり返ったような感じがしなくもない。まあ今ではJRとも特急同士が相互乗り入れするようになったので、新宿や池袋で東武特急スペーシアを見ることができたりしますけどね。。。
ちなみに余談ではあるが、元の国鉄会津線が会津若松を起点に会津滝ノ原(現会津高原尾瀬口)へ向かうのが下りとなっていたことから、この路線も会津若松から会津高原尾瀬口へ向かうのが下り、逆が上りとされている。元々は会津滝ノ原が行き止まりの駅で他の路線と接続がなかったから、東京から列車で来るには必ず会津若松方面から、Uターンするように会津線に入るしかなかった。その後野岩鉄道が出来たため実情としては逆転したわけだが、呼称は逆になることなく今もそのままになっている。まあ車両の向きとか配列とかもおそらく上り下りで決まっているのだろうから、今更変えるにも難しいのかもしれない。
相変わらずの山岳路線が続くが、基本的に阿賀野川の上流である荒海川、阿賀川に沿って走っているので、川沿いの開けた所を走り景色の良い所が多い。

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会津高原から二つ行くと会津山村道場という駅がある。元々はなかった駅で2001年になって新たに開業した駅である。「山村道場」とはかなり気になる名前だが、農業の伝習施設として長く続いてきた所で、2001年にはキャンプ場やコテージ等を備えた野外活動の総合的な施設として再オープンしている。
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夏の盛りの午後、遠くに積乱雲が見える。
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長旅を終えて列車は終着駅、会津田島に到着。浅草から190.7kmを3時間半程かけて走破した。東武では最長、私鉄でも日本屈指の長距離列車だ(惜しいのだが日本一は近鉄の京伊特急)。別に自分が動かしているでもないのに、妙な達成感を覚える。人は何かしら大きいものとか長いものとかに惹かれ、それを達成することにこの上ない達成感を覚えるが、旅好きの者にとって長距離の列車旅というのはそういうものを感じられるようだ。
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さてここで感慨に耽っていてもしかたないし、達成したとて別に賞ももらえないので(笑)、駅探索でもするか。そうそう、時々田舎の駅などでは良く有るが、次の列車が来るまで時間がある時はホームに滞在できず、一旦外の待合室で待つように案内される。列車の来る数分前にならないと改札を行わない。
会津田島駅は電化区間の終点、ここから会津若松までは非電化となり気動車による運行となる。そんなこともあって構内は広く、車両基地も併設されている。
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駅前の様子。このあたりは田島町の中心地(2006年以降は合併し南会津町、ちょうど平成の大合併があちこちで有った頃だったな。ああややこしい)。駅も大きく、周辺も町になっている。
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国道121号線。山間部の開けた所に町が栄えている。関東に住む者にとってはちょっと秩父あたりを連想する。
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そして駅前広場にはなんとSLが静態保存されていた!C11-254、かつて会津線を力走していたSLだ。
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能書きも書いてある。なるほど、浅草乗り入れを記念したものだったのか。

 

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4番線発に停車中の会津若松行き(左)と、名古屋鉄道からやってきたキハ8500形「AIZUマウントエクスプレス」(右)。ちなみに筆者は会津鉄道の車両事情にはほとほと疎いが、左右どちらの車両もその後廃車されてしまい現存しないという。8年という歳月はまさに、旅行中に何気なく撮った一枚を貴重な一枚に変えてしまった訳だ。

鉄路はまだ会津若松へと続いている。ここからさらにそちらの方へとへ抜けるべく気動車に乗り換える。改めて思うが今時遠距離は新幹線の時代に、私鉄の快速列車だけで長距離移動出来るというルートはなかなかない。そしてこの旅から5年半後に東日本大震災が襲ってきた。東北新幹線、東北本線など関東と東北を結ぶルートがいくつかある中で、今回乗車したこのルートが比較的被害が少なく、関係者の協力あっていち早く運行再開されてその威力を発揮したのであった。震災という信じがたい出来事の最中であったが、鉄道ネットワークの可能性を改めて感じたし、繋がるというだけでも心に希望が持てるものだ。今後も決して楽ではないだろうが、関東と東北を結ぶ足として頑張っていって欲しいと思う。

東武線快速列車の旅(4)

北千住から東武線の快速列車にひたすら乗って会津田島へ向かう旅。3時間程乗ってはるばる会津高原までやってきた。ここから会津鉄道に入り、あと15キロほど走って終着である。
単線で時間調整の都合があるのか、会津高原では20分近くも停車時間があった。流石に3時間ほどもずっと乗っていて疲れてきたので、少し構内をうろついてみる。

ここから先の会津鉄道は旧国鉄会津線を引き継いだ第三セクターで、ここ会津高原駅も国鉄時代から会津滝ノ原駅として営業していた駅である。また昭和61年に野岩鉄道が開業するまでは会津線の終着駅だったこともあり、構内には当時の遺構が残されている。

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乗ってきた6050系快速

 

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駅全景。元々終点だった所だし、周辺にはスキー場や尾瀬へのアクセス拠点(2006年に会津高原尾瀬口と駅名改称された)でもあるのでそれなりの乗客がいるが、ホームは一面のみ、駅舎への通路は簡素な踏切を渡るだけ。山中のひっそりとしたローカル線の終着駅という印象が残る。

 

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東京寄りの線路脇には転車台が残っていた。ここが終点だった頃の名残だ。

 

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東京側へ伸びる線路(野岩鉄道)。この先は先ほど乗ってきたトンネル続きの山越えルートになる。かつてはこちら側に線路が伸びるとは思いもよらなかったことだろう。碓氷峠もそうだが、そんな難所でも持てる技術を駆使して結んでしまうのが鉄道の凄さ。

 

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会津方面を見る。快速は会津田島止まりだが、会津線自体は会津若松まで続く。

 

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踏切で線路を渡ると、山らしく木の看板を持ったの駅舎がお出迎え。駅というかちょっと観光地の食事処チックな感じもするがまあいいか。山越え路線ということでここの標高は722.5m、日本一の小海線野辺山駅には及ばないものの、結構高い。ちなみにこのルートで最も高い駅は手前の男鹿高原駅で、東京側はそのあたりまで上り勾配が延々と続き、会津側は会津若松へ向けて下るようになっている。

 

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ここの駅名看板は野岩、会津両者のものが混在している。通常、乗り入れの接続駅ではどちらかの会社が駅の管理主体になるのでそちらのデザインになることが多いが、このように両者のものがあるのは珍しい。上写真の屋根からぶら下げた看板は野岩鉄道、下写真のホームに立っている看板は会津鉄道仕様。しかし会津鉄道の方は酷くサビていた。

東武線快速列車の旅(3)

温泉ムードを抜けてさらに進む。スペーシアなど特急列車のほとんどは鬼怒川温泉までで、ここから先は本数が一気に減る。隣の鬼怒川公園は名前の通りで、まだ温泉地の延長のような感じでそこそこ駅も大きいが、乗客は少ない。ちょっと奥まったところに入ってきた感じもする。ちなみに鬼怒川公園駅に向かう車窓に見える旅館の多くは、残念ながら今や廃墟と化している。

その次の新藤原は東武鉄道の終点で、ここから先は野岩鉄道(やがんてつどう)となる。野岩鉄道が出来たのは昭和61年、当駅はそれ以前から終着駅として続いてきたものの、駅周辺にそれといったものがある訳でもなく、肝心の鬼怒川温泉は手前であり特急列車もほとんどがそこまでしか走っていないため、大変失礼ながらも終着駅にしては多分そんなに重要なポストを占めているとはどうにも思えないのだが。。。いまいち存在意義が良く分からない気もするが、東武鬼怒川線自体が買収により東武の路線網に入ったという経緯から、まあ結果としてこうなったということのようだ。

 

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新藤原駅。ちなみにここも2005年時点では藤原町だったが、現在は日光市。ちなみに、PASMOが使える駅の北限でもある。野岩鉄道、会津鉄道ともPASMOは使えないので注意。

 

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野岩鉄道が始まる。早速トンネルだが。

下今市で切り離し4両で来たが、またも2両切り離す。6両編成だった快速はついにたったの2両編成になる。前は会津田島まで4両がほとんどだったはずだが。。。
ここまでトンネルはほとんどなかったが、野岩鉄道に入るととたんにトンネルだらけになる。新藤原を出て早速トンネル。それもトンネル内照明がないのでかぶりついてても前がヘッドライトの範囲くらいしか見えない。
野岩鉄道は国道121号沿いに南会津方面までを結ぶ。途中には龍王峡や川治温泉などこの辺りの観光地が並ぶため、観光需要としては一定の需要が見込めるだろう。しかしほとんどが山間部ということで沿線人口は少なく日常的な需要はというと厳しい。この日はまだ休日だったからかそこそこ人が乗っていたが(それでも2両編成だからだろうが)、平日となるとどうか。最近は沿線に温泉地が多いことをアピールするためか2006年からは『ほっとスパ・ライン』という愛称が付けられている。ちなみに名前の「野岩」とは難しそうな名前だが栃木の旧国名「下野」と福島の旧国名「岩代」から一文字ずつとったもの。

川治温泉、川治湯元あたりは外を走る所もあり、わずかな時間ではあるが橋から見下ろす風景は気持ちがよい。全線単線ではあるが、昭和の後期に造られた路線ということで高規格で造られており、山間の高速道路のように高い高架橋で抜けている所が多い。速度も山岳路線というと激しく蛇行しながらのんびり進むことが多いがこの路線ではほとんど直線なので普通にスピードを出している。しかしまあ乗客数もあまり期待出来ないところによくぞまあこれだけの路線を造ったなという方が先か。ちなみに当初は昭和40年代に国鉄により野岩線として建設されたが、後年の財政事情により一度凍結され第三セクターの野岩鉄道に引き継がれたという経緯を持つ(そもそもは「野岩羽線」といって栃木から会津を経由して山形を結ぶという壮大な計画だったらしい)。線路が高規格でトンネルだらけなのはそのような経緯に由来する。計画そのものは当初の想定通りに行かなかったまでも、会津南部の空白地帯が解消され、東武線に乗り入れて東京と結ばれたということで、開業当初はかなりの乗客だったようだ。それならば快速に限らず特急スペーシアも乗り入れさせれば良かったのにと思うのだが、そこまでは見込めなかったのだろうか。残念ながら臨時も含めて今に至るまで一度も乗り入れた実績はないようだ。一応、2005年2月頃(この旅をする直前くらい)までは浅草からの座席指定急行『南会津』が1日2往復ほどあったが、会津方面からの快速が鬼怒川に乗り入れるのに合わせて廃止された。ここ最近はどうにも対東京の流動が振るわないのか、会津方面から日光・鬼怒川への快速を走らせるなど対会津の運行に力が入っている。

 

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川治温泉付近

最長の葛老山トンネルに入る。湯西川温泉駅はそのトンネル内に駅がある珍しい駅。そんなに照明はないので都会の地下鉄の駅とはちょっと違う。ちなみに湯西川温泉駅といいつつも当の温泉地までは10キロ以上も離れている。
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駅を出てすぐ五十里湖を鉄橋で渡り、またトンネル続きの区間を過ぎていく。中三依(現:中三依温泉)から先は、山の中ではあるものの景色が拝めるようになる。ここまでトンネルだらけであまり面白くなかったので久々という感じがする。
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男鹿高原は最も乗降客の少ない駅で、秘境駅の一つとされている。昭和61年開業なので駅設備自体は比較的奇麗で、無人駅ではあるものの丁寧に屋根や待合所まで完備されている。それに駅を出て少し歩けば国道121号に出るため、そんなに秘境っぽい印象はない。しかし駅周辺は国道沿いも含めて何もないので、全く以て誰もいない。降りてはいないが(たった一人降りてもねぇ・・・)調べてみれば駅前にあるのは野岩鉄道の変電所と緊急時のヘリポートだけ。一応、国道を少し北に行くと横川集落がありお土産センター(営業しているのか?)などもあるらしいが駅利用の可能性といったら本当にそれくらいで、それも集落にバリバリ国道が通っているので、飯田線の秘境駅のようにこの駅がなくなったら即沿線住民の生活に影響する所でもない。駅の必然性がそんなにあるとも思えない。

最後にトドメの長いトンネル、山王トンネルを抜けると福島県に入り会津高原(現:会津高原尾瀬口)に到着。野岩鉄道の終点で、ここから会津鉄道が始まる。しかし電化されているのは会津田島までの少しの区間だけなので、この列車としてはそろそろラストスパートである。ここまででも浅草から既に175キロ、十分長い。
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東武線快速列車の旅(2)

(2005年夏に訪問。その後ダイヤ改正等で大きく変わっているため適宜注を入れていきます)
浅草9時10分発の快速に北千住から乗車、一路会津田島を目指す。「全部乗るって言った割には浅草から乗ってないじゃん!」といきなり突っ込まれそうだが、朝早かったし一番近かったのが北千住だからというだけなので、そこは気になさらずに。まあ、大して変わりませんから!(笑)

東京では屈指の通勤路線である東武伊勢崎線、その東京側の玄関口として名高い北千住駅。この日は休日だったが、いつもは通勤客でごった返していることだろう。実際の起点は浅草であるものの、同駅が山手線や都心とは大きく離れているということから、北千住が実質的なターミナルとなっている。もっとも、そもそもの歴史をたどれば東武は元々北千住が起点で、後から浅草へ路線を延ばしたということである(なので実は0キロポストも浅草ではなく、今も北千住にある)。1階が東武線ホーム、3階が相互乗り入れする日比谷線直通のホームで間の2階にコンコースがある。ターミナルらしいマンモス駅の様相ではあるものの、迷いやすいし乗り換えにも時間がかかる。今回の路線のスタートは、そんなまあある意味典型的というか、本音を言えばあまり見たくないような通勤路線。まあ他の特急列車とかもそうだろうが「本当に会津まで一直線で行けるだろうか」とちょっと思えてくる。しかしそんなのは本当に最初だけ。ひとたび乗ってしまえば後は非日常へ一直線である。

ボックス席の窓側に早速陣取る。行楽期の休日とあって車内はごった返している。座れてよかったようなものだ。通路の反対側はよく見えない。最初の停車駅は春日部。20分ほどノンストップで走る。途中には草加や越谷といったベッドタウンの都市が続き、一つ下の準急以下(2013年現在は、急行以下)ならばそれらの駅にも停車するが、快速は停車しない。春日部とてベッドタウンという所ではあるが、東京からは30キロほど離れることになる。
その後5分ばかり走って東武動物公園に止まり、伊勢崎線から分かれて日光線に入る。北千住を出て25分くらいしか経っていないが、駅間距離が長くなり、景色も駅付近を除いて田畑とローカル色が一気に強くなってくる。
利根川を渡って、埼玉県から群馬県に入り、板倉東洋大前に停車。群馬県板倉町にあり、東武日光線では唯一群馬県にある駅。ちなみにちょっと西へ行くと館林、東北自動車道が通る。この辺まで来ると山もだんだん迫って来て、だいぶ北関東に出てきたという感じになるのではないだろうか。ついでに本数も少なくなるのだが。この辺まで来ると1時間に2、3本くらいしか電車はない。
足尾銅山の公害対策として整備された渡良瀬遊水池付近を通り、藤岡の先で渡良瀬川を渡る。栃木の市街地に近づいてきて新大平下、栃木、新栃木と停車駅が続く。新大平下はすぐ近くのJR両毛線の大平下と並んで太平山(山名は「大」ではなく「太」の字を使うらしい)の最寄り駅。大中寺という寺があり、七不思議で知られている。昔遠足で行ったことがあるがその時はバスだったか。

新栃木では県庁所在地の宇都宮へ向かう、宇都宮線が分かれる。ここからはとうとう、各駅に止まる普通列車は1時間に1本しか来ない。2005年当時は特急、快速、普通が最低1本ずつはあったが、2006年からは快速の大半がこの区間で各駅に停車する区間快速に格下げされ、ほとんど普通と統合されて本数が激減してしまっている。ちなみに今でも朝の数本は快速のまま残っている(浅草9時10分の快速も健在)。
栃木あたりまでは田畑こそ目立つものの駅周辺が宅地化されていたが、それもほとんど見られなくなる。快速停車駅である新鹿沼、下今市以外は、ホーム屋根の少ない簡素な駅が目立ち、乗客も数百人程しかいない。東京からもう80キロ過ぎて、車窓にしても広い関東平野の景色も終わり、山へさしかかる風景になる。

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下今市に到着、ここで二手に分かれ前2両が東武日光行き、後ろ4両が会津方面行きになる(さらに2両は途中止まり)。ここまでは特急並みに飛ばしてきたが、ここから先は各駅停車である。今は珍しい駅弁売りがホームで弁当を売っていた。ちなみに駅名看板、当時の写真なので「栃木県今市市」となっているが、2006年に合併して日光市になってしまった。狙ったものではないが、ある意味貴重???

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東武動物公園からここまで日光線を走ってきたが、ここからは鬼怒川線に入る。伊勢崎線・日光線は通勤路線であるし観光の特急も走る路線ということでよく整備され結構なスピードを出すが、鬼怒川線はほとんどが単線で、カーブがひしめきあっている。よって、特急も含めてほとんど徐行運転している。
下今市を出るといきなり直角にカーブする。東武といえば始発の浅草駅の急カーブも危険な程強烈だが、ここも負けていない。国道121号線と並行しながら進み、沿線にはウエスタン村や東武ワールドスクエアがある。しかし大半は鬼怒川沿いに山々の間をのそのそと抜けていく感じで、トンネルこそないものの山岳路線的な雰囲気は強い。やがて川沿いに温泉旅館が増えて温泉地ムードが強まってくると鬼怒川温泉である。すでに北千住から2時間近く乗っている。ここまできただけでも十分お腹いっぱいという感じになりそうだが、まだまだ先は長い。

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東武線快速列車の旅(1)

浅草を始発に日光・鬼怒川方面へ向かう東武線。乗らないうちに何年も経過、東京スカイツリーが完成し『スカイツリートレイン』なるものも出来て盛り上がってますね。
このルートでは特急『スペーシア』が一番の目玉なのは言うまでもないが、もう一つ、ちょっと隠れた目玉としては快速列車の存在が挙げられる。乗車券のみで乗車でき特急券の類は不要、車両は専用の6050系電車が使用される。2ドアでドア間にはボックスシートがずらり、車内販売こそないがトイレは完備と、長距離移動に最低限必要な設備が備わっている。ということで気軽にちょっと長距離の旅気分を味わえる列車である。またこの快速は東京から会津へのアクセスルートの一つを担っている列車ともなっている。運行区間は浅草〜会津田島間、会津の中心地会津若松へは乗り換える必要は有るが、乗り換えることで早ければ4時間半程で到達できる。新幹線と磐越西線の組み合わせにはまあ敵わないだろうが、比較的安くローカル気分を味わいながら旅するには良いのではないだろうか。それに、浅草〜会津田島間は190キロと長距離、快速といっても乗り通すのに3時間半程はかかる。
6両編成で運転、基本的に下今市で前の車両が東武日光行き、後ろの車両が鬼怒川・会津方面に切り離される。停車駅は浅草、北千住、春日部、東武動物公園、板倉東洋大前、新大平下、栃木、新栃木、新鹿沼、下今市、東武日光。会津方面は下今市から先は各駅停車になる。2013年3月現在、今は朝の数本を残して「区間快速」に格下げされ、新大平下から先は行き先に関係なく各駅停車となっているほか、前は概ね1時間に1本あったのが、2時間に1本と減らされている。それでも東京と日光・会津方面を安くスピーディーに移動する手段であるには変わりない。
6050系電車も含め、ローカル列車好きとしてはたまらない列車である。それにこういう列車は関東の路線、特に私鉄路線では他になかなかお目にかかれない。筆者にとっても東武線に乗る時はタイミングが良ければわざわざ途中まで快速に乗るほどの憧れの的、いつか必ず会津田島まで乗ると決めていたが数年前にとうとう達成した。(笑)ちょっと前のことですが書いていきます。

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