牟岐からさらに海沿いに南下していく。鯖瀬、海の目の前に位置する。かと思うとまた内陸に入って浅川。阿波海南は田畑のちょっと多いところ。山が多かったが、久々に開けたところに出た気がする。
ここからは低地に出て、高架を走り海陽町の町を行く。そして最後に列車は、とあるトンネルをくぐって、終点海部に到着する。まあ、各種メディア、それに「その道のプロ」の方にしっかり取り上げられてますので、もうご存じの方も多いことでしょうけれどwww
海部駅は相対式2面2線の高架駅。JR牟岐線の終点であり、阿佐海岸鉄道阿佐東線との接続駅でもある。2面2線であるが両者で1線ずつ使用しており、列車もごく一部のみ牟岐〜甲浦間を直通する意外はここで折り返し運転となっており乗り換えが必要である。
海部駅からJR牟岐線、徳島方面を望む。これが、牟岐線の到着前・出発後にくぐる件のトンネル
トンネルの上はなんと、ちょっと木々が生い茂っているというだけで、山もなんにもないwww
周囲もすっかりコンクリートの外壁がむき出し状態。もはやトンネルとしての意味をなしていない。赤瀬川原平氏の『超芸術トマソン』でも紹介された、所謂「純粋トンネル」というやつである。用途としてまったくトンネルになっていない。おれはトンネルだ!トンネルはトンネルだ!www
「トンネル掘削は建設にとっての一大事業!そりゃあ最初はそんなところに造ってどうする?と担当者には何度も説得されましたが、何としてでも造りたくて滅茶苦茶な理由を付けて押し切って、とうとう造ってしまったのです…」っていやいやそんなことではなくて、元々は山をくぐる、れっきとしたトンネルとして造られて機能していた。しかし周囲の宅地開発により山が切り崩されてしまい、トンネルの構造物だけが可笑しくも残ってしまった、というものである。名前は「町内(まちうち)トンネル」という。
まあでも確かに、そんな開発が予定されていて山が崩されることがある程度分かっていたら、そもそもトンネルにする必要はなかったんじゃないか、とも思える。このトンネル、供用開始は牟岐線が海部まで開業した昭和48年。そして今の姿になったのは昭和51年ということで、トンネルとして機能していたのはわずか3年くらいだったそうだ。